僕らは、この国に、何を思い、何を夢見ているのだろう。
先週は、僕なりの個人の意思表示をしてきました。
それは、僕の、もうたかがしれた僕の人生に、これ以上、後悔を残さないためです。
四年前も、反原発デモへの個人的な僕の意思表示。
何も変わらない、それを知りつつも、僕は僕の意思表示を続けています。
それが、僕のロックンロールなのです。
いつか、また、忌野清志郎さんにお会いした時に、胸を張れる僕でいたいからです。
忌野清志郎さんは、空から、今の日本をしっかり見てるはずだから…。
ズルした奴もちゃんとチェックしてるはずです。
…
まず僕は、日本の戦後70年、遂に訪れた、この歴史的な時を、国民は、どんな表情を見せるのだろうと、大きな期待がありました。
ところが、またしても、ガックンでした。
ある有名な芸人さんも、ブログで、述べておられました。
国会議事堂前に行っただけで、あんた右だの、左だの、いまだに、そんなことを言う人がいる。
今回ばかりは、自分達の未来に直接的に影響することだから、とても関心が高く、若い芸人さんも、たくさんデモにさんかしているというのに…
…とのことを述べておられました。
残念ながら、僕ら末端では、そんなことは、日常、当然の風景なのが現実です。
それ以前の問題で、年齢関係なく、右翼と左翼の区別ができない人や、その意味すらわからない人も、たくさんいます。
それが、日本人の体質なのか、戦後教育の結果なのか、よく話題となる、それが、学力や学歴格差からくるものなのか、僕にはわかりませんが、ともあれ、お上には、決して逆らわない。
そんな思想や風潮が、今もとても根深いことを、改めて知りました。
職場や学校、ご近所と言う小さなコミュニティーにまで、その細部に至り、その思想や風潮は、深く浸透しているようです。
全国各地では、安保法案反対の、意思表明する市民が、様々なプラカードを掲げ、連日、大きなデモが行われているようです。
その全国参加者の合計は、おそらく、全体では数十万人にもなるでしょう。
でも、国民1億2千万人の中の、たったの数十万人しか、意思を表明する国民がいない、と言う事実でもあります。
陰で、こっそりとは、理路整然と、なぜ安保法案反対なのか、とか、なぜ憲法9条は守るべきなのか、とか、過激に安倍のバカヤローは言えても、いざ市民デモに参加するだとか、そのためのシンポジュームを聞きに行くでもいい、ともかく個人の意思表示となると、途端に尻込みをしてしまう。
横並び社会が、顔を出し、まず、世間の目、周りの目が気になり、俯いてしまうようです。
それは、自分こそが、横並びの目線で、他人や社会を見ている、その後ろめたさが、なおさら、世間からの目線を恐ろしものと感じているのでしょう。
やれプレゼンだの、セルフプロデュースだの、企業でも、学校でも、声高に西洋化を唱うのに、肝心な時には、途端に萎縮してしまい、伝統的な、純日本式となってしまう、この滑稽さです。
忌野清志郎をどんなに賛美はしても、自分は別腹を決め込む表現者達も、全く同じです。
結局、安倍晋三さんの爺さんの時から、国民の社会意識は、全く変わっていないと言うことです。
安倍晋三さんは、それを知っているからこそ、こんなにも国民を見下げたような、安易な行いを、国民にするのかなぁ。