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川崎重工業会長田崎雅元氏に関する神戸新聞記事が面白い。
田崎会長は、川崎重工業130年の歴史の中で、本流の造船部門ではなく、二輪車部門出身の「異端」でありながら、2000年に社長就任後「改革を断行」、「川重を変えた男」とのことである。
「六五〇CCの大型オートバイにまたがった瞬間、田崎雅元(71)の表情が変わった」との記事の書き出しで、「アクセルを回し、時にブレーキをかける。これは経営にも通じる。大切なのはスピーディーに、そして柔軟に動ける体質になること」と指摘している。
まさにその通りである。
「意思決定が何層にもわたり重ねられて行われる」企業体質であれば、意思決定はそれだけ遅くなり、「意思決定がもたらす効果」も期待した成果をあげないこととなる。
田崎会長は、13事業部を四つのカンパニーに束ね直し、取締役の数を半減したとのこと。また、「聖域」だった造船部門を分社化で切り離したとのこと。
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記事は、「『縦割りで変化に弱いのが重厚長大の欠点だ。組織を組み替え、社員の帰属意識に柔軟性を持たせた。変化にこそチャンスがある』。
持論は『重から柔へ』。2007年3月期連結決算は10年振りに過去最高益を更新した」と展開していく。
いわゆる、100年を超える歴史の中で、阪神工業地帯の中核企業として歩んできた企業も、「重厚長大の弱点」を十字架として背負い、苦しんできた。
川崎重工が2007年3月期に10振りに過去最高益を更新してきているということは、まさに、「重厚長大産業の復権」を印象付ける。
もっとも、田崎会長流には、「重から柔へ」の哲学が浸透し、機能し始めた結果であるということになるのかもしれない。
いずれにしても、宋文洲流に考える場合、「過去の成功体験を一旦ご破算にし、ゼロの状態から物事を組み立て直し、そこから出発する」気概が必要であり、田崎会長はまさにそれを実践してきたことになるのだと考える。