小説『雪花』全章

心身ともに、健康を目指す私流生活!!
食事や食材、ダイエット、美容などの豆知識がたくさんあります。

飲食養生

2010-09-30 10:43:32 | Weblog
 山の芋ーぬるぬる…
 日本では古くから食用されている山の芋は、猛暑で疲れた胃に優しい食材と言われています。
 山の芋には、長いも、山芋などがあります。これらの芋には、ジアスターゼなどの諸酵素が豊富に含まれているため、日本の定番の「とろろ飯」は、かなり食べ過ぎてもすぐに胃がスッキリとするものと言われています。
 『神農本草経』によると、山の芋についてこのように説いています。
 「虚弱体質を補って早死を防ぐ。胃腸の調子をよくし、暑さ寒さにも耐え、長寿を得られる」とあります。
 漢方でも、山の芋は、胃腸や肺、腎臓の働きを強化し、消化を促進し、寝汗、咳などに効く、また、足腰の冷え、老眼、皮膚のかゆみ、老化による症状や病気にたいする〝妙薬″と言っています。
 事実、その粘り気のもう一つ成分デオスコランには、血糖低下作用が証明されているそうです。特に粘りの成分ムチンは、タンパク質の消化吸収を促進してくれるので、秋に備え、体調を整えるには、とても有利と思います。
 秋の朝夕だいぶ涼しくなってきましたが、日中はまだ夏の暑さを思わせる日もありますので、ぬるぬるした山の芋は、きっと滋養強壮の効果を発揮してくれます。
 山の芋の旬は秋から冬へ、ぬるぬるしている〝自然生″の芋は、きっと皆さんの元気の精力剤となり、食欲減退の時でも食べやすいから、ぜひお手軽、麦とろご飯をおすすめします。
 体調を整えるために、また、これからの旬の秋刀魚や鯖、キノコ料理などを組み合わせて、初秋の食卓にもよいと思います。

 

「君子之交淡如水」(心の音)

2010-09-29 11:24:51 | Weblog

 君子の交わりは淡きこと水の如し
 ――中国の古代思想家荘子の名言です。
 この言葉は、荘子の真情を吐露したものでしょう。時を経てなお伝わる文字の力の偉大さを感じました。
 荘子はこの名言によって何を書き残したか、人に何を学ぶべきか。それは、人がさまざまな人間関係を築き、交わりのなかで理解するものでしょう。
 「君子之交淡如水」に対する私の解釈は、徳の高い人は義を重んじた付き合い方をするもので、お互いは仲好しでも、決して考え方など一致しているわけではないと思っ行動する。つまり、お互いの価値観を尊重する付き合い方のことだと思います。
 私の人間関係を見れば、君子と君子ではないにしても、水の如く淡い関係かもしれません。少し距離をおいている友情なら、お互いに無理や負担を感じることなく、自由気ままに、気が向いた時に会ったりお茶をしたり、楽しく、ポジティブで、心に余音が残る〝細水長流″のような付き合いができます。これもなかなかすてきだと思います。
 一見、淡い水のようでも、意外とお互いに共通点を持っていて、同じ目標を設定しているようでもある。そこには見えない支えがあり、賢人の説いた真意が身についているのではと思います。

秋の美肌をつくる!

2010-09-28 10:41:05 | Weblog
 
 化粧前の保湿習慣 
 爽やかな秋を迎えましたが、夏の強い紫外線やエアコンの効いた室内……
 夏の乾いた肌は放っておくと、秋の老け肌へと一直線です。
 今こそ肌の保湿を素早く取り入れましょう!
 まず顔の古い角質をきれいにすることが大事です。つまり、洗顔料を泡立て、(泡立つネットを使う)顔全体に優しくこすらず、広げて流します。これで、皮質や汚れが古い角質とともに取れ、軟らかな肌表面になります。
 次に朝晩ローションパックをします。
 8cm×16cmほどの大判コットン全体を水道水で濡らせ、両手に挟むようにして、軽く絞ります。化粧水をコットンに垂らし、満遍なく広げます。そして、コットンの端を層状に5等分して、5枚の薄いコットンにするように慎重に裂きます。
 1枚目は鼻と口にくる部分に指で裂いて穴を開け、顔の下半分に置きます。下まぶたの際までくるようにうまく伸ばして置きます。
 2枚目は、目の部分を指で裂いて穴を開け、顔の上半分に置きます。
 3枚目、4枚目は、それぞれ左右のほおに目の下から横あごに向けて置きます。
 5枚目は首に置きます。
 3分置いて取り、肌表面の水分を両手で、押さえるように馴染ませます。
 その後、自分好きな乳液などを使います。
 この秋、保湿ケアとバランスよい食事で、肌を活性化しましょう!


 

 

放下箸(心の音)

2010-09-27 14:22:41 | Weblog
“放下箸”― 
「放下筷子」(放下箸)―中国唐代の趙州という名僧が言った言葉です。いっさいを捨て去るとすべてが生きかえるという意味です。
 自然の生命は人間生命と同じです。
 自然は芽を出し、つぼみを開いて花を咲かせます。花が終わると、葉が黄色くなり、枝を離れて、そして土に戻っていきます。しかし、それは生根が絶えたことではありません。四季の命が時節に覆われながら、再生に身をひたします。
 自然――この言葉で表しきれない大きなエネルギーが永遠に人間をとりまいています。そして、永遠に絶えることのない自然は、その大きな脈動する生命が人間と一致しています。それは、誰でも自分を超える生命の中で、命を徹して燃やすことができるということです。
 今、自分が生きているという実感を大事にして、ただ〝生きる″ことです!
 たとえ、途中に進むべき方向が見えなくなったり、自分が何ものなのか思い悩んがり、そうした時に、“放下”します!何もかも捨てた「素」の自分に戻って見ることです。きれいに放下し去ると、第二の人生が生まれ、有りのままの自分が見えてくるのです。そうしたイメージがあるので、私は希望の灯を絶やすことはありません。
 「揺藍」地、本来の自分に戻り、いつも〝生きる"を実感します。