Facebookに、"今日のGLASSONION"予定など、何かあれば掲載してます。GLASSONIONで、検索願います
*\(^o^)/*
…
大雪さね、東京は
案の定だよ。
ただ早いよ、今年もさ。
もう2月が真ん中あたりさ。
去年と同様、瞬く間に過ぎていくのだよ。
去年と同じ街で、同じ顔を眺め、同じ通りを歩き、同じ季節を過ごす。
それでもさ、去年とは違う思い出を作ろうとさ、みんな必死でさ、普通を装って生きているんさね。
そんなものさね、人生は。
…
次に、景色に気づく頃は、もう、桜が満開になっているだろう。
時速8キロでいく、俺の人生…。
昨年から、僕は、また走りだした。
これは、第二いや、第三の人生への助走のつもりだ(^^;;
左足太ももの裏側あたりを痛めてから、もう走るのをすっかりやめてしまっていた。
50を機に、タバコも完全にやめたから、歯止めをなくして、今じゃ太り放題(ーー;)
もう、大会等に出るつもりもないから、今は、基礎体力向上のために、走るより、まず、筋トレを中心にやっている。
^ ^
5年後、僕は僕の人生に、どんな自分を描いているだろう。
人生はギャンブルだ。
人生こそが、ギャンブルだ。
30過ぎから、GLASSONIONというフィルター越しに、何度も何度も、それを思い知らされた。
僕には博才がないことも思い知った。
だから、僕は、人生の賭けは天に委ねた。
僕は、時速8キロで、トロトロノロノロ、この人生完走してやろう。
決めたのではなく、それしか僕にはないからだ。
そして、前週、GLASSONIONは、高田馬場で、満二十年を通過した。
僕は、去年から今年にかけて、GLASSONION二十周年イヤ~と位置づけしてやつている。
それは、GLASSONION、正式には、1991年の4月に、GLASSONIONは軽井沢に誕生したからだ。
決めのないまま始まり、決めのないまま三年間で山を下り、あてのないまま、新宿の片隅にて、1994年の2月5日に、GLASSONIONを再開したからだ。
なんとも、情けない、カッコのつかない(^^;;、GLASSONIONは、僕の人生そのものなのだから。
だから、その間をとって、去年から今年を、GLASSONIONメモリアルいやーにしているわけだ。
誰にもわかるまい。
分かる奴にだけ、分かればいいのだ。
アハハハ(^^;;
…
所詮、人間の欲など、たかがしれているさ。
なのにさ、隣の芝はなぜ青く見えるかね。
腹八分目と、心したのに、隣の芝は、なんでさ、いつまでも青々してるかね。
自分の不足を他に委ねるから、いつもいつも、自分に負けてしまうさ。
…
よっ、そこの青年。
いつもマジメに生きてるかい。
この世にゃ、足るを知る…そんなありがたい、お言葉があるじゃないか。
足るを知ろうよ、いいかげん。
もっと学ぼうよ、青年。
人は、しくじると暫くは、足るを知り、また、暫くすると、人は足るのことなど、すっかり忘れてしまう。
そんな、生き物だ。
いつの時代も、この繰り返しだ。
ゴーストライターやる人も必要とする人も、悩むことはない。
人は、生きることに必死だから、生きることに、生々しいだけだ。
だから、どうでもいいことだ。
なぜなら、人生には、ゴーストライターなんて、全く意味をなさないから、
…
ジョンの歌う、イマジンとは、お前ら足るを知れ…
そんなことを歌っているのだ。
彼等も、イマジンを歌ってみたら、どうだろう。
どこの国でも、足るは、永遠の課題なのだ。
僕の浮世暮らしも、もはや、半世紀を過ぎてしまった。
程よく暮らす人生とは、どんな人生を言うのだろう。
身の廻りの景色から、そんなことを考えるようになった。
人の振り見て我が振り直す。
One man's fault is another's lesson
そんなところから、始めよう。
*\(^o^)/*
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大雪さね、東京は
案の定だよ。
ただ早いよ、今年もさ。
もう2月が真ん中あたりさ。
去年と同様、瞬く間に過ぎていくのだよ。
去年と同じ街で、同じ顔を眺め、同じ通りを歩き、同じ季節を過ごす。
それでもさ、去年とは違う思い出を作ろうとさ、みんな必死でさ、普通を装って生きているんさね。
そんなものさね、人生は。
…
次に、景色に気づく頃は、もう、桜が満開になっているだろう。
時速8キロでいく、俺の人生…。
昨年から、僕は、また走りだした。
これは、第二いや、第三の人生への助走のつもりだ(^^;;
左足太ももの裏側あたりを痛めてから、もう走るのをすっかりやめてしまっていた。
50を機に、タバコも完全にやめたから、歯止めをなくして、今じゃ太り放題(ーー;)
もう、大会等に出るつもりもないから、今は、基礎体力向上のために、走るより、まず、筋トレを中心にやっている。
^ ^
5年後、僕は僕の人生に、どんな自分を描いているだろう。
人生はギャンブルだ。
人生こそが、ギャンブルだ。
30過ぎから、GLASSONIONというフィルター越しに、何度も何度も、それを思い知らされた。
僕には博才がないことも思い知った。
だから、僕は、人生の賭けは天に委ねた。
僕は、時速8キロで、トロトロノロノロ、この人生完走してやろう。
決めたのではなく、それしか僕にはないからだ。
そして、前週、GLASSONIONは、高田馬場で、満二十年を通過した。
僕は、去年から今年にかけて、GLASSONION二十周年イヤ~と位置づけしてやつている。
それは、GLASSONION、正式には、1991年の4月に、GLASSONIONは軽井沢に誕生したからだ。
決めのないまま始まり、決めのないまま三年間で山を下り、あてのないまま、新宿の片隅にて、1994年の2月5日に、GLASSONIONを再開したからだ。
なんとも、情けない、カッコのつかない(^^;;、GLASSONIONは、僕の人生そのものなのだから。
だから、その間をとって、去年から今年を、GLASSONIONメモリアルいやーにしているわけだ。
誰にもわかるまい。
分かる奴にだけ、分かればいいのだ。
アハハハ(^^;;
…
所詮、人間の欲など、たかがしれているさ。
なのにさ、隣の芝はなぜ青く見えるかね。
腹八分目と、心したのに、隣の芝は、なんでさ、いつまでも青々してるかね。
自分の不足を他に委ねるから、いつもいつも、自分に負けてしまうさ。
…
よっ、そこの青年。
いつもマジメに生きてるかい。
この世にゃ、足るを知る…そんなありがたい、お言葉があるじゃないか。
足るを知ろうよ、いいかげん。
もっと学ぼうよ、青年。
人は、しくじると暫くは、足るを知り、また、暫くすると、人は足るのことなど、すっかり忘れてしまう。
そんな、生き物だ。
いつの時代も、この繰り返しだ。
ゴーストライターやる人も必要とする人も、悩むことはない。
人は、生きることに必死だから、生きることに、生々しいだけだ。
だから、どうでもいいことだ。
なぜなら、人生には、ゴーストライターなんて、全く意味をなさないから、
…
ジョンの歌う、イマジンとは、お前ら足るを知れ…
そんなことを歌っているのだ。
彼等も、イマジンを歌ってみたら、どうだろう。
どこの国でも、足るは、永遠の課題なのだ。
僕の浮世暮らしも、もはや、半世紀を過ぎてしまった。
程よく暮らす人生とは、どんな人生を言うのだろう。
身の廻りの景色から、そんなことを考えるようになった。
人の振り見て我が振り直す。
One man's fault is another's lesson
そんなところから、始めよう。
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