序文がほぼ同文の3書について、序文の趣旨を本文の用語にどのように反映していたか、確認用のサンプルを挿図として掲げてみた。
掲載の3書については、下記の略称を使用する。
㊤<実用便>㊥<手引草>㊦<アソム氏手引草>
先ず、6(1)で提起した疑問「スタアル、ワートル」をはじめ「よこへ寄せて小さく書きたるル」について本文の用語の中でどのような表示になっているか確かめてみよう。
<実用便>では、「・・・ル」とあるのは「水 みづ ウヲートル」と「来年 らいねん ネキストイヤアル」の二箇所のみ。しかも、よこへ寄せて小さく書かれていない。
<手引草>においては、<実用便>と全く同じ。強いて言えばネキストの「ネ が 崩し字の子」となっているくらいで、そのほかは全く同じといってよい。
<アソム氏手引草>では、例示の七文字すべてが「ル」で終わっている。そのうちニ例を除き五例すべてがよこに寄せて小さく書かれている。先の二例が何故よこに寄せて小さくかかれなかったのか、むしろ殊更に大きく見えるような気がしてならない。
これら3書を見比べながら、あれこれ想像をめぐらしている。 <手引き草><アソム氏手引草>の二冊は程度の差こそあれ親子の関係と密かに思っていた。しかし、ふたを開けてみると、似ているところは6(3-1)で見た序文だけで、その他は、違いが甚だしい。
不思議なことに<実用便>と<手引草>は、ご覧のようにあまりにも似ている。敷き写したのではと勘繰りたくなるほどだ。これは如何なる<こころ>なのか。