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事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

家族を

2012年07月08日 09時43分27秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月8日

あらすじは、【  朝顔  

 

 


2009年11月13日



 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 へ

「なぜ私たちが犠牲にならなければいけないの」
「会った事も無い人達の安らぎを願い、如何して本当の事を黙り通さなければならないの。なんで言えないのよ

攻め倦む妻の頼もしくって当たり前の正しさも詰問で責め立てられていたのに、厳しさではなくオブラートな鼓膜が巻き包んでいる。
糟糠の妻として熟れた肌の腹立たしさには理解力で一休みできる尤もな夫婦でした。


私は〝私へと一年半で一生を使い果たした潜り好い玄妙さ潜り戸の師範〟に、私を思い沈ませてしまうのです。
どうすることも出来ない裏千家でした。
銀座の朝で、それまでは霧の中でも見え隠れしていた背負う姉妹を存在から丸ごとで、記憶から消し去ってしまったんです。


(今この情況を思い起こせば、頭の中で肝心な箇所を守るために、無くても生きられる箇所を〝あったままの会話から状況をパソコンの履歴みたいにして金庫に保管する〟自己防衛みたいな本能が働いたんじゃないだろうか、と考えます。
何ヶ月も後の投稿になりますが、金庫が開いた時の一週間余りの私は〝鍵となった物に夢中になっていく〟
番号は現在も残っていますが、この番号も過去として無視できる生き方にはパソコンは最適なんじゃないかと、この四~五日は追求していました。
憑依されていたにしても、姉妹が絡む数年間を完全に忘れる肉体も知足で生活していたのは事実です。
これって逆向性健忘症というのか記憶障害っていったら良いのか、私には全く分かりません。
周囲に居た医者の方たちも法曹界も警察も、家族から友人でさえ〝私の記憶がどうのこうのには〟気付かないんだから。
これで専門の医者にかかった訳でもないし、こうじゃなかったんだろうかと自分で診断しているだけです)


霊魂に気がふさぐ毎日は私と顔を合わせるのも辛い女たちの家となり、住みにくくする。
口座振替の通帳には数ヶ月分しか入金しない私であり、管理も私の責任でした。
仕事で使う電話料金の入金をしているのかに一抹の懸念を抱いても、阿蘇のペンション住まいとなって週末しか帰らない私でした。
その数日を無難に過ごすには黙っていられる程度の話です。
私にしても逃げ隠れていた。

妻も母も、私の経営の破綻で終止符を打とうとしていく。自然の成り行きです。
成仏し得ない霊魂相手に、恐ろしすぎて、夫や息子みたいに悶絶できない。
円満にの同じ屋根の下の女たちにしてみれば健全な免疫力が作り上げる健康的な指向です。
わたしたち指きりげんまんの家族の肖像画は鬼のようなさまでした。
仕切り有る安っぽい家庭ではなかったのに。



・・・・・・・たわわの芽誓いし短冊春尽くる・・・・・



25日早朝だ。逝ったのは。しかし命日は24日とされた。
ご先祖さまと重なったからなのだが、数時間しか違わないから、と言われていた。
クリスマスって、騒ぐのは同じ時間帯です。

  「クリスマスは静かに過ごし、騒ぎません」 と言っていた。
クリスマスやら正月は、重婚めかした東京と地元との過ごし方に悩む満たされた月日がありました。真剣に空の最終便なんかの遣り繰りを愛娘やケーキやプレゼントに重ねて思いを巡らせていました。



・・・・・・・間夫おかしのたり果てらむ冬の海・・・・・



何年か後、クリスマスって八月なのか十二月なのか分からなくなっていました。というのも御山の土地に購入代金を支払って登記するのは月曜なんですが、日付けは前日にしてもらったんです。24日は日曜日になった一周忌でしたから。
だけど一周忌だってことも、そうする理由も何もかもキレイに忘れていたのです。
ただ、そうしたい24日という登記簿の日付けでした。
それと南半球となるオーストラリアでは12月は夏です。
ホワイトクリスマスではなくって、グリーンクリスマスというらしいのです。
そんなこんなで頭ん中ゴチャゴチャになっていた緑したたる【ここは何処、わたしは誰。御山】の私です。



・・・・・・・叫ぶしか著れぬ色取り鵙の乱・・・・・






医は算術ではなく鬼手仏心です

2012年07月06日 09時26分39秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月06日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年11月06日




 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

完全な記憶喪失にさせられる銀座の朝でした。

バブルと名付けられた実体なき社会が終焉を迎える頃、ゴッホとルノワールの計2点の絵画が米国のオークションにて二百数十億という史上最高額で落札されたニュースが映像と共に飛び込んできた。
依頼された会長と代理人たる銀座の画廊主は親子である。姓が異なるのは師範と同じだったからだ。

別宅に置かれる女性は不安定な社会的立場ゆえか、待つ日々と環境がもたらす緊張感が素晴らしい個性を育まれると言われている。
置く男にとっては、たる意味でしょうか。
その後の人生が師範と画廊主で大きく違っていった根幹には、国際社会での会社経営と地域での町医者という全く異なる世界も考えなくてはならない。
両親共に健在だった画廊主ではなく、師範の場合は早くして二親を亡くしているが、これを言っちゃお終いだ。それに体験談のブログから離れてしまう。
決定的な相違点は【99年間働かずとも有り余るカネ】の悲劇ではないでしょうか。
咲く師範を二度までも殺した院長にしても、逆玉の縁談が決まってから既に性技を勉強していったとはいえ、一生遊び暮らせるのに働かなければならないカネがもたらす実感と周囲からの妬みに論われる陰の中で、師範殺しの心の闇が形成されていったのでしょう。

しかし私も町医者の家に生まれておきながら何なんですが、町医者という職業がこんなに人間的に小さなものだったなんて、体験から【御山】で考えさせられました。
良く言えば地域社会での客足と柵で雁字搦めなのに医師会や医療の圏内から食み出して社会的影響力を行使できるところが認識の誤りを生んでいる。

院長の言葉が如実に物語っている一件がある。それは、
「入院は取らないし、死人も出ない。厄介な患者は大学病院に送る。悪くなるのが当たり前の老人医療が多い」

福岡県は全国を見回しても老人医療が多いのである。お年寄りの井戸端会議場みたいな医院もある。
こんな書きかたできる私であってはならないんです。本当は。
というのも、ずいぶん昔の話で恐縮ですが親しい方が立候補されての開業医VS勤務医となった会長選挙がありました。親しい方が苦汁を嘗められたのですが、これ、私に流された悪口雑言が原因だと考えている。もう自分自身は如何でも良い。
しかし、この一件と家族の汚名は返上しなければならない。


師範の墓標とした【御山】の阿蘇は魂との契約である。周囲が如何有ろうが関係なかった。
院長の恐ろしき算術の陰謀から絵画の購入は花嫁道具だった上に性暴力を知っても、これは破れない。
無意識の意識が、両天秤に掛けたかのように家族を蔑ろにした阿蘇に向かわせた。
逝った年も冬には阿蘇のペンション住まいとなり、比翼塚の草刈りから枝打ち、沢に下る小道を整地したりと汗を流していく。


こんな中、女たちだけが取り残された福岡の我が家には中傷に嫌がらせの電話が引っ切り無しに入っていた。
家庭があり、家も在る間、着信音に妻は両耳を塞いでしゃがみ込み、母は頑張れるも〝それなりの対応〟にて音を収める。
妻も母も、家族で耐え忍びながらも、恐ろしくなった私から命じられた通り、我が家の女たちは師範殺しの知りえた限りの真相を院長の犯罪の内容を姉妹の家の秘密を守り通した。
全てを誰にも口外できなかった。

妻は叫んだ、
「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」
「みんな生きている」
わたしは突っぱねる。話にも何にも成りはしない。

こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、
「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」
黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。


取引先だったデパートからも、
「(姉妹の家)と何か有ったらしいが、(その地域)の出張所所長は取締役だから何も聞きたくない。もう出入りしないでくれ。おまえも終いだな」
繁華街にもご一緒していた担当からの突然の電話でした。

母は着信音に、
「(あの恐ろしい家からかも)」
感じるらしくて、ピクッと体を深層心理で震わせる。電話を取れなかった。

鳴り分けてくれる機能が付いてから、ずいぶん楽にはなりましたが。
医者の人脈を利用してのものが殆どと思われる。一方的で意味不明で嘘っぱちだらけの電話による後遺症です。
わたしだけでなく家族の全員が未だに抱えているんです。
「かわいそうな方」
真実で師範を思いやれた、ただ一軒の家なのに。

大切にしている亡父の遺品の一つに墨色五彩『鬼手仏心』の掛け額がある。
ブログの稚拙さでお分かりのように医者になれなかった私ですが、その心は受け継いだつもりです。




裏千家師範と私と銀座の画廊の、家系

2012年07月05日 21時08分35秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月05日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年11月04日

 


 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

取引先だった銀座七丁目の画廊は、彼女との出会いとなった年の暮れには独自に院長の家の調査をその筋に依頼して、出生の秘密ある彼女から婿養子となる院長の立場を知り得ていた。
なのに、その後の一年以上もの間で〝結婚とか離婚〟とか姉妹からの申し込みに悩み苦しむ私を横目に何ひとつ教えてくれず、
「おかしい。そんなことは・・・」と一度だけ院長に対して呟いた、あれだけだった。

この悔しさ。本音で長いこと付き合っていただけに憎悪の念は院長なんかよりも激しく燃え上がった時期がある。あんまりだ。
彼女が逝ってしまった後、私の精神状態に付け込んで搾取される金銭の額もだが、私たちは若さに欲望を漲らせていただけの遊び仲間、飲み友達というだけの下らなさだったのか。
それに加え糟糠の妻を東京に住まわせ、彼女を地元に置くと苦肉の策を決断した年の秋、つまり彼女が倒れる半年も前に私から借り入れた1450を450しか返さないと、師走には開き直っていた。

五ヶ月後の入院です。
【御山】たる墓標の資金に充当してくれと依頼される彼女が買ってくれていた絵画の売却にあたっては、自分で仕事にする気力はなかった。
そして、この銀座の画廊が1000を返さないとしてから既に五ヶ月が経過するにもかかわらず、これがどれほど重大な意味を持つのかの信頼関係にカネの認識が薄れた私だったらしくて、姉妹から預かった全ての絵画の現金化をもで丸投げしてしまう。

祥月命日が生まれる。数ヶ月が経ちました。
当たり前の話ですが、絵画の代金は約定通りに支払ってくれなかった。
翌年になり、この銀座の画廊と取引のある別の画廊主と共に私たちは朝一便で上京した。

銀座に出向く決心か商取引の帳簿合わせを迫る私に銀座の画廊は、
「(彼女への性暴力に抵触する情況)見舞いに行ってない」
と、持ち出した。ら混乱する精神に鞭打って前に進もうとしていた私であり、もう目一杯でした。


壊れた。混乱させられた刹那、完全に真っ白。
なぜ銀座に来ているのか、さえ忘れてしまった私が居た。
彼女の存在から姉から何から何まで、これら記憶の一切合財が遥か雲の彼方に煙のごとく逃げ去ってしまいました。

そのまま搭乗した機中でも〝何しに来たんだろう〟としか分かりませんでした。
銀座の画廊も、帳簿もカネも〝おかしい〟とは分かるのですが、〝なぜ〟とか〝どこが〟となると、さっぱり。
きれいに消し去ってしまいました。
空っぽの脳みそは滞りなく以後の入力を、そのままに曲げたり癖を付けたりしないで吸収するのです。

抵触されてからの帳簿合わせは、逆に支払いで請求され、何も分からないままに決まっておりました。
主張される勘定に反論を出せる約束事への記憶どころか、彼女どころか姉妹に付随する情報さえ忘却の彼方。

この真っ白にさせられる銀座の日には、早々と私が取引する他の銀座の画廊に対して〝背信行為の私〟とした吹聴が始まっていた。
院長の追い風にもなり、人脈の一員とも化していく。
この銀座の日から動き出した背景には〝私が支払う〟とは思ってもいなかったからに他ならない。
(そりゃそうだ。今は良く理解できます)

日帰りとなった翌日でした。
銀座に出向く前の日に電話でお願いしていた医師会の重鎮となる親しくお付き合いをさせて頂く方の御自宅を訪問するも、何の相談だったのかも思い出せない。
恥ずかしい話を持ち出しただけであり、医師会とも、この方とも、これっきりにしてしまいました。
亡くなられたのです。

銀座の画廊も彼女の場合と同じ〝約束事〟の信用取引や人としての生き方の次元に置いて、約束の日の数日前に私は支払ってしまうのです。

この額が、でかすぎました。
(今に至ります。記憶を取り戻してから〝返済〟を求めていますが、進展なし。この銀座の画廊には私だけではなくて、私の顧客だった先生も〝お金と絵画〟を騙し取られておられるので放置できないんです)

【御山】での生活に入っていた。
もう客ではないし、売り掛けなんてのもないホステスから阿蘇に電話がありました。

「(銀座の画廊に)言わせておいて良いの。(風評は)男の人でもあるのね。このままだと大変なーーーーー」

わざわざ教えてくれる電話でした。
私の取引先にも営業しだしていた。
悪口雑言に呆れ果て、私の取引先から周辺どころか、繁華街のクラブにも手当たり次第に広めていく余りの態度を、

「あんなに仲が良かったのにね」
嘆いていた。

情けなく、恥ずかしかった。
カネに生きる結果が、これ。
ここまでくる拝金主義には哀れみが生じ、憎しみは薄れる。
今は銀座の顔どころか日本の顔であり、世界の顔らしい。

しかし、彼女が逝った途端〝(院長は)婿養子〟に〝見舞いに行っていない〟と、どれだけ飛び出してきたことか。

呆れます。
どこを指して不文律というのか。




弁護士会会長に始まった時効停止の現在

2012年07月04日 22時24分06秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月4日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年11月03日



 【八夜 ★抹殺】 より  【十一夜 ☆家族】 から
三百代言とは弁護士の蔑称です。

弁護士会から紹介を受けた著名な弁護士は〝明らかな犯罪で刑事事件にするか〟聞かれたが姉妹を考えて出来なかった。

姉妹の所轄署の刑事さんからは〝私を、院長から刑事事件として相談を受けた〟として電話が入ったが、家具屋の一件を話したらそれっきりになる。

そもそも弁護士会で紹介してもらう手段を選択したのは、誰にも相談できなかったからだ。弁護士を必要とする理由が言えない・・・・・
彼女を性で卑しめてしまう・・・姉を守れなくなる・・・姉妹の医院が閉院となる・・・医師会の重鎮が立場を失う・・・大学病院の責任問題に発展する・・・

彼女の入院中から私の頭ん中では何かが音を立てて、ブチブチと切れていく反響音を感じていた。聞こえるんだ。頭蓋骨の中の物音が・・・

そんな中から依頼人となった弁護士に相談していったのですが、彼女の全てが、姉が妹の幸せだけを望まれた結果が〝事件そのもの〟が恐ろしすぎて、言えなかった。言わなければ相談にもなりはしない。言おう、言おうとしていった。

頑張る中で姉から、
「なぜ裁判になるのでしょうか」と私の弁護士に電話が入っていた。
弁護士は私に、
「なぜ見舞いに行かなかったのか」と尋ねられた。
「止められていました」すかさず答えられた私だったのに、
「(嘘を言うな)」呆気に取られた口調で言下に判決を下された。

その姉の性描写なんて私には、できない。

〝事件そのもの〟を、恐ろしさを妻子ある家庭を守るためにも言わなければならないと頑張っていた脳みそは干からびる。
これで、性暴力を私に描写した理由からカネの流れた経緯から、真相の記憶が頭蓋骨の中の何処かの引き出しの中に隠れてしまった。かくれんぼする子供みたいに。大人を怖がって親の後ろに隠れる子供みたいに。
にべもなく、全て終わった。
だから終わったことにも、気付けない。
説明へと姉妹から真相抜きではどうしょうもなく、何も無いのに有る振りする私だとも断定されて、
「本にも書けない(書く内容ない)だろう」と、馬鹿にされた。

(忘れない。ここに、私の亡父の小冊子『〇〇君を想う』と同じように彼女の本を書いてやる、たる揺るぎなき現在の決心が生まれていたのだと思います)
彼女が入院した五月から私は仕事ができなかった。仕事の手帳がプライベートな日記で生まれ変わった

〝私に犯罪歴が無い〟と知るや、
「今にやる」とまで院長寄りで吐かれた私の依頼人弁護士だった。
私の家系を調べて、
「これを利用できないとは・・・」と若い弁護士が驚く傍らにて、
「使い方を知らない人も出てくる」と著名な方の弁護士は教えていた。
二人で驚き、頷き合い、笑っている。
私は、しがらみの人脈に雁字搦めでした。わたしに家系なんてのがない、ある意味で自由な環境にあったのならば、こんなことも言わせなかった。

しかし〝利用から使い方〟とは、これが弁護士の頭の中なのか。
この弁護士事務所の仕事は企業専門でした。姉の素性が圧力となったのでしょう。福岡県は私鉄の駅たる〇〇の城下町です。〇〇は店子。姉に院長は「親」ともなる
しかし彼女をも、
「(彼女が手中にしていた社会的立場の習い事)ばかりで男を見る目が無かった」と馬鹿にした。私には、
「(院長に対して)それだけの事をしたんだろう」と下した。

私には、何をしたのかも、何があったのかも分からなくなっていた。

この県で、姉に院長の家に逆らったら、
「干される」

「弁護士会からの紹介でなければ断っている」
依頼した弁護士の根底に存在していた当初からの本音、名言である。




百億持ち米国逃亡の国際問題と原点

2012年07月03日 10時32分39秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月3日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年11月2日



 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

憎い彼女でした。そして愛おしかった。なぜだろう、逆らえない。

忘れていた素直だったであろう幼子ではの自分になる。表裏一体となった感情を〝アルファベットの九番目〟と言うのだろうか。この年になると恥ずかしくって活字にも出来ない。
彼女の場合は〝恋心〟だったと思う。それで良い。
男と女の心の奥に日々で運動する凹凸の波が何かの弾みで、ピッタリ収まってしまった。湿り気で膨張した桐の箪笥の引き出しみたいに離れなくなってしまう。それだけのこと。

ただ、だから、彼女は逝った。応えなければ、男ではいられない。

こののち何人もが殺された今も、院長を告発した途端に医院を息子に代替わりして、本人は米国移住して今に至るも、カネも何もかも犠牲にして社会を守り続けた私の過去に後悔はない。が家族は違う。
が法治国家としては、これで済ませてもらっては困る。なぜ、移住できたのか。この問題が公になって喜ぶのは裏社会の人たちです。だから捜査も打ち切りでは納得できない。



「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 この言の葉、
「姉は守ってください」 との彼女の遺言にしてしまっただけの私。
単純なこと。『姉だけは・・・』 こう言い遺されては、どうしようもない。だから悔いもない。

が、母に妻に娘は、家族は、別だ。



原点に立ち戻る。
と、彼女は逝った。まだ、その年でした。

地元の県警採用の現職警察官から猛勉強して司法試験に合格したという弁護士から電話が入った。院長の依頼を受けたという。
わたしから出向いてあげた。事務所は赤坂の職安の裏道に面した汚いビルの奥まった細い通路の突き当たりにあった暗くて狭い物置小屋みたいな部屋でした。
ドアを開けて二歩のソファに招いておきながら、わたしが座る前から、

「奥様に連絡を取るとーーーーー」
脅しつけてきた。この手の、似つかわしい浅読みで、

「(私の印象から)こんな男をなぜ怖がるのか」
とも、院長からの依頼の内容と私の印象とのギャップに戸惑っている。
この弁護士の主張は〝ただこれだけ〟
他には何も中身など無かった。


なにか引っ掛かった。姉だけを強調した呼び出しには何か隠れていると感じた。
当の弁護士でさえ首を捻っている。じゃ動くなってんだ。

ここに家具屋の義兄弟が関与しているのかも知れない、していなくても何か知っているだろう、と私は直感した。家具屋の店には車で十分の近さでした。予感は的中していた。

院長に預けていただけの、2400の絵画が半額で処分されようとしていた。
彼女が購入していた絵画を墓標の資金に充当するべく預かったら、壁の日焼けが見苦しかったんで隠すために掛けてあげただけでした。
私は一度も家具屋の店に行った事がなかったので、まさか来るとは思わなかったらしい。完全な詐欺。

その足で弁護士会館に出向いて代理人を紹介してもらった、


「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」

2012年06月28日 21時16分24秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月28日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年10月30日



 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

その「あんなに・・・」を何故、
あの命の綱の夜の目に・・・仕込んでくれなかったのでしょうか。

この文様の姉を起爆剤にして、

えっ、そんなに。でも・・・
と殺陣は狂恋夢じゃなかったのか、の音量で・・・きょろつけたんです。

「会える。逢ってください。ちょっとこい」
何だって良いから、一言、何故わずかな時間に態度で示してくださらなかったのか・・・

・・・恨みます・・・すみません。もう言わない。魂の雄たけび、自分を責めているのです。誰に対してたる情けなさではありません。




(気がすみました。先に進めます。九十九折りの道を散策してみてください。御自分から子供さんに子孫に同じような不幸せが訪れる日など来ないように擬似体験されるのも無駄な時間にはならないはず)

「僕たちは二階で別々の部屋に寝ているんです。用がある時だけ行ったり来たりして・・・」
アッ、と思ったが後の祭り。別にソンナ意味で言ったんじゃなかったんですが、アッと顔に出したがために、ソンナ意味になっちゃいました。

「夫婦だから」姉は笑っておられた。そして、
「仲がよろしいのを妹の前では言わないで下さい」釘を刺されちゃった。
こんな笑みも苦言もみんな水車っぽい自然体に温かい湿り気あふれた真心で掬い上げてくださる姉でした。
ふとした塩っぱさに首を突っ込まされる妹を枯淡のパラソルな目配りで庇護される聡明な方でした、奥様たる姉は。
節々にて願いの糸を紡がれた紀行文に一瞥を投げて姉妹を捨て去ることなんて出来なかった。ここに理屈なんてのは無い。


〝二つもの命で妹は殺された〟に等しいと姉に知れれば、
奥様は許されない」と私に素直な押さえられなかった激情を叩きつけてくれた家具屋の弟からを思い病んだ。


真実を公にしなければ。妻子との家庭は守らねばならない。これだけを考えようとはしていったんです。
なのに後から必ず続いてくるんだ。金魚のフンみたいに。

公にすれば、姉は生きていけなくなる。医師会も大学病院も大変な事態に陥る、と。
立ち塞がる場所は底なし沼でした。

我が家だけを考え、幸福行き普通列車に愛娘を抱きしめて固執すれば良かったのでしょうか。何人もの方が社会的に葬られても。
死に物狂いで死中に活を求めた。四面楚歌の住環境となり朦朧としていく。

憎しみは当然ある。〝殺すしかない〟なんてずいぶん真剣に悩んだもんだ。
結局、拝金思想のカネが、憎しみの対象となった。




調子づいて私に全ての事実から経緯を喋りすぎてしまった院長は動き出した。

使う価値のある人たちは即ち地域に影響力もつ権力の持ち主となる。たとえ、嵩にかかってくる種類であろうとも。
私を黙らせなければ、手にした権力どころか資産も何もかも、失うのである。
どれぼど必死になって考えたことやら想像すると、今は笑える。滑稽だ。
私はこれで済むが、ここから全国にまたがり殺されていった何人もの人たちの家族を思うと、複雑である。
そんな渦中に放り込まれての八年間、死を賭して私は戦い続けていく事態と化していた。

「なんで俺が命を賭けて戦わなければならないんだ」って何時も不思議だった。
すると決まって誰か知らない女性が、

「守ってあげてください」って背中から話しかけてくる
んだ。
何も言えなくなり、守り続けた【御山】の八年です。


【銀座の顔】と平行して、まず福岡県警現職警察官から猛勉強して司法試験に合格したという弁護士が似たもの同士で登場します、






憎しみを植え付けてはいけない

2012年06月27日 20時44分30秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月27日

あらすじは、【  朝顔  


 


2010年1月04日



 【十一夜 ☆家族】 から

福岡に残す妻にまだ幼稚園児だった愛娘、一人にさせる老いゆく母、嫌がらせ電話に耐え忍ぶ女たちとも振り返れなかった。
南阿蘇に墓標を建設する霊魂との約束事は破棄できなかった。死者には敵わない。
ごめんね。

「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」
姉に打ち明けられた私は、
「姉だけでも守ってください」
たる逝った裏千家師範のクララからの遺言にしていた。
「妹を連れてきてあげたかった。見せたかった」
と草千里を仰ぎ見る姉の〝願い〟を受けた。
家族を捨て、私財を投じ、阿蘇ファームランド前を比翼塚とした終の棲家にしてしまう。

〝おかしい〟と腑に落ちないだけであり、
〝何をしているのか〟腑の抜けた情け無い大黒柱だったのです。
「産まれてこなければ良かった」なんて、
「そんなに嫌われてしまったの」なんて、
百八夜で性暴力の餌食にされ続けた挙句に逝った師範に言わせた私なんです。

眼鏡が狂った男にはなりたくなかった。眼鏡に適った男になりたかった。
なのに、この心をも師範の抜け落ちた姉妹の家は逆手に取り、姉妹との出会いから〝逃げ込み婚〟な師範が私に魅せた二年間に舞台裏で画策し続けた挙句の〝夭折の真相〟を抱え込んだ我が家を一族を社会的にも抹殺するべく動いた。
姉に師範殺しが露見すれば、裸一貫にされて必ず〝アノ家〟を追い出される結末が読めたからである。

「一度握った力はどんなことをしても絶対に手離さん」
この言葉通り、私だけでなく一族から強迫しだす義兄たる院長が活用するのが、法を秩序でなく混沌とさせた警察と現役警察官出身の弁護士による陵辱であり、へつらい、媚び、おもねる人脈やら社交辞令に儀礼から一歩踏み込んだ傲慢な群れである。

医院のこじんまりした患者さんの待合室には少しの長椅子が整然と並んでいる。
ここには座りきれないほどの看護師さんたちが、若いばかりか、かわいくって化粧も上手な、一昔前の言葉を借りればモデルさんと見間違える姿で動いている。
病室は一つも無い。なにより、三十路近くも普通の顔立ちの女性が、一人たりとも、居ないのである。
医者は趣味だと大言壮語してはばからない御山の大将に相応しい、ハーレムでした。

警察官は女性から煙たがられやすい職業で結婚相手に困るから〝集団見合い〟とは表向きの理由。
要は〝力を私物化したい〟が為の供応でした。
看護師さんたちの使用者たる立場を利用した義兄の思惑は当時でも十年以上に亘る。
飲酒運転で停車を命じられても免許証で身元が判明すれば敬礼までして見送ってくれたそうだ。
悦に入っていた。この力、
「使っても良いぞ」言われたが、頭を下げてお断りした。

これに限らず、こんな奢り傲慢さには間髪を容れず、にべもなく逆らい続ける私にも腹を立てていたのでしょう。
この点では、師範は巻き込まれたと言えるのかも知れない。

そしてこの医院は、悪くなって当たり前の老人医療が多いそうだ。
厄介な患者は大学病院に送れば良い。
休日出勤も残業も無い五時の道路には看護師さんたちを迎えに来た車たちが列を成していた。

こんなに姉から周囲から甘やかされて育てられた義兄、
「医師会の伯父にも責任を取らせてやる」
暴言が気になっても遺言がある私は動けなかった。
院長は自分から勝手に調子に乗って真相をベラベラ喋っておきながら、逆切れしただけの情け無い末路だ。

だいたい、私に非があるとすれば、如何なる理由があったにしろ〝見舞いに行かなかった〟件に因る姉妹に対してだけである。
義兄に対しては何の非も無い。
それどころか私たち家族から奪い取った絆に財産を返さねばならないのは、義兄の方だろう。盗人猛々しい。

以降、阿蘇の聖地、お墓を攻められるも〝姉が人質〟として誰にも相談できず、墓守りとして、姉に医師会から政財界、行政から大企業、亡父の出身たる大学病院から何から何まで全て、ひとりぽっちにされながらも世界を敵にしても私は守り抜いた。
なのに、この南阿蘇の墓地〝青春キャンパス〟さえも義兄は篭絡させた弁護士を使って〝差し押さえ〟カネに変えて自分のモノとしたのである。

家として画商として、仕事も家族も失った。
師範との新婚な生活へと南阿蘇での楽しい思い出作りに取り付かれた記憶喪失者の独り善がりは、愛娘までをも結果として捨てている。

自分でも何を言っていたのか分からなくなり、聞き返されても思い出せない、会話が苦手になっていく。
こんな時代を経た半生です。

  愛娘にはまだ会えない。セーラー服さえ、わたしは見ていない。
怒っている。何ひとつ聞かされてないんだから当然でしょう。

離婚した私は直ぐにパイプカットするが、それは異母妹弟を作りたく無かったからだし、娘から観た場合、自分の母親以外に父が愛した女性を忘れ得ぬ子供なんて現実で押し付けられなかったからです。
そもそも妻が嫌いになったり他に女性が出来て別れたのではない。
離婚の理由なんて今の私でも〝何でか〟分からないんだから。
離婚届けだって私は出してない。書いてない。

会うには、まず過去から説明しなければならない。
それも思考回路の過程で裏千家から師範から姉から院長への憎しみ憎悪が生まれるとしても、映画した終わりには〝消えている〟感想で、娘にはしなければなりません。

会話では無理だ。
静けさを覚えて欲しい。

私の三つのブログの存在理由の第一は、ここにあります。娘に対する謝罪と説明に尽きる。
娘からフォルダとかTEXTエディターとか何でもかんでもパソコンをイロハから教えてもらうのが、今年の夢です。
だからそれまでは投稿に最低限必要な今の知識のままで良い。







産婦人科を開業の亡父でしたから

2012年06月26日 20時35分57秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月26日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年10月28日




 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

男なんて、屁みたいなもんだ。女性が元気になってくれれば男を上手く操って家庭も明るくなるかもしれないし、社会まで上手く回りだす活力になれる。
男が元気でいなければならないのは当たり前の話なんで改めて書きません。
なんてったって女性の包容力ほど素晴らしい栄養素はないと思っている。
そこを利用する男が多いのも現実みたいで悲しい事実だが。

わたしは幼い頃から赤ちゃんの泣き声に包まれて育ちました。
お母さんのおっぱいが欲しいのか、お母さんの鼓動や温もりが欲しいのか、どこか痛いのか、おむつなのか。泣いている感じでわかる時もあります。

ピンクリボン運動のガジェットは右の列の最後に置いてるんですが、これ、本当は最初に持ってきたかったんです、でも、そうすると次からのガジェットが全部消えてしまう。で仕方なく終わりに置いてます。
乳がんは自分でもできる異状の有無、曖昧でも検査を決断させる確認への認識の方法があるんで、やってみましょう。
機械的な書き方ですが、そのチェックの仕方が四こま漫画みたいに出ます。
ですが、これって気休め? とか考えずに彼氏か旦那に覚えてもらうと楽しいかも。沈まないで、触り方が下手な奴って腹立つでしょ。気持ち良い触られ方に見せかけてチェックの方法を仕込んでおくっていうのも一つの操り方です。
遊び心からっていうのも考え方として良いかも知んない。

それで私は人一倍、病室や泣き声に病院の臭いにはするどいんです。
女性特有の病気にも男だから関係ないではいられないんです。

そこに持ってきて、


「助けを求めていたが知ったことかっ」
の、性犯罪です。それも余命2週で死を待つだけの妹に対して。
加えて、彼女が毎日毎日で待ち焦がれた私の見舞いをも巧妙に押しとどめ続けた。
犯行現場となったのは亡父の出身となる大学の医学部の付属病院です。
内鍵まで取り付けられていた。
こんな信じられない事実の連鎖ってありますか。



阿蘇を御山として彼女のメモリアルたる建物の建設は、たとえ現金化するための口実だったとはいえ、私は見舞いにも行けない身をぶつけて探し、求めた。
ここには院長など存在せず、逝ってしまった彼女との約束事にしていくのです。

院長の陰謀だと分かった後も、御山には約束通りに事を運んだ。
彼女が結婚資金から支出していた絵画の売却代金に加えて、私は私で用意した資金を注ぎ込んでいくのです。
私の投入資金は当初の思惑を超えてどんどん膨らんでいった。
何から何まで自分の持分で対処しなければならなくなったのも大きかった。


私は仕事が出来なくなっていた。

これからどうするの」 投げかけた妻の言葉が耳に焼き付いている。

姉にさえ真実を話せたら、それだけで我が家は安泰でした。

 

 

 

 

 


「クララってご存知ですか?」

2012年06月25日 22時44分46秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月25日

あらすじは、【  朝顔  

 


2009年10月24日




 【八夜 ★抹殺】 より

立ち位置に紅葉散る綾絵踏みかなぁ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・だまし絵であれ立ちすくんじゃう



ほうほうの体で応接室からの家路を運転した。なんとか何もしないで無事に帰れました。
〝湯は家族にて〟という言葉は幼い頃より聞いていた私だったのに。だから我が家では嗜まなかった。暗さで奥深い落とし穴でした。


値千金の言葉を思い出しました。
 「クララってご存知ですか?」
彼女に問い掛けられたんですが、とっさの事で思いつかず、考えているうちに姉が、
「ご存じないわよ」
と助け舟を出してくれて、その場は終わっていました。


少しして思い出しました。
〝くらら〟という花の名前です。
が、あの場の雰囲気は〝花〟ではなかった。
〝クララ〟こっちの方だったんだろうと後に確信している。清貧に生きた聖女クララ、といわれる方です。
この〝くらら〟の場合は阿蘇の山に咲くのです。黒き斑点あるオオルリシジミという珍しい夢見鳥(蝶)が〝この苦参〟だけを求めて即かず離れずに舞い出で、短い命を終えます。淡い黄色の火山性植物で〝草槐〟とも書くみたいです。
幼虫にぱくつかせて育もり、小満を見る目の前にて成体になる。グチャグチャになっていた私の頭は、この〝クララ〟を夏風に咲く〝くらら〟に重ねて人格化させていたらしいんです。
それで彼女のメモリアルとする御山は阿蘇へと無意識に向かわせたみたい。

問い掛けられたフランシスコ修道会のクララと共に懐かしい値千金の記憶です。洗礼も受けていた彼女でした。



 くらら萌えオオルリシジミ涼し阿蘇
          
           泣く目ひらひら乳の目さらさら


 
 クララかな遥かに燃える気兼ね瑠璃




(1978年版と2008年版広辞苑より抜粋)フランチェスコの創めた托鉢修道会。第二会の修道女は聖女クララが協力して開創。謙遜と服従、愛と清貧の戒律。キリストの愛の実践を旨とし、貧者や病者に奉仕する。灰色の会服をつける。

四季を問わずに巧みだった彼女のワンピースは恬淡とした会服だったのです。おまけに従順と貞潔まで付いてきているみたい。




姪の浜で産婦人科を開業していた亡父です

2012年06月24日 20時40分04秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月24日

あらすじは、【  朝顔  

 


2009年10月20日

 

 

ピンクリボン運動から女性特有の病気については男といえども他人事ではいられないんです。
早期発見に心がけてください。これは検診に尽きるようです。〝わたしは〟なんて考えずに受けましょう。このブログが良い例です。独身の女性もその気になりましょうよ。残される人の苦しみもあるんですよ。

四十四で他界した父は姪の浜という地で開業医をしていた。
この父の為に有志の方々が集まられて≪相浦三郎君を想う≫なる小冊子が出版された。寄稿して下さったのは地元の経済界に医師会を代表される重鎮の方々ばかりでご健在の方も多い。
内容は〝遊び〟に乗っかる話ばかりです。クラブ、ボート、酒、カメラなどで医療に関しての寄稿は一件もありません。付き合いで寄稿に応じてくださった環境だけで生まれた本ではない証なんでしょうか、文章の背後に〝父を嫌っておられたことが臭う〟投稿もありました。これこそ本物だと私は受け止めております。
歓楽街での女遊びから源氏名まで出された地元では有名なデパートの亡き会長の内容には笑っちゃいました。反面、泣きました。
まさに追悼です。

八月二十五日夜明け前、聖女クララに透明になった彼女の思い出は尽きません。
この娘を妹とする姉との三人の席でのこと、何かの話から亡き父が話題にのぼった熱く長い夜がありましたが、この照れ臭さの中、つい、この小冊子まで一言二言、私は取り上げてしまったのです。
別に色づけしたわけではありません。時代は徳川家康の本のブームでした。読んでいなかった私です。時の姉妹の優しく穏やかで柔らかな映像が明日の音声を想像させるかのように脳裏にこびり付いているんです。

二十五日は他のご先祖の月命日に重なってしまったので、彼女は二十四日とされました。喪中に在る時から既に亡父の追悼本に重ねてしまい、彼女の本を書き上げるのを使命と考えてきた私です。
御山から書き直し書き直ししてきた原稿を積み上げると一メートルを超えていましたが、ほとんど使えません。なぜなら記憶を失っていたときの内容は私自身が意味不明の部分が多いんです。加えて日記は大部分を焼失させてしまいました。焼失前に、時の必要分を書き写していたのが残されているだけです。
この原稿を土台としてブログを書いてるんで時々わたし自身が分からなくなる箇所から順序になってしまいます。困ったもんだ。

嫌な部分での投稿が終わって、一息ついています。まだ頭の切り替えが出来ていません。
明日からは別の苦しみ、離散家族の投稿です。が、これは院長という他人が如何のこうのではなくって自分自身を抉ればいいから気は楽です。
ペンネームについては「八月のクリスマス」ってのを使ってたんですが外国映画に使われ、アッタマきて捨てました。今は別のを使ってますが、これ他のブログのタイトルにしてます。

 

 


カネより大切なもの

2012年06月24日 10時19分04秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月24日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年10月18日



 【十一夜 ☆家族】 から

四十九日を過ぎる十月でした。
わいせつ行為と看病の落差を思い知らされました。
そして、院長は〝婿養子〟だと聞かされた。別宅という悲しい生い立ちの星を持つ彼女こそ正統な血筋でした。

この姉妹が私から商品を購入していたのは私を自宅に招く口実であり、この年月において私に妹との結婚を承諾させる心積もりの姉だったのです。
院長の〝妹を忘れないために保養所の建設〟話は妹の嫁入り道具めいた商品を現金化して搾取する謀略だったんです。



かわいそうでかわいそうでたまらなかった。

わたしさえ姉妹との歳月において一つ一つの〝奇なり〟な事実を翌日に持ち越さない生活で歩めていたら、乳がんにさえならなかった。
それに記憶を失わなかったら、この彼女の家庭の問題が地域をも巻き込み、果ては日本列島を東京を恐怖に陥れる数多の事件も何もかも、発生しなかった。

彼女の墓標の設計で自宅を訪問していた時の姉の呟きを思い出します。

 油断していました。引き取らなければ良かった。(彼女が史上最年少で選ばれた社会的立場)を習わせても何にも成らなかった。あんなに不幸な子はいない。わたしが代わってあげたかった。わたしも長生きできません

火葬でも骨壷に〝抓めるだけ〟さえも延命治療のために骨は脆くなってしまうらしくて消えうせ、ここでも姉の涙です。

私が仕事を家庭を第一として姉に事実を話せても、その日も〝〟は在る。床で仕込まれた、夫による夫の為の作り話で妹は二度も殺されたとなれば院長どころか巻き込まれて苦しむ方々が大物すぎる。四面楚歌の苦しみ、七転八倒の毎日だった。

 なにより、姉は生きていけなくなる。



それでも後見人に電話を入れられた。
電話口に出られた病院長は私に何ひとつも言わせず一気呵成に、
「養子とは知らなかったんだろう。カネでも何かあったらしいが(それは自分には)関係ない。これ以上、姉を苦しめないでくれ。俺が許さない」

黙ったなり、私は切りました。捲し立てられた後見人とも、これっきりです。電話を取られた交換の女性に名乗っただけで、あとは一言も発せずに切っている。



先代が亡くなられ、〝若すぎるけれど(姉の家の職業)の跡を継がないといけない〟の姉でした。まだ二十歳か、その前の姉です。
候補者選びが始まった。お見合いの相手は当初、他におられた。が、〝好きな相手が居ます〟と釣書で断られている。

院長として、お鉢が回ってくる。

 「運が良い。運は大切だ。
   「この男は後悔している。
   「(セックスの技)婿入り前に勉強した。
   「カネより大切な物は無い。
   「カネで買えない物は無い。



四十九日を過ぎてから、養子、養子とポンポン飛び出してくるようになった。それまでは一体なんだったんだ。これを〝世間〟で片付けてしまうのはお年寄りにお任せします。

はっきりしていること。それは、
人を、院長を如何のこうのといったって今日から始まらない。
自分自身はどうあるべきだったのか。その部分で【ひとつで二人を生きる】
この中に、カネより大切なもの、カネで買えないもの教えてやるという熱い者を感じている。




椿灰

2012年06月23日 21時18分25秒 | 朝顔 「椿灰」 

 

百億持ち米国逃亡の国際問題と原点 2012年7月3日

 

「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」 2012年6月28日

 

憎しみを植え付けてはいけない 2012年6月27日

 

極悪非道の性暴力が日本史上最大となる暴力団戦争と絡み合い都政最大となる抗争を勃発させる。これら一切を闇に葬るべく私を犯罪者に仕立てようとした警察から追及し続ける今日です。

 

産婦人科を開業の亡父でしたから 2012年6月26日

 

まだ会えない娘に伝える看取りの家 (の中から 6月26日)  2012年6月29日まで

 

「クララってご存知ですか?」 2012年6月25日

 

「 女の家 」 2012年6月25日

 

姪の浜で産婦人科を開業していた亡父です 2012年6月24日

 

カネより大切なもの 2012年6月24日

 

カネで買えないもの 2012年6月22日

 

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 6/6 2012年06月04日、05日、21日
 この性暴力を何で忘れられようか。歳月で許せようか。 啓子さんの無念は必ず晴らす。仇は討つ。

 

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 5/6 2012年6月20日
「許されないっ!奥様は優しい方だが厳しい方だ。亡くなった妹さんでそんな事が分かったら大変だっ!!」  私が院長から聞かされ続けたままで学び取ろうとした途端、まるで雷に打たれるかのように前のめり

 

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 4/6 2012年6月19日
 「働かずとも」 とは、岩田屋久留米店と西鉄久留米駅との相互依存   あらすじとなる全体像は、 【  朝顔  】 を。

 

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 3/6 2012年6月18日
 「あれは(姉に妹の嫁入り道具みたいに)頼まれて(姉妹の代役で)買っていたんだ。カネは(妹への財産分与の分から前倒しで)出しますからと頼まれて仕方なくお前と会ってやっていただけだ。貴様なんか

  

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 2/6 2012年6月17日
 『妹の為に喪中は(私を)許してあげるように』 願われたらしい姉。   十月中旬の職場の応接室に、看護婦さん達も事務も全員を早々と帰らせた後の刻限で呼び出された私が座るや否や、

 

99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 1/6 2012年6月16日
 この性暴力を何で忘れられようか。 歳月で許せようか。  啓子さんの無念は必ず晴らす。 仇は討つ     ≪妹に見せたかった。連れてきてあげたかった≫たる文言を墓碑銘の〝上の句〟として、

 

入院から四十九日までの概要 3/3 2012年6月15日

 

入院から四十九日までの概要 2/3 2012年6月14日

 

入院から四十九日までの概要 1/3 2012年6月13日

 

姉妹愛の病室 2012年06月12日

 

記憶喪失への扉 2012年6月11日

 

地獄の門が開く 2012年6月10日 
 関連記事は、19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた 御山での生活です。

 

天国の門が閉じ 2012年06月09日 
 こんな恐ろしき犯罪に巻き込まれたなんて自分でも今でも信じられない。もうひとつの人生を悪い夢で見続けている覚めぬ長い夜かもしれません。

 

復習かつ大学病院での性犯罪かつ予習 2012年06月07日
 この物語に一生を賭けてしまいます。

 

5/6 肉を斬らせて骨を斬る 2012年06月06日
 2009年7月10日金曜日 にてブログを開設してから、もうすぐ三年になります。
警察を沈黙させた功績がうれしい。
自由を与えてくださったブログからTwitterには感謝しております。
それまで、特に阿蘇では事ある毎に毎日のように向かってきていた。
今はピンポンどころか探りの電話さえ皆無に近い。
この開放感は素晴らしい。
生命ある限り服用しなければならない薬が如くに投稿、活動し続けます。 



 


カネで買えないもの

2012年06月22日 20時11分01秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月22日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年10月17日


 【十一夜 ☆家族】 から

不文律を持ち出すしかなかった私です。

 「さっき弟から聞きましたが養子なんでしょ」
 
 「『養子』と名札をぶら下げんといかんのかっ」


私が言葉にしなければならなかった背後関係を棚に上げるどころか葬り去った表看板で怒鳴り挙げた院長に、


 「赤ん坊の頃から面倒を見てやっている、凄いカネが掛かった、住まわせてやっているとか散々言いたい放題でしたが、あそこは彼女の家じゃありませんか」


 「ああ、そうだ。とんでもない事を言う奴だ。土下座して謝れ!」



家具屋の兄が喫茶店における弟との私の話を聞き、心配して戻ってきた。

院長は〝養子〟の件を私に漏らした弟への文句を兄に言い、兄も〝後で注意しておきます〟と謝罪している。この中においても〝言葉巧みに私に言わせた会話を録音して奥様用に編集したテープ〟を使おうかと院長は兄の方に相談から同意を持ちかけているが、

 「使わない方が・・・

 「どうしてだ」




そんなことも分からない院長だったのかと私は呆れ、この時ばかりは締め付けられる情けない胸の内を家具屋と共有しな、院長と睨み合っていく、

 「(奥様は)蔵の中を見せてもくれん。仕事なんかせんでもカネはあるが養子に入る条件として代々の(院長の職業)は続ける約束事があるからだ。医者は趣味だ




院長は怒鳴り、家具屋は笑っていた。図に乗る男たちは黄金の旗色で大笑いする。こんな算術なんかよりも未完の大器を最大漏らさず希求したかった私は、その、彼女の話題に移る。すると、



 「見舞いに行った」

 「(病室に)入れたんですかっ!」

 「入れるはずが無いだろう。だが病気見舞いに行くのは当然だ」



家具屋が弟から聞いたらしい〝この見舞いに行った、行かない〟の話の訝しさに首を傾げる時、

 「こいつは行ってない

にたにたした顔で院長は〝してやった〟の含み笑いにに得意げに受け流す。



 「妹さんとそうだったら、どうして行かなかったのか」

私が答えようとした言葉に被せてくるのは、

 「知らん。行きたくなかったんだろう」



院長は吐き捨てた。有頂天になって高笑いする。



 「(私が)何か言いたそうですよ」

院長が、家具屋が、ソファの角へ、隅へとめいめいの席で後ずさり、身構えてから、

 「(私の)顔色が変わる



 「妹の話になると前からこうだ



家具屋が院長に目線だけで問い返していく、
院長は自らを奮い起こすかのように、

 「何か言いたい事があるのか。(一族)にも責任を取らせてやる

 「関係ないでしょ」

 「知ったことかっ」

ふらふら、起立した私。
めらめら、一人の男としての私事だけで天国の彼女を抱き上げる。

 「このまま帰していいんですか」

 「こんな奴に何ができる」



 かわいそうでかわいそうでたまらなかった。

 

 

 

 

 


99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 6/6

2012年06月21日 22時51分26秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年06月04日、05日、21日

この性暴力を何で忘れられようか。歳月で許せようか。
啓子さんの無念は必ず晴らす。仇は討つ。

あらすじは、【  朝顔  】

99年間働かずとも有り余るカネ、の意味は 岩田屋久留米店と西鉄久留米駅との相互依存

 


 2009年10月16日                   

                    

【七夜 ★真相】 から


院長の待つ応接室に戻った私です。
(このブログでは多分最後となる最低最悪の性描写を入れなければなりません。そこは流し読みして下さい)

「早く払え。いつ払う。払わなければ(私の仕事)をやっていけなくしてやる。世間はおまえより俺の言う事を信用する。(セックスで洗脳している姉も)だ。言っても無駄だ」

またしても姉との夜を持ち出す院長であり、

「一度握った力はどんなことをしても絶対に手放さん!!

以前に自慢していた警察の私物化(投稿済み)をも院長は語る。が、関係ないとの私の表情が、思いが妹に在ると見るや、



「(その社会的立場としての妹を)辱しめてやりたかった。
(〇〇も抜け落ち)つるつるで赤ちゃんみたいだったぞ。
(見えるようになった〇〇は)ピンク色で(・・・・・)きれいだったぞ。
助けを求めていたが知ったことかっ」



見せびらかしたつもりなのか、卑しく笑う院長の対象は姉であり、延命薬の妹に果たせた積年とか言う身勝手極まりない恨み、おぞましかった。
加えて、生まれつき陰毛の無い子と付き合った経験があった私は様子から感覚を思い出してしまう。不思議と静かでした。突き抜けていたのかも。



「(彼女の体を)もったいなかったな。哀れな〇〇〇(彼女の社会的立場)」

へらへら笑っている。



「死んだら(死ぬんだったら)終わり。今まで苦しまされた分、楽しませてもらった」



などど言いながら、カネとセックスの絵図面を思い出して頭の中に描いている。



・・・・・仕上げたらしい。



不文律を持ち出すしかなかった、

 

 

 

 


99年間働かずとも有り余るカネの悲劇 5/6

2012年06月20日 21時45分06秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年6月20日

あらすじとなる全体像は、【  朝顔  】 を。


 


2009年10月13日


6/6

「家に住まわせて・や・っ・て・
とまで私が話した瞬間だった、



が椅子から飛び上がった。

「奥様が知られたら許されないっ!
「奥様は優しい方だが厳しい方だ。亡くなった妹さんでそんな事が分かったら大変だっ!!


私が院長から聞かされ続けたままで学び取ろうとした途端、まるで雷に打たれるかのように前のめりに椅子から飛び上がった弟は吐き散らしながら独走してくれた、

「あの人は養子だ。旧姓は〇〇〇〇だ」



その〇〇医院は私も知っていたし、赤のフェアレディZを覚えてもいた。〝今年はプールが作れない〟との話も。

私に見舞いを許せば、病室における姉や姪との一日二十四時間での看病となり、普通ではいられない中で、突然に、くるりん、白日の下にさらされたでしょう、不文律の事実、養子。

彼女が何度も飲み込んでいた〝家の秘密〟は、これだったんだ。義理でも兄から私に、自分が〝どう言われているのか〟を知り、私に打ち明けようとしても打ち明けられなかった、公然の秘密。
公然というからには知らなかった私が最も罪深い。

目から鱗とは良く言ったもんだ。電光一線され、今の今までもやもやしまくってた一切合財、

“くたばりぞこないの我が身を知らしめる”

彼女は、その性暴力の病室でも、姉に〝その夫〟を言わなかった・・・凄い。凄すぎる。

見舞いを止め続けた件から、商品の代金は彼女の墓標とする土地建物の購入代金に充当する件など。私を信用させるべく姉も一緒に【御山】に連れて行き、院長としては私の資産ともなる土地の場所も覚えておく算段だったと姉に知られたら、間違いなく、あの家を身一つで追い出されたであろう。
身を守る必要に迫られた。そして、それは新婚から欠かさない〝夜〟の方法とは同じ軌道を走っていく。

兄の方が喫茶店にやって来る。
入れ替わりに、私は院長の待つ応接室に戻る、