横濱kabitanの、あれこれ話

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ヨコハマ国際映像祭2009 その一

2009年11月04日 05時45分43秒 | 横浜文芸関連

:原稿なしで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

〔本題の前に〕
 お渡しした名刺でこちらに来てくださった方へ-
 名刺もらいながら,一度も連絡せずにすいません。
 コメント欄に是非書き込んで下さい・・・何か,凄く勝手ですいません・・メールでどう書いて送ればいいのかわからないもので・・・

〔本題〕
 今日が初で,藝大馬車道校舎で12時:映画「ペターミント」18時:「現代中国映像(全ジャンル短編集)」に新港ピアでのフォーラム「セッション5:人間らしさの秘密-肖像・視線・追跡可能性」を観賞。
 この中で,特にセッション5での討論会が一番刺激的でした・・・なんせ,終わり近くになって論者と客のトークバトル化したのですから-
 
司会:(多摩藝大・文化人類学/クリエイター)港 千尋
ゲスト:(映画「ガンジーの分身(2002年)」監督/文化人類学+映画作家)エマニュエル・グリモー
    (舞台演出家/メディアクリエイター)ザヴェン・パレ
 内容要約するとゲストのお二方はどちらも西洋文化圏の方で-
 最初にエマニュエル氏(インド映画制作中心地にスタジオを構え,そこで文化人類学+自動人形研究と映画制作に励んでいます)が,スタジオがある所で知り合って映画制作に乗り出すきっかけになった≪ガンジーのソックリさん≫を通じて
〝似ているという肉体そのものが語る,イメージの強力さ”
を知る上で,その逆で
〝本物にはどうやっても似せる事ができないがあいまいな所で見る手がそういう風に見る”
と,感じられたそうです。そして,インドで神様を自動人形にしている人達とも知り合い彼らから「昔は,映画館で動いている神様を見に人々が来ていたが今はそれではこないので一層いつでも見れるようにこうして自動人形を作っているんだ」と,いう話を聞いたそうです。それから,映画撮影に自らやりたいと言ったガンジーのソックリさんは良くも悪くもインドでは有名人でガンジー本人がなくなってからガンジーの姿を追い求めるように色々な所に呼ばれ生き写しのように拝まれてもいるそうですが,いざ,街で彼と一緒にいても周りの人々は全く驚かずそれが普通だと受け入れているというのに,エマニュエル氏は普通(欧米では)いるだけで大騒ぎになるのにと大変驚いていていました。
 質疑応答で,私は「ソックリさんがいても騒ぎにならない」と驚くエマニュエル氏に「海外では大騒ぎになるような大有名人も,日本では〝同じ空間を共有する仲間”として皆仲良くそこにいる」と話しました。実際,海外の人気アーチィストの殆どが「活動の本拠地にしている国では,メディアやファンからいつも見られ何かと突っ込んでくるのでいつもビリビリしているけれど,日本だと自分達を知らなくっても応援してくれるし優しくしてくれる。それに,観光ができて遊んでくれる(音楽関係の番組企画で色々やらせてくれるので)」という言葉をよく聴きます。アジアツアー全体にもそう傾向があるらしいです。エマニュエル氏は,インドで日常的にきわめて東洋的な物に接しながらそういう研究(文化人類学)なされるせいか東洋的思考に近づきつつあるように感じられますが,エマニュエルさん,積極的にインドの庶民的空間に通っていますか?話を聞いていると,まだ壁みたいなのを作って壁越しでインドを見ているように感じられますが・・・私も,自分の(大衆-子供-娯楽文化)研究上必然的に現場に行く場合が多く年から年中小さい子供らと一緒になって「ドラえもーん♪ピカチューウ♪」と騒ぎプレゼントもらって喜んでいます。ですが,良く研究している人は研究資料や外で伺ってばかりで現場によりつかない人が多いような気がします。だいぶ,それを反省して飛び込んでいく人も増えてはいますがね。

 ザヴェン氏は西洋文化から出ず,「目線だけで感情が表現できる」とひたすらそれだけを探求し,一方ではありきたりな表現はしたくないとも言っていましたが会場全体そして司会の港氏に先のエマニュエル氏も何とも「それ,違うんじゃない」的零囲気になっていましたがザヴェン氏,そこで典型的西洋人のロボット不快感発言したために皆に反論(みたいなもの)されました。
 質疑応答で,私は現在ブログで進行中の【日米コミックス比較】を持ち出して「(アメリカコミックス版『ゼルダの伝説』の事)あるアメリカのマンガを紹介する際,著作権の都合上要約イラストを自作する事になりましたがそこでアメリカのは表情や背景はひつこい位に書き込んでいる割には動きがないので見ていると気持ち悪いので,逆に表情も背景もあいまいにして動きをつけたらしっくりした。それに,ザヴェン氏が後後々見るという文楽や現在NHKで15年ぶりに人形劇が復活しているけれどそれらは殆ど顔が動かず動作で感情を表現してるがそれを見る手がしっかり理解している」と言いましたら,ザヴェン氏と港氏が同じように「それはドラマということをいってるんですね」と言って港氏は「文楽が好きな人はそれらを型として理解しているから」とも言っていましたが・・・・私からとしてはそれは違うと思います。かなり前から,文楽・能・歌舞伎に触れた事がない若い人や小中学生から外国人までわかる様に公演会が行われてそこでそうした演技の世界を知っていく初心者が増えてきています。私も,話しながら文楽の≪泣く≫という演技を実際しましたがそういう伝統演劇には全くの素人偶然ちら見で理解できました。やはり,これは先のガンジーのソックリさんではありませんが全体的な零囲気で理解できるもので前回と前々回に掲載した大手アメリカコミックス出版社がコミックスの少女向けを出す話の上でマンガとコミックスの違いを上げていますがあれも表面的なもので日本の伝統演劇からマンガアニメゲームにいたって全く同じ文脈が流れています。それは≪細やかな表現・見る人の年齢に問わず同じ視線でいる≫です。それだからこそ,娯楽は娯楽・マンガアニメは子供が見るものと考え易い西洋文化圏の娯楽作品から一気に日本産に傾いたのは「ポケモン」で日本人の物造りへの姿勢を知り,自国の物にない物を感じ共感したからにすぎません。

 結局は,自分の大衆娯楽研究の話になってしまいましたが今現在西洋娯楽芸術文化は弱まって,逆に日本・中国・韓国・インドを核にしたアジアンパワーが日に日に強くなったいるのが≪フランス短編アニメ≫≪イントゥ・アニメーションでの,カナダ短編作品≫≪現代中国映像≫と続けて見ているうちに感じられました。
 今後,期間中,≪現代エジプト映像≫≪現代日本アニメーション≫なども見ますので,そこで更に追求してみます。



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