ごんぎつねの独り言 ~技術士試験(建設部門:道路、総合技術監理部門)の受験記録・ブログ~

不器用で、愚直で、貧乏くじを引くのが大得意な "ごんぎつね" が本音で綴るブログ。 恐縮です(^^ゞ

「建設コンサルタント」 って

2009年03月17日 | 技術士(二次)
技術士第二次試験の統計情報によると、「建設コンサルタント」 に勤務する方が受験申込者の半数超を占めている。
技術士の中では保守本流といえる。

コンサルタントというと非常に高度で専門性の高い職業というイメージがある。
これまでに接してきたのは、マッキンゼー、A.T.カーニー、プラスウォータハウス等の 「戦略コンサルタント」 の方々。
しかし、業務において「建設コンサルタント」 専業の方々と 接した経験はないため、気になっていた。

「戦略コンサルタント」のように相手が専ら一組織ではなく、社会や自然を相手にし、科学技術を応用している。
そういった意味での醍醐味、面白味があり、公益性という観点も大きく影響する。

少し調べてみることにした。

国土交通省のサイトの 「建設コンサルタント日本を創る」 を参照しながら、「建設コンサルタント」 の概要を整理する。

● 建設コンサルタント登録制度とは
主に土木に関する21の登録部門の全部又は一部について建設コンサルタントを営む者が、一定の要件を満たした場合に、国土交通大臣の登録が受けられる制度。
なお、登録の有無に関わらず、建設コンサルタントの営業は自由に行うことができる。

※「ウィキペディア(Wikipedia)」 より
登録制度上では登録の義務というものはないが、実質的には公共機関は登録業者にしか発注できない。
小規模で他方からの受注(大半は下請け的なもの)だけを行う建設コンサルタントなどでは、資格保有者がおらず登録もしていない、ということもある。

● 登録の要件
次の2つ。
・登録を受けようとする部門ごとに 「技術管理者」(技術上の管理をつかさどる専任の者)を置くこと。
 技術管理者は、登録部門の技術士であること。
 技術管理者は常勤し、その業務に専任すること。
・財産的基礎又は金銭的信用を有すること。

● 登録部門
次の21部門。
・河川、砂防及び海岸・海洋部門
・港湾及び空港部門
・電力土木部門
・道路部門
・鉄道部門
・上水道及び工業用水道部門
・下水道部門
・農業土木部門
・森林土木部門
・水産土木部門
・廃棄物部門
・造園部門
・都市計画及び地方計画部門
・地質部門
・土質及び基礎部門
・鋼構造及びコンクリート部門
・トンネル部門
・施工計画、施工設備及び積算部門
・建設環境部門
・機械部門
・電気電子部門

● 登録の有効期間
5年間。
(申請により、登録の更新が可能。)

● 登録を受けると
登録業者は、現況報告書等の書類の提出義務がある。
建設コンサルタント登録規程には閲覧制度があり、提出された書類は本店所在地を管轄区域とする国土交通省地方整備局(北海道は北海道開発局、沖縄は沖縄総合事務局)で閲覧することができる。


また、「ウィキペディア(Wikipedia)」 を参照しながら、「建設コンサルタント」 の歴史の概要を整理する。

● 建設コンサルタントの誕生
建設コンサルタントが事業として初めて成立したのは、19世紀初頭の英国においてあり、産業革命に伴う大規模な社会資本整備にむけ設計から施工を担い利潤を得る建設会社とは別に、設計に関する高度な技術を持ち、施主に対して利益になるよう仕向け、建設会社との仲介的な技術者たちが活発な活動を始めることになる。

建設コンサルタントが日本に誕生したのは実際には比較的新しい。
戦前まで日本における生活基盤や産業基盤などの社会資本の整備は、一部を除いて基本的には行政によって直接実施されていて、省庁に所属する技官が社会資本の計画、立案、設計を行っていた。

● 昭和20年代
昭和20年代前半、戦後の復興に際して鉄道や港湾、ダム・河川といった国民生活に不可欠な社会資本の整備が望まれていたが、膨大な業務量への対応とそのなかでの品質確保が課題となる中、敗戦時に外地からの引揚者や軍の技術将校など多くの建設技術者の処遇をどう活用していくかが懸案であった。
日本政府は実際問題として連合軍の施設設営指令への対応、国土復興のための膨大な事業に直面していたほか、民間企業の設備投資も緊急を要しているものも少なくなかった。

そこで時の政府は、プロジェクトの調査や設計の一部を、当時欧米諸国にならって建設コンサルタントとして任せていくという方策を検案し制度化しようとする。
幸い戦後復興から社会資本整備の事業量は急速拡大、一連の業務のうち整備構想企画等を除き民間技術力の活用を模索する中、1951(昭和26)年6月に日本技術士会が設立し、コンサルティング・エンジニアを 「技術士」 とする新語を誕生させた。

● 昭和30年代以降
昭和30年代の高度成長期、産業の発展と都市機能の急速な拡大に伴って社会資本整備の必要性はさらに高まり、建設コンサルタントの需要は急増。
こうして昭和34年1月、建設省事務次官通達 「土木事業に係わる設計業務などを委託する場合の契約方式等について」 が通達される。
この通達によって、任意の事業について原則として設計業務を行うものに施工を行わせてはならないという、いわゆる 「設計・施工分離の原則」 が明確化され、設計業務(調査、計画、設計)を行う国内の建設コンサルタントの確立に向かうことになった。

この背景には昭和32年5月に成立した技術士法があった。
この技術士制度は戦後の技術者のあり方について、欧米式のコンサルティング業、コンサルティングエンジニア制度の導入が不可欠であろうとの結論から導き出されたとされる。
技術士法は原案から6年かけて1957(昭和32)年5月20日に法律第124号として無事制定される。

その後先行する国内のコンサルタント会社12社で建設コンサルタンツ協会が昭和36年4月に設立され、昭和38年には建設大臣の許可を受けて社団法人化する。
同年年9月中央建設業審議会から 「建設コンサルタントの育成対策について」 として、建設コンサルタントの活用をはかること、および発注者の便宜のため一定の技術的能力を有する者に限って登録を実施すべきこと、との答申が出されることとなる。
これを受けて、建設コンサルタントの業務内容等を公示し、これらの建設コンサルタントを利用する発注者の保護と利便をはかるとともに、併せて建設コンサルタントの健全な発展に資するため、昭和39年4月建設大臣から 「建設コンサルタント登録規程」 が告示され、建設コンサルタント登録制度が創設、これを契機に建設コンサルタントは飛躍的な発展を遂げる。

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