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那須恵理子アナ 水泳トレ続けて現役50年 心がけてきたことは「無理をしすぎない」#2024年6月28日#高原 俊太

2024-06-28 09:58:23 | 連絡
著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。
今回は50年以上にわたりラジオでしゃべり続けてきたフリーアナウンサーの
那須恵理子さん(73)です。
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◇那須 恵理子(なす・えりこ)1951年(昭26)4月23日生まれ、東京都出身の73歳。
74年にニッポン放送に入社。
2年目の75年10月から半年間、「オールナイトニッポン」の2部のパーソナリティーを担当。
主に平日午前のワイド番組のアシスタントとして、78年放送の「玉置宏の笑顔でこんにちは」から現在の「垣花正 あなたとハッピー!」まで出演している。
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東京都出身。東京都立新宿高等学校、上智大学文学部国文学科卒業。
1974年アナウンサーとしてニッポン放送へ入社、制作部アナウンサールーム長、編成部副部長を歴任し、2011年4月に定年を迎えるもアナウンサールーム在籍の嘱託社員[1]として勤務した。
月曜日早朝の放送開始時のコールサインと緊急警報放送試験信号のアナウンス、一定時間ごとに放送されるID、地震パーソナリティーなどを担当した。タレントの清水ミチコがこれらの形態模写をレパートリーとしている
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70歳を超えた今も若々しい声で日本の朝をお届けしています。
健康の源となっているのが、20代から現在まで続けている水泳です。
(構成・高原 俊太)
 今年4月にアナウンサー歴50年を迎えました。
まさかこんなに長い時間、自分の声をリスナーの皆さんに向けてお届けできるなんて思っていませんでしたから、本当にうれしいですね。
 ニッポン放送に入社した1974年は、一般職の女性の定年が25歳といわれ、女性アナウンサーは20代の方しかいませんでした。
今の私みたいに高齢のアナウンサーの方はいませんでしたから、こうやって年月を重ねることができた私は本当に幸せ者ですね。
 50年間、マイクの前でしゃべり続けるために喉はもちろん、体調にも細心の注意を払って生活してきました。
70歳を超えた今でも普段から飲んでいる薬はなく、健康体を維持しています。
ずっと心がけてきたのは、無理をしすぎないで適度に体を休ませること。
疲れたらおいしいご飯とお酒を飲んでしっかりと体調を整える。
50年でインフルエンザに1度かかったぐらいで、放送に大きな穴をあけることなく常にマイクの前に座ることができました。
 そんな私の健康を支えてきたのは、20代後半から始めた水泳です。
きっかけは78年に平日午前のワイド番組「玉置宏の笑顔でこんにちは」のアシスタントに就任したことでした。
 当時は早朝に出社し、正午過ぎには仕事が終わり午後が完全に空いてしまうような状態でした。
とてももったいないなと感じて、何か1人でもできそうなことを考えていました。そんな時に社員旅行で行われたビンゴ大会の景品で水着をゲットしたんですよ!これはちょうどいいと思い、水泳を始めました。
 幼いころ両親にプールや海に連れて行ってもらっていたので、泳ぐことに抵抗はありませんでした。週に1度、旧国立競技場にあったプールに通い始めました。
毎回1時間程度、1000~2000メートルを泳いでいて、それを50年間ずっと継続しています。自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと4泳法全てできますが、得意なのは自由形ですね。
 水泳を始めてから姿勢や呼吸が良くなりました。
特に姿勢は、70歳を超えた今でも背筋をしっかりと伸ばして生活することができていて、とても効果を実感しています。
こうしてアナウンサーとしてここまでやってきましたが、今でも自分に向いているかは分かりません。それでもできることは最大限やって、自分の声が出る限りはアナウンサーとして働き続けていきたいです。
≪人の優しさがあふれた番組≫ニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー!」(月~木曜前8・00)の月、水曜日のアシスタントとしてレギュラー出演している。
井戸端会議感覚でリスナーに参加してもらう「ご近所ラジオ」がコンセプトで、「時代は変わっても、人の優しさがあふれている番組ですね」と魅力をアピール。
パーソナリティーを務める垣花正アナウンサー(52)の存在が大きいといい、「人のことが大好きな垣花さんらしく、人への愛情があふれている」と称えた。



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