おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん ごめんね

2012年08月06日 09時15分26秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、今日は、広島の原爆の日だよ。
今日、はじめてテレビで、最後まで見たよ。おかあちゃんは、いつも見たがったのに
私が、「毎年同じことやんか。」そう言って、チャンネルを変えた。
おかあちゃんは「同じ事でも…」そう言ったね。
今 分かるよ。同じ時代を過ごした人々の 悲しい思いを共有したかったんだね。
ごめんね。そんな想いを理解することなく 簡単にチャンネルを変えた。

おかあちゃんは、いつも自分を主張する事がなかった。
私が、きっと、いっぱい嫌な事したと思う。
片方の目が悪かったおかあちゃんは、悪いほうの目をつむって物を見る事があった。
私は「何でお目をつむるの。」「なんでかな。そんなんしてたか」
ある日、片方に眼帯をして見にくい事を知った。
「ごめんね。おかあちゃんは、見にくかったんだね。言ってくれればよかったのに」
そう言う私に「おかあちゃんは、慣れてるからなんともないんやで」
そう言って、肩を撫ぜてくれた。
ちょっとの間でさえ 見にくかったのに ズーとのおかあちゃんは、大変だったんだね。
私は、平気でおかあちゃんを傷付けていた事がいっぱいある。
私は、おかあちゃんの愛いっぱいの中で育った。
わがままな私は、おかあちゃんを思いやる気持ちが欠けていた。
今 思うと私は どれだけおかあちゃんを傷つけたんだろう。
もう、謝ることすらできない。ごめんね。ごめんね。

おかあちゃんと、長崎に旅行した時、ガイドが読む「この子を残して」を聞き 声を殺して
泣いていたね。私は、寝ていた。起きるとおかあちゃんは 泣いていた。
その後は、私も聞いていた。悲しい出来事だった。
医師のその人は、原爆で動く事も出来なく、2人の幼い子を残して死ぬ思いを綴ったものだった。

私は、おかあちゃんを誇りに思う。誰にも 何にも優しかった。
少しは 私にその血が流れていれば嬉しい。



おかあちゃん、この真直ぐの線路を見ていると あの先は何があるんだろう。と思う。
毎日、この線路を渡って ワン子と散歩に行くよ。

おかあちゃん、ごめんね。ありがとう。好き 好き 好き 好き 好き 大大好き 大大大好き。愛している。
これからも ズーと スーと ズーと ズーと ズーと 一緒だから。よろしくね。

コメント
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