2012年7月8日
あらすじは、【 朝顔 】
2009年11月13日
【八夜 ★抹殺】 から 【十一夜 ☆家族】 へ
「なぜ私たちが犠牲にならなければいけないの」
「会った事も無い人達の安らぎを願い、如何して本当の事を黙り通さなければならないの。なんで言えないのよ」
攻め倦む妻の頼もしくって当たり前の正しさも詰問で責め立てられていたのに、厳しさではなくオブラートな鼓膜が巻き包んでいる。
糟糠の妻として熟れた肌の腹立たしさには理解力で一休みできる尤もな夫婦でした。
私は〝私へと一年半で一生を使い果たした潜り好い玄妙さ潜り戸の師範〟に、私を思い沈ませてしまうのです。
どうすることも出来ない裏千家でした。
銀座の朝で、それまでは霧の中でも見え隠れしていた背負う姉妹を存在から丸ごとで、記憶から消し去ってしまったんです。
(今この情況を思い起こせば、頭の中で肝心な箇所を守るために、無くても生きられる箇所を〝あったままの会話から状況をパソコンの履歴みたいにして金庫に保管する〟自己防衛みたいな本能が働いたんじゃないだろうか、と考えます。
何ヶ月も後の投稿になりますが、金庫が開いた時の一週間余りの私は〝鍵となった物に夢中になっていく〟
番号は現在も残っていますが、この番号も過去として無視できる生き方にはパソコンは最適なんじゃないかと、この四~五日は追求していました。
憑依されていたにしても、姉妹が絡む数年間を完全に忘れる肉体も知足で生活していたのは事実です。
これって逆向性健忘症というのか記憶障害っていったら良いのか、私には全く分かりません。
周囲に居た医者の方たちも法曹界も警察も、家族から友人でさえ〝私の記憶がどうのこうのには〟気付かないんだから。
これで専門の医者にかかった訳でもないし、こうじゃなかったんだろうかと自分で診断しているだけです)
霊魂に気がふさぐ毎日は私と顔を合わせるのも辛い女たちの家となり、住みにくくする。
口座振替の通帳には数ヶ月分しか入金しない私であり、管理も私の責任でした。
仕事で使う電話料金の入金をしているのかに一抹の懸念を抱いても、阿蘇のペンション住まいとなって週末しか帰らない私でした。
その数日を無難に過ごすには黙っていられる程度の話です。
私にしても逃げ隠れていた。
妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。
成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。
円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。
わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。
仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。
・・・・・・・たわわの芽誓いし短冊春尽くる・・・・・
25日早朝だ。逝ったのは。しかし命日は24日とされた。
ご先祖さまと重なったからなのだが、数時間しか違わないから、と言われていた。
クリスマスって、騒ぐのは同じ時間帯です。
「クリスマスは静かに過ごし、騒ぎません」 と言っていた。
クリスマスやら正月は、重婚めかした東京と地元との過ごし方に悩む満たされた月日がありました。真剣に空の最終便なんかの遣り繰りを愛娘やケーキやプレゼントに重ねて思いを巡らせていました。
・・・・・・・間夫おかしのたり果てらむ冬の海・・・・・
何年か後、クリスマスって八月なのか十二月なのか分からなくなっていました。というのも御山の土地に購入代金を支払って登記するのは月曜なんですが、日付けは前日にしてもらったんです。24日は日曜日になった一周忌でしたから。
だけど一周忌だってことも、そうする理由も何もかもキレイに忘れていたのです。
ただ、そうしたい24日という登記簿の日付けでした。
それと南半球となるオーストラリアでは12月は夏です。
ホワイトクリスマスではなくって、グリーンクリスマスというらしいのです。
そんなこんなで頭ん中ゴチャゴチャになっていた緑したたる【ここは何処、わたしは誰。御山】の私です。
・・・・・・・叫ぶしか著れぬ色取り鵙の乱・・・・・