文明開化と平仮名英語

流れるような筆使い、崩し字満載の平仮名で書いた英語は日本国開国・文明開化の一時期を象徴するような出来事でした。

7 こゑのつかひかた(3-1)

2008年12月22日 | 発音談義
  清水卯三郎の発音談義「こゑのつかひかた」(声の使い方)、全十九項目のうち三番目をここでは「その3」として扱う。

その3:「ラリルレロ」の「ル」について<たて筋のあるルの文字>は、「ル」とはっきり云わないで<ほのかにいふべし>として例示に数字の四をとりあげ<フォー>から<フオー>(four)、昨日は<イステデイ>から<イステーデイ>(yesterday)を示している。これで伝来の語尾ルという呪縛から脱出できそうだ

更に、ことばによって<アヤワ>と云うとして例示に火をとりあげ<ハイ>から<ハイ>(fire)、昨日は<イステデイ>から<イスデイ>として<テアつめこえ>、更にひよりは<ウエーゾ>を<ワ>(weather)<ゾアつめこえ>として分解している。尾崎冨五郎の云う[6(2)、6(3)参照]のびちゞみちゞみ手のうちを見るような気がしてならない

また<きみ君シ>を<シー>(Sir)。例示のものはかなり難解だ。何回かトライしてみよう。

「ル」以外の「ラリレロ」もたて筋のあるものは、同様であることを示している。


7 こゑのつかひかた(2)

2008年12月15日 | 発音談義

 

 清水卯三郎の発音談義「こゑのつ可ひ可多」(声の使い方)、全十九項目のうち二番目<ことばのしりのトまたドにとどまるもの>第二丁表末尾の二行と第二丁裏始めの四行のそれぞれの画像を合わせたところ、ご覧の如く丁数の二がぴったり合って、なんとなくホットした。

 さて、語尾のt 、d の読みはただ「その声を強くつづむるのみなり」は、英語を習い始めのころに、ローマ字式の発音で悩まされたことを思い出す。これはまさに<やまとのひとに、なきこゑ>で、「ト、ドの心をふくむなり」の教えは、かなり実践的というか、現代にも通用しそうだ。この教えに従って声を出してみよう。若し合点がいけば、卯三郎の教えが現代に甦るかもしれない。

 最終行に<たて筋のあるルの文字>が見えるが、この文字については次回、取り上げる予定。


7 こゑのつかひかた(発音談義)(1)

2008年12月08日 | 発音談義

 

ゑんぎり志ことば』の第二丁表から第四丁裏まで、全十九項目にわたり清水卯三郎の発音談義「こゑのつかひかた」を聞くことができる。この説明解説は、実践的な言語活動の現われとして高く評価されている。その詳細にわたる解説の素晴らしさに惹かれて翻字の煩を恐れず杉本つとむ『日本英語文化史の研究』を頼りに、発音の奥儀には手だ届かないまでも、その入り口あたりを模索してみよう。「こゑのつかひかた」原文の最初の一項目は前書きを兼ねた書き方になっている。見出しを含めて全十行を挿図(早稲田大学:文庫08c0566 ) に掲げた。

  まづ冒頭の<ゑんぎり志と、アメリカは、その言葉、同じきといへども、アメリカは、訛る声あり>とあって、英語と米語を区別しているのに驚かされる。次いで、「アぬき、ヱぬき、オぬき」について、「いとまぎらわしくして、わがたふとき、やまとびとの、ごとくあきらかなぬゆゑに、なれぬひとは、ききとりがたし」この言い回しがなんとも言えない。場数を踏んだ卯三郎の鋭い感性が生かされているようだ。解説に従って発音を.声を出してたどってみよう。なるほどと合点がいけば、卯三郎の意図したことがキット伝わってくるに違いない。

  さて、外見的には、読点(とうてん)が目立つように大きく明瞭につけられている。崩し字に振り回されている素人には意味の区切りがはっきりする読点は有難い。また、左側にはみ出したように書かれている二字分に相当する「縦長のし」がなんとも云えない。その書かれた箇所を見ると省スペースの書き方の見本のようにも思われるが、如何であろうか。終りに「やまとのひとに、なきこゑあり、またかなづかひのことなるあり、いまこゝにそのことをあげしめす」として、以下18項目にわたり説明解説が続く。場数を踏んだ学者であり事業家であり商人であった卯三郎の説明解説を次回から順次聞いてみよう。


6 いふこころなり (発音談義) (3-3)

2008年12月01日 | 発音談義

㊤<実用便>㊥<手引草>㊦<アソム氏手引草

6(1)に次いで6(2)で例示の<紙のことをペープルと書いてあるなれども云うにはペーパーというようなもの>を6(3-2)の関連比較表を再掲して検証してみょう。

<ペープル>はどこにも見当たらない。それに近い<ペーパル>も<アソム氏手引草>のみ、<云うにはペーパーというようなもの>とあるのは意味合いが少し異なるが、<実用便><手引草>の<ペーパア>を認めてもよさそうだ。しかし、序文<6(1)><6(2)>で説明しいることと、本文用語の英語の片仮名読みとがごく近いのはこの挿図を見る限り<アソム氏手引草>だけである。

石橋正子「錦誠堂尾崎冨五郎出版目録(稿)」#33において<実用便>をとりあげ、#57で<アソム氏手引草>を取り上げているのは、それぞれ巻末に掲載の出板広告をはじめ、他の出板物との関係も含めて専門家としての判断で年代を予想してのことであろう。つまり、#57の方が年代的に新しい位置づけとしている。

この序文は、当時、庶民に発音の急所を教える画期的なものであったろう。とすれば、序文と本文の用語との関係が一致(類似)している<アソム氏手引草>が初めにあって、やがて話す通りに書くという耳学問の成果が<ペーパル ⇒ペーパア>に現れたと見るのが自然の成り行きと思われる。
時間の経過とともに序文と本文用語との関係が薄れ、序文が独り歩きして言行不一致と云うかアンバラな<手引き草>が生まれ、それを土台にして<実用便>が生まれたと想像してみたが如何であろうか。識者のご教示を仰ぎたい。

尾崎冨老(佐野屋冨五郎)の<いふこころなり >を聞いているうちに、その種本は清水卯三郎著『ゑんぎり志ことば』の「こゑのつかひかた」(発音談義)にあったのではないかと密かに考えるようになった。次回からその「こゑのつかひかた」を尋ねることにしよう。