ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

恒例・大須アメヨコ電気街のウインドショップ研修記

2013-01-22 19:48:37 | 日記

 

 19日は「アマチュア無線家グループ」の毎月第3土曜日に催される、大須アメヨコ電気街のぶらぶらウインドショッピングの日でした。

このグループのメンバーは総勢18名で、それぞれアマチュア無線の局長で、通称ハムといいます。メンバーのアマチュア歴は40年以上の経歴の持ち主(ちなみにぼこ爺は55年)で、8割はリタイヤしたOM(オールドマンの略でハム用語)揃い。いずれもコールサインが「JA2○○○」や「JH○○○」といったプリフィクスであって1~2級アマチュア無線技士の資格揃い。

 そんな連中も、下は65才から上は85、6才(ぼこ爺ともう一人)と、決して若くないジジイ連中の集まりである。現役時代は、銀行員、営業マン、バス運転手、そして電気関係技術者など職業もまちまちだが、無線を通じて知り合い、今日まで交際が続いている。

 かっては、忙しい現役時代にもかかわらず、若さと聡明な知恵で、真夜中でも遥か遠い国のハムと交信してエンジョイしていたが、リタイヤすれば尚更にアクティブになると思いきや、年々低下してきてしまった。
いうまでもなく、ぼこ爺も同じ傾向をたどり、今はVHS(超短波帯)だけで、グループの仲間や近距離のハムとの交信だけになってしまった。

そこで冒頭に戻り、大須の定例ミーティング(ハムではコーヒーブレーク)で午前10時に集まり、三々五々フリートークで和気あいあいと語り合う。以前は当然にアマチュア無線談義が主体だったが、最近はパソコン関連の技術談、そして昨今はスマホの技術話しになってくると、もうぼこ爺にの出る幕はない。

 それでも聞いているだけでも、知恵が吸収できて勉強になるから楽しい。ときどき変な質問をして失笑されるが。やがていつもの電気店めぐりでウインドショッピングモードだ。あちこちを覗き、面白そうなものを衝動買いしたり、互いに小田評に興じる。そして昼食タイムになると、これもお決まりの飲食店で800円の定食を摂る。そしてお値打ち品の自慢や批評談義に華が咲くが、殆どはパソコン関連の部品などの中古品やジャンク物だ。

 だが折角買ってもあまり活用されないものが多いようだが、高価でもないから執着もない。2,3年前までは、かって隆盛だった第1、第2アメヨコビルの電気街も必要があるハムが覗くぐらいである。
 

 それでも毎月1回、ジジイ連中、否OMの集まりは、何の制約の無いフリーで、勝手に喋り、自慢し、批評し、そしてお値打ちと勝手に思い込んで買い、昼食で和気あいあいと過ごすひとときは、高齢者には最高の賜物ではないだろうか・・・と思っている。

1955年 開局当時の無線室  
無線の送信機や受信機は真空管式。周辺機器や
テープレコーダーなどは殆どが自作だった。
まだ29歳の勢いがあって、楽しくアクティブだった。

第一アメヨコ電気街ビル   何かオモロイものは?

  

これは珍しいと・・・衝動買い  きょうは鰻のミニひつまぶしで

     

 

 

 


どんなものでも「ラー」とつけば箔が付きますかね~

2013-01-15 11:51:11 | 日記

 昨今、好みの化粧品、衣類、嗜好品や物、地名にほれこんで、それを使いこなして精通するギャルたちを「○○ラー」と尊称(?)するようだ。
例えばフランスの「シャネル」の愛好者を《シャネラー》「グッチ」なら《グチラー》「ドリーム」は《ドリラー》「ボージョレ」なら《ボジョラー》といったぐあいで、まだまだ数え切れんし、ぼこ爺では到底わからん。

 そこで判ったことは、舶来であれ国産あれ、それを愛好する人には「ラー」の尊称をつける、或いはつけられることで、一枚箔がつくようだ。最近、美容健康に酢がいいからと、「お酢ラー推進委員会」なるものが発足した。まぁこれは酢のメーカーの作戦だろうが。ひところ山を愛して登る女性を「山ガール」車大好きは「シャガール」などを、よく耳にした。勿論いまでもだが。同様に「○○ラー」とつけられた女性は、まことにいい気分らしい。

 こうして列挙していると、フト凡脳にあることが浮かんだ。そうかそうゆうことかと・・・・。
英語はからっきしダメだが、名詞のお尻に(er)がつくと「何々をするもの、または人」になる。
レスリングは「レスラー」ボーリングは「ボーラー」スケートは「スケーター」走るなら「ランナー」運転者は「ドライバー」などなど、これも書き出したらキリがない。

 だから「ラー」とは目新しいものでないと思う。
それなら自己流に色々とつけてみた。
名付けて(ボコジイ風ラー語)だ。
パソコン好きは「パソラー」デジカメは「デカラー」スマートフォンは「スマラー」酒やビールは「サケラー」「ビアラー」飛行機なら「ヒコラー」そのほか「マジャラー」「パチラー」はいかが・・・?。寝ころび好きは「ネコラー」お喋りやは「シャベラー」もおもしろいが。
まぁキリがないからここまでにしたい。

 ならばシメくくりに、吾がぼこ爺は「ボケラー」と改称してもよいか・・・とも。だが、あんまり変なことを羅列すると、さしずめ「ボケラー」とか「アホラー」の尊称を拝受することもなりかねない。
いろいろ御託を並べたが、この辺で「オワラー」にして終止譜にしておくとしよう。

 《シャネル大好きの》  《ボージョレ大好きの》

  シャネラー       ボジョラー       

 

 

 


だんだんとアウンの呼吸が合わんようになってきたわ

2013-01-10 14:09:27 | 日記

  あぁ今年もボコ爺は、またまた悲哀を蒙る1年となるだろうか。
たしかに歳を重ねるにしたがい、物ごとに疎くなるのは否めないし
ましてや目は緑内障を患い、右目だけの一つ目ジジイ。そして聴力の低下で補聴器をつけても言葉の内容を取り違えたり、聞き漏らしたりする。挙句に筋力も弱くなって、物をよく落とす。

 それらのフアクターが重なって動作が緩慢になってきたから他人さまでは歯がゆいだろう。
しかも日常,否応なしに一つ屋根の下のバアさんにしてみれば尚更のことだろう。

 それだけ多大な迷惑を蒙らせとると思うだけでも切ない。だが肉体的欠陥と衰えはもう挽回不可能だと言えるし、勢いのあった若さ漲るあの時代はもう戻らないことは言うまでもない。

  そんな状態の年寄りは、4,5年ほど前から、あの若き時代のツーカーが段々と通じなくなる気配となってきた。そして昨今では夫婦が互いに一歩具体的に言わないと、どちらも瞬時に理解しにくくなった。
もう目と目や仕草だけでは、その意味を読み取ることも疎くなってきたようである。

 したがって「あれ、それ、これ、あっち、こっち」だけでは、瞬時に理解できない。つまり「主語」がない《阿吽の呼吸》が合わなくなったということ。当然、長年連れ添ったのだから、細かく言わなくとも・・・と思われるが、もう私たちは往々にして呼吸が合わないことがある。

 それゆえに、日常で誤解、曲解などがありながら、何となく腐れ縁で生活しているということだろう。
あっち、こっち、向こうに、此方に、下のほう、上のほう、あの棚の上、横、そこの引き出しの中・・・」などなど、自分で判っているつもりが、うけるぼこ爺は、ウロウロしてしまう。

 まぁ私にもままあることだから、お互い様かもしれない。そして一瞬名詞をド忘れしてしまうのは誰しもあるかと言えるかもしれないが。「もうムチャクチャでござりますがな」と昔々一世を風靡した、漫才師の(花菱アチャコ)のギャグだが、若しかすると私たちジジババ夫婦はいささか当て嵌まるようにも思うがね。

 日に2回の点眼と補聴器を着用しても、阿吽の呼吸が合わんがね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マグロよりも、ぼこ爺の命は格安価格かねぇ

2013-01-06 19:57:32 | 日記

 

築地の初セリで1億5540万円の

最高値がついた、大間のマグロ

 あぁ・・・たかだかマグロ1匹が、されど大間のマグロの初セリ値が、なんと1億5540万円とは・・・。
しかも落札者は東京の庶民的寿司屋だという。
そんな金の卵のような高級マグロの大トロが、普段の値段で食わせるという、太っ腹だ。ぼこ爺も都内に居ればすっ飛んで行きたいくらいだ。

 だが落ち着いてよ~く考えると、これを釣った漁師の懐にどんだけ入ったかなあ・・・とも思ってみた。
確かに大金は入ったが、中間で手数料をしっかり取られたかもしれん。当然税務署も目をつけて、しこたまお召し上げになるから、実質は半分ぐらいだろう・・・と、トウシロで下司の勘ぐりだ。

 こっちには全くご縁のないことだが・・・。でもやっぱり気にはなる。そこでふとケッタイなことが頭に浮かんだ。もしもぼこ爺マグロが値踏みされたら如何ほどであろうか・・・と。

 いま道を横断中にクルマにやられて死んだ場合、自賠責保険しか適用されないと、状況によっては過失相殺を見込んだ場合、大間のマグロの価値とは大差で低い価値しかないだろう。しかも85才の高年齢では尚のことだろう。

 また自然にあの世に旅立っても、遺族の手元には、生命保険の何がしかないという値打ちである。
さすれば、この超高級マグロは例外としても、普通の大間のマグロの価値にも到底及ばない、わがイノチの価値に、いささか考えさせられてしまったがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オセチ料理は残りもんでエエと、ぼこ爺のやせ我慢

2013-01-03 18:41:36 | 日記

 

 アットと言う間に正月の3日間が終わった。
昨年の暮れの大掃除でばたばたして、少しはゆっくりできるかと思いきや、ぼこ爺やバアさんにとっては落ち着かん正月のような気がする。

 恒例のオセチ料理の殆どが、昔ながらのバアさんの手作りで、2組の娘夫婦と孫は僅かな手土産をもって来るだけだ。まあそれでも来て食べて飲んでくれるだけで老夫婦は嬉しいと思うのは、どこの親たちも同じ心境ではなかろうか。

 2人の孫は成人した大学生になったから、お年玉の出費は減ったが、よく飲みよく喰うのでプラマイで変わりはなく、世の中はそうしたもんだがね。またバアさんの料理はいつも味が変わらず旨いと持ち上げて、親は息子に負けじと箸が忙しい。

 こちらも負けじとお重箱から獲物を取ろうとしても、誰かの箸が挟んでいるといった具合だ。
まあ・・・こちらは酒の肴であれば何でもよしだから、取り皿にバアさんがそれぞれ一品づつ載せてくれた、この一回だけで酒の肴と相成った。
バアさんも、同様である。

 数時間のフアミリーのうたげ(宴)が終わって、娘たちの後始末を期待したが、バアさんがやるという。そんな言葉に甘えるだけではなく、好みの残りものをチャッカリパックに詰めて帰った。あぁ50代になった娘たちを、未だに甘えさせるバアさんは、いつまで経っても娘の母親が抜け切らない。娘たちに言いたい、80才の老母が元気だからといって甘え放しではあかんあかん。

 そこで毎年いつも1週間ほど、オセチが残って後始末に困るが、どういうもんか今年は、固い田作りの甘露煮、黒豆少々、旨煮の残り、そしてキムチだけではいささか侘しい気がした。

それならばとバアさんに、明日の夕食は少々弾んで飛騨牛のロースすき焼きで、じっくり嗜もうと決めて特別な注文をした。

バアさん手作りのオセチ料理の一部