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川柳・政治・時事・エッセイ

函館 花園句座 400号 寄稿

2007年06月26日 | 川柳


       函館「花園」句座  400号寄稿     k氏

 第二次大戦中に武器を造るため、家庭内にある金属製品を半ば強制的に供出させられた。鍋釜包丁の大部分も供出した。
そんな状況でも、日本刀は保有することが容認されていた。
 そして敗戦、ひどい腑抜け状態を経て晩夏のひだるさが襲ってきた。
大阪の人がそのころの思い出を句に詠み、万能川柳に載っている。
     
            父或る日 日本刀で蒔を割る

 私の家にもなまくら一振りがあった。腑抜け状態の中学二年生は立ち木を試し切りして叩いているうち真ん中で折れた。
根元の方は鉈(なた)として使った。鉈(なた)も鉞(まさかり)も供出していたのだ。

         鉄も石油も産出しない国に戦は不可能。
           ごく単純なことだ。

大戦の戦火の中、鉄鉱石や原油を外国から運んだ船舶は全滅し、その船員達の殉職率は職業軍人の戦死率よりはるかに高かった。

         そして殉職した船員達は、靖国神社に祀られることもなく、
         その遺族達に、遺族年金もない。





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