Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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浮世の義理にイマジンを…Part3

2014-02-08 | 諸行無常…let it be
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*\(^o^)/*


大雪さね、東京は

案の定だよ。
ただ早いよ、今年もさ。

もう2月が真ん中あたりさ。

去年と同様、瞬く間に過ぎていくのだよ。

去年と同じ街で、同じ顔を眺め、同じ通りを歩き、同じ季節を過ごす。

それでもさ、去年とは違う思い出を作ろうとさ、みんな必死でさ、普通を装って生きているんさね。

そんなものさね、人生は。



次に、景色に気づく頃は、もう、桜が満開になっているだろう。

時速8キロでいく、俺の人生…。

昨年から、僕は、また走りだした。

これは、第二いや、第三の人生への助走のつもりだ(^^;;

左足太ももの裏側あたりを痛めてから、もう走るのをすっかりやめてしまっていた。

50を機に、タバコも完全にやめたから、歯止めをなくして、今じゃ太り放題(ーー;)

もう、大会等に出るつもりもないから、今は、基礎体力向上のために、走るより、まず、筋トレを中心にやっている。
^ ^

5年後、僕は僕の人生に、どんな自分を描いているだろう。

人生はギャンブルだ。
人生こそが、ギャンブルだ。

30過ぎから、GLASSONIONというフィルター越しに、何度も何度も、それを思い知らされた。

僕には博才がないことも思い知った。

だから、僕は、人生の賭けは天に委ねた。

僕は、時速8キロで、トロトロノロノロ、この人生完走してやろう。
決めたのではなく、それしか僕にはないからだ。

そして、前週、GLASSONIONは、高田馬場で、満二十年を通過した。

僕は、去年から今年にかけて、GLASSONION二十周年イヤ~と位置づけしてやつている。

それは、GLASSONION、正式には、1991年の4月に、GLASSONIONは軽井沢に誕生したからだ。

決めのないまま始まり、決めのないまま三年間で山を下り、あてのないまま、新宿の片隅にて、1994年の2月5日に、GLASSONIONを再開したからだ。


なんとも、情けない、カッコのつかない(^^;;、GLASSONIONは、僕の人生そのものなのだから。

だから、その間をとって、去年から今年を、GLASSONIONメモリアルいやーにしているわけだ。

誰にもわかるまい。
分かる奴にだけ、分かればいいのだ。

アハハハ(^^;;


所詮、人間の欲など、たかがしれているさ。
なのにさ、隣の芝はなぜ青く見えるかね。

腹八分目と、心したのに、隣の芝は、なんでさ、いつまでも青々してるかね。

自分の不足を他に委ねるから、いつもいつも、自分に負けてしまうさ。



よっ、そこの青年。
いつもマジメに生きてるかい。

この世にゃ、足るを知る…そんなありがたい、お言葉があるじゃないか。
足るを知ろうよ、いいかげん。
もっと学ぼうよ、青年。

人は、しくじると暫くは、足るを知り、また、暫くすると、人は足るのことなど、すっかり忘れてしまう。
そんな、生き物だ。

いつの時代も、この繰り返しだ。

ゴーストライターやる人も必要とする人も、悩むことはない。
人は、生きることに必死だから、生きることに、生々しいだけだ。

だから、どうでもいいことだ。

なぜなら、人生には、ゴーストライターなんて、全く意味をなさないから、



ジョンの歌う、イマジンとは、お前ら足るを知れ…
そんなことを歌っているのだ。

彼等も、イマジンを歌ってみたら、どうだろう。

どこの国でも、足るは、永遠の課題なのだ。

僕の浮世暮らしも、もはや、半世紀を過ぎてしまった。

程よく暮らす人生とは、どんな人生を言うのだろう。

身の廻りの景色から、そんなことを考えるようになった。

人の振り見て我が振り直す。
One man's fault is another's lesson

そんなところから、始めよう。