おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

血液検査の結果

2008年08月09日 04時50分25秒 | 母の事(肺がん) そして絆
8月7日

先生にメールで 私の術後の事を 質問していた。
先生から メールがきた。
術後のことを丁寧に 教えて下さった。

そして、母の血液検査の結果も知らせて下さった。

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それから、お母さんのCEAは20.1に低下していました。
良かったですね。お母さんが元気になってきたことの証拠ですね。

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先生の心遣いが嬉しかった。 

診察の時に先生から 「この薬が効かなくなったら 他に治療の方法はない。」 と 言われた。ショックだった。

この抗がん剤に 巡り会うまでには いろいろあった。
病気が見つかり 最初の先生には 高齢なので このままにする選択も
ありますよ。と言われた。
それを 押して治療を探した。医師も変えた。
定位放射線を選ぶ事が出来た。だが、その時には 腫瘍マーカーは 治療前よりは下がったものの高値だった。
PETを撮るも 何も写らない。しかし 目にみえないガンは 母の体を蝕んでいた。
 
私は この時 母の主治医に 化学療法はないのか尋ねた。
答は これ以上は治療はしない。と言った。
ガン拠点病院での話だ。高齢者には 治療はここまでとでも言う感じだった。
1年が過ぎ 母の体調は 悪くなってきた。
腫瘍マーカーも初めより高くなってきた。
主治医に 話に行くも 本人不在では 会ってもくれない。
手紙も出した。

途方にくれている時に 私の乳がんの先生に話した。
先生が 「すぐに連れてきなさい。抗がん剤にも 軽いのがあるから。」
と 言って下さった。
先生は その時 J病院に居られた。私もそこで手術した。
「呼吸器科の先生に話しておくから 早く連れてきなさい。」
そして 紹介して頂いた先生も とても良くしてくださった。
治療は 始まった。
抗がん剤は TS-1
2週飲んで 1週休む。
しかし、2クール目で 母の体調は最悪になった。
食欲がない。激しい嘔吐を繰り返す。病院に電話をするも 母の主治医は この日は 不在で  診察日に来るように 言われる。
母の体調でこのまま家に 置いておくことは出来ないと判断した。 
この日 私の先生は 外来だった。電話で状況を話した。
「すぐに 連れてきなさい。」と 言ってもらえた。
行くと すぐに 検査をして 点滴を始めた。
先生が 手配して下さっていた。外来が終わると 点滴している場所へ
来てくださって 「すぐに入院しなさい。私が 主治医になります。」
と言って下さった。

そして、先生がクリニックを今年の4月に開業され、「2人とも 一緒に診よう」と言って頂き 今がある。
今は 朝 1錠 夜 1錠
5日飲んで 2日休み 
母の体力では これ以上の 服用は無理と。
そして 少しづつでは あるけれど 腫瘍マーカーは下がってきている。
少しづつでいい。長く続きますようにと願っている。
先生には 感謝の気持ちでいっぱいだ。

母と一緒に 北京オリンピックの開会式を見る。幸せを感じる。
コメント
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