おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

細胞診

2007年09月23日 10時18分50秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母は細胞診のため入院した。
翌日が検査だった。2泊3日の入院だ。
肺の細胞診が苦しいものだと聞かされていた。
母に大丈夫か聞いた。母は積極的だった。
「これさえ、すればK大学病院で必ず治療をはじめてくれる
って先生が言って下さった。」
笑顔さえ出ていた。私は不安だった。
A病院の先生は母に絶えられるだろうか。と話されたからだ。
でもこれが終わらないと定位放射線治療を受けられない。

入院の日も検査をした。明日の細胞診の為だ。
(平成18年9月19日)

翌朝(平成18年9月20日)いよいよ細胞診の検査に向かった。
待っている時間は私には長く感じた。本当はそんなに経っ
ていないような気がした。
当時を思い出そうとしても、時間など思い出せない。
私の緊張はピークに達していた。

無事に病室へ帰ってきた母を見て 私は涙が噴出した。
(この表現が最適だと思う)
よく検査に耐えてくれた。ごめんね。つらい思いをさせて。
そんな気持ちだった。
母は検査の疲労であろうか、じっとしていた。
小さな体が愛おしいかった。

その日から母の体温は上昇した。
私は2ヶ月間 母の体温をノートにつけていた。
36.3度から36.6度位の標準の体温だった。
その日を境に37.0度を上回るようになった。
退院は翌日だった。先生は37.5度までは大丈夫と言われた。
心配だったが、翌日退院した。
(2006年9月)

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