小説『雪花』全章

心身ともに、健康を目指す私流生活!!
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9、託された母の遺言に

2012-11-24 10:09:22 | Weblog

 民は、母を一日も早く故郷に連れて帰るために、全身全霊を傾け故郷に向かっていた。電気自働式の加速スピードで、三輪車は勢いよく進んでいた……
 そして、遙か遠い村の光景が民の前に再現された。
 今度の旅はどのくらい走り続けただろうか……民はただ村の光景を懐かしく感じていた。
 家に近づくと、村人がこの親子を出迎えてくれた。再会の喜びと歓声の中で、民は嬉しくて目にはうっすらと涙が光っていた。
 久しぶりの安眠に母は幸せそうだった。そして、数日後、母はぽつんと「民、母さんの遺骨をチベットの拉萨(ラサ)に撒いてくれないか……」と呟いて、目を閉じたままで、静かに亡くなった。102歳だった。
 母のいない世界になった。民はしばらく悲哀に満ちた日々を黙々と送った。けれど、母の遺言がいつも自分の心の中で念じるように聞えて、民はついにチベットに行くことにした。
 もう83歳になった民は、今度は三輪車をトラック(大車)に換えた。チベットに着くには7カ月がかかった。ようやく母の遺骨をチベットの大地に撒いた。
 雄大な拉萨(ラサ)の頂上に立つ民は、目に見えない力が自分の身に張り巡らされているように感じ、今の自分は上天と一線をひくぐらい近いことに気づき、たいへん驚いた……
 母の望む通り、選んだこの場所は実に世界で一番いい場所で、天国にも通じているよう、民はそう思った。一生苦労ばかりだった母の、その遺骨をここに撒いて、最後の念願を叶えることが出来、この達成感に民の心底から喜びが沸々と湧き上がった……
 まさに、人間という存在は険しい峠を乗り越え、悲惨な状況の中で凄まじく生き抜いたからこそ、真の喜びが得られることを民は味わったようだ。
 その時、民は三輪車旅の間の、母の笑い声、人々からの歓声、長寿麺を届けてくれたこと、泊めてもらって助けられたこと、すべてを頭に浮べていた……
 この旅は、たくさんの見知らぬ人々に温かく支えられたからこそ、奇跡的に続けられた、と民は改めて感じた。また、そこから得られたことは、限りなく濃い人生経験の集まりでもあると民は思った。
 このように思う民は、これからはもっと長生きして、人と交り、歓をつくそう、これは自分の新しい生き甲斐だと思った。
 拉萨(ラサ)は民に、より強い自分を確立する地となった。 
 (完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

8、辿りついた天涯の海

2012-11-23 11:32:58 | Weblog

 空が青く、陽光は容赦なく海に照りつけ、輝いていた……
 今日、この親子の前にのどかな海が横たわるのを見られたのは実に夢のようだ。
「あぁ、きれいな海だわ、潮の香りがする、気もちがいい……」
 母は我を忘れて少女に戻ったように、感極まったような笑顔をダンボールにくっつけて、この言葉を何度も繰り返して言った。
 母の少し元気になった声を久しぶりに聞いた民は、嬉しくて眦に涙が流れていた……
 「本当にきれい、海は広いなぁ……」民もこの風景を眼差しに焼付け、感動したような声を漏らした。
 民は、この過酷な旅を越えられて辿りついたことを信じられなかったが、しかし、最高の親孝行が天に報われて、胸が高鳴り……思い切り深呼吸し、全身が開放された。そんな気持は生まれて初めだった。
 海辺に着くと、民は三輪車を止め、母をダンボールから外へゆっくり連れておろした。
 ひどく老けた母は痩せこけた頬から下顎にかけて皺が幾重にも走り、顔全体に苦労を刻み込んでいた。母がよくこんな過酷な旅を耐えて生きくれて、民はとても不思議と思い、天を仰ぎ感謝した……。
 母は海を眺めながら、「ここまで来てよかった…」と嬉しそうに呟いた。 
 一度も村を出たこともない母は、今の自分が世界の一番美しい所にいると思い込み、満足な表情を露し、民にぼそぼそと囁くように語りかけた。
 「民に苦労をかけたなぁ。ありがとう。母さんは今とても幸せ、母さんは世界一番の幸せものだ。長生きしてよかったなぁ。」歯がほとんどない母の口元がほころんでいた。
 こんなにも満足している母。しかし体はすでに危惧する状態で、この体でチベットまで連れていくのはもう無理だと思う民は、母が臨終を迎える前に故郷につれて帰ろうと決心した。
 〝落葉帰根″、つまり、自分の家で臨終を迎えることは中国の風習だった。
 日が落ち、薄紅の光が水面に傾き、三輪車は、穏やかな海が見送る中で走り出した……
 やがて、この親子三輪車は遠ざかり、小さな点になって消えていた……
 つづく
 
 

 

7、生還の再出発

2012-11-22 10:23:05 | Weblog
 
 二人親子が全力を傾けた〝生きる″という旅の痕跡は、大地に刻まれていった。多くの人々にとって、これは不可能に挑む旅だと思われ、大きな感動と勇気を与えた。どんな困難があっても、道に立ちふさがっても、危険まで墜ちていても、精一杯生きること、それが真実で何よりも素晴しいことが人々に伝わった。そして、この親子に手をさし伸べる人も現れ、助けに病院に飛んで来た。
 「私は張と申します。テレビで民親子の三輪車旅を見て、たいへん感動しました。今日、私は電動の設備を持ってきました。ぜひ民さんの三輪車につけてほしい。そうすれば、自動的に走れます、しかも速いし、負担もかからない。」と一人の中年の男性の柔和な光をたたえた眼差しが民に注がれた。
 「ありがとうございます。たいへん助かります。」民はこの方の熱心な善意に心を打たれ、かつ自分が困窮した時に、人情という、こうも美しい出会いがあるかと、想像もつかなかったことで全身に感激が走った……
 やがて、三輪車が電気自働式に変身し、新しいダンボールまで取り替えた。
 「よし、これで完了。」張が額の汗を拭った。
 「ありがとう、ありがとう……この恩はずっと忘れません!」民が張に両手を出して、強く握った。
 「こちらこそ、民さんの役に立てて、とても良かった。」張の謙虚な返事が響いた。
 親子の再出発が王先生、張さん、みんなに見送られて、再び始った……
 民が一途の親孝行を果たすために、潜む生命の働きは、波動のように中国に大きく広がった。日々二ュースに放送され、多くの人々に勇気を呼び、町は希望に溢れていた。
 この大願を果たそうとする民にとって、旅は長すぎで、幾度も困難でふぬけになったようと思うかもしれないが、しかし民が母との約束を守ろうとする行動は、まさに、最後まで希望を捨てない、という大事なことを人々に気づかせた。
 母の奇跡的な生還は、天与のものか、それとも母が子に強さを与えたいものなのか……とにかく、民は力いっぱいに、ひたむきに目標地へ走り続けていた……
 南下して走るつれ、潮の香りを運ぶそよ風が柔かく民の頬を撫でた。念願であった中国最南端、海南島の海が一目瞭然に見えた……
 中国最北端から今日まで、気づけば既に二年半も過ぎていた。
 つづく
 

6、最後の一滴蝋燭の光

2012-11-21 11:44:12 | Weblog

 母は王先生の助けにより峠を越えたが、しかし衰弱の状態で、ほとんど反応がないまま。民はずっと母の傍に寄り添っていた。母はこれで最期か、そのまま逝ってしまうか、消えそうな母を思うと、民には悲しみと絶望だけが残されていた。その寂寞は民から生きる気力を奪い、ぐったりとした疲労感が体の芯まで広がり、つい憂い気怠さが民に眠気を誘うようになって、そのまま母の足元に伏せって寝入った……
 明くる日は昨日とまったく違って嘘のように晴れ渡り、日差しに包まれる中で民はうっとうしげに目を醒ました。すぐ母に顔を近づけると、母は目を開けて、じっと民を見つめていた。
 民はとても信じられなくて「母さん、気がついたか?」と弾き飛ばすほど激しい感情を露わにした。
 母の表情はとても穏やかで、微笑んでいた……
 ガラス窓から射し込んでくる伸びやかな光が母の顔を照らして、そのあまりにも生き生きした顔に民はいたく感動した。
 「民、ここはどこ?」母は小さな声で民に聞いた。
 母のこの生声に、民は母の手を握りしめ、感極まり、涙をこらえようとしたが……                
 「母さんは鉄人だな!」民の涙が後から後から溢れて出てくる、どうしようもなく嬉しくて……
 民が気がつくと、側には、王先生が立っていた。
 「お母さんは奇跡を起こしたのだよ、さすか鉄人だよ。」王先生が言いながら母を診察した。
 それから、三日間、民のかいがいしい看病と王先生の診療で、母は元気を取り戻したようだ。
 母は全く天恵のような存在。その蝋燭の最後の一滴光が、まさに民の心の大地を万遍に照らしたよう、民の気分が晴れやかになった。
 「民、いつ海を見に行くのかい。」母が機嫌よく民に言った。
 「母さん、安心して、必ず海に連れて行くから」
 民が母を抱きしめた。悲惨な旅で死にかけた母の体は小さくなっていたが、しかし、とても温かく感じられた……
 母の温かさが民の体に注ぎ込み、限りない幸せを感じた。そして、これから海へ母を連れて行く力が充たされていた……
 つづく
 
   
 

5、大地を駆け抜ける二人の旅

2012-11-20 11:31:26 | Weblog

 自然界における空、太陽、月、星……移りゆく中で、この親子の三輪車の旅は人々との出会い、触れ合い、ひとときの歓待を受け、大きな拍手、大声の「頑張って!」との響きあいの流れの中を、延々と走り続け、そして、海へ近づいたことも間違いない。しかし、民の精一杯の頑張りのさなか、今度はとんでもない苛酷な事が起きた。
 青空が突然ぐるりっと変り、重い雲に覆われて、雨がボツボツと降り始めた。
やがて風が吹き荒れ、空中の雨がザーザーと猛々しく激しくなった……しかし民は雨でびっしょりと濡れても必死に走り続けていた。その余りにも激しい雨に、道路の泥は剥がれ流れて、川のように氾濫した……三輪車はこの猛烈な豪雨の流れで転げ落ちそうになっていった。民は素早く三輪車から降りて、足で地面を踏んばってじっと耐え続けた。
 暫く経つと、民はやっと後ろの母のことに気づき、慌てて母に呼びかけた。しかし、母からは応答がなかった。雨に濡れた母はすでに衰弱状態で、息がほとんどないと思った民は恐怖に襲われ、魂をつき抜けるような声で思わず「誰か、母さんを助けて!」と慄き叫んでいた……
 「絶対、このまま、母さんを死なせない。」民は悲鳴を抑えながら渾身の力で三輪車を推し進め、急いで病院を探しにかかった……
 荒れた風、激しい雨の中で、「病院はどこだ……」民はひたすらに周囲を見回し続け、早く病院が見つかるようにと必死に祈った。そうして四時間後、やっと一軒の診療所が民の前に現れた。そして、民は震えた声で「あった、病院があった……」と繰り返しながら、大急ぎで三輪車を止めて入った。しかし、夜中の診療所には真っ暗で誰もいないようだ。絶望寸前の民は震える声で「助けて、助けて……」と扉をゴンゴンと強く叩き、死力で叫んでいた……と、その時、中に灯がつき、ついに扉が開かれた。
 「あぁ、テレビで見た三輪車旅の民ではないか?!」一人の医師、王先生が民を見て驚いていた。「先生、母を助けて、先生、頼む……」民は胸が張り裂けそうな声で先生に助けを求めていた。
 母はすぐ病床に運ばれて、点滴を打たれ始めた。
 「お母さんは肺炎が起こしている、すでに危険な状況だ。」医師が民に言った。
 民の目に映る眠りに落ちていた母は、まるで別人のように痩せこけていた。その姿に、民の胸はあまねく針に刺されていたよう、その悲痛に耐えられなくて、泣き崩れてしまった……
 「母さん、目を開けてくれよ、母さん、逝っちゃだめ、せめて海を見てから……」民が母の腕を何度も叩いたが、喪失感が全身に広がり絶望でいっぱいになった。
 つづく

4、二人の命を支える力

2012-11-19 11:49:47 | Weblog

 ボーボー、間近で汽車の笛が聞えた。今度もまた新都市に乗り入っていた…
 民は日々元気なようで、三輪車を走り続けていた。母も相変わらずダンボールの窓から新しい風景を見続けていった……
 しかし、中国最北端から南へ進めば進むほど、この長い旅の疲れと湿気を含んだ重い空気が母の体力を奪い、次第に母の口数は減り、外の世界に対する感動が少しずつなくなり、ずっとダンボールの中に靠れて居眠りをしていた。
 「母さん、母さん……」
 「 …… 」民に母の返事がなかった。
 民は早速三輪車を止めた。後ろに見た母の姿がいささか苦しい表情だった。
 母はついに言い出した。「民、母さんは家に帰りたい……」
 「母さんは海を見たいと言ったでしょう。もうすぐ見えるんだよ。母さん、少し我慢して!」民は言いながら母の手をぐっと握った……
 その時、民は何かに気づいたようだ。握った母の手がすでに一回り小さくなっていたのだ。母がこの長い旅の辛労で、きっと命はもう限界にきていると思う民は、目の前が一瞬真っ暗になり、心に大きな穴が開いたようで空しくてたまらなかった。母がまだ見てない海を母に見せたい、母との最後の約束を破りたくない、そう思った民は悔しくて如何したらいいか分からなくて、突然泣き出した……母の手を握ったままで、嗚咽交じりの声で「私は親不孝ものだ……」
 暫く経つと、母が弱々しい声で民に言った。
「民、泣かないで、母さん頑張るから、一緒に海を見に行こう……」
 思いもよらぬその言葉に、母の慈愛が民の心には蝋燭の灯りとなり点されたようで、すぐ全身に気力を昇らせた。母はやがて溜息をつきながら、口元に笑みを浮かべた。民には母の頬に戻ったこの微笑みがまぶしいほど輝いて見えたに間違いない、母の深い愛情を感じていた。
 たちまち、海の潮の香りも誘われているよう、民の体に力が満たされていった。
 「絶対、母さんに海を見せる!」民の喉からほどばしる喚声が風に舞い上がり大きく広がっていた……
 そうして、三輪車がまた走り出した。景色は次から次へと後ろへ流れていった……民は休まずにひたすら走り続け、「一日も早く母に海を見せたい」そう自分に言い聞かせていた。
 この二人の命を包んだ目に見えない力がまるで中国の大地の力と一体になっているようだ。黒い闇の中をもひた走る三輪車は、やがて夜の闇を破り、徐々に明るくなったかすかな曙光に向かって、前へ前へ進み続けていた……
 つづく
 

3、世界で最も素晴しい旅のつれ

2012-11-18 12:18:19 | Weblog

 親子の旅は日々刻々と進んでゆき、時にはどこからか鳥の鳴き声が聞えてきた。時には樹の葉の香りが漂って来る……こうやって寒冬酷暑に耐え、なにごともなく一年が過ぎた。母もとうとう100歳を迎えていた。
 市街地の車、色とりどりの服装の人たち、高層ビルなど、なんにでも母は目を走らせて、眩しく見た。この賑やかさに母の胸の鼓動は高鳴ってきて、自分が生きているのは間違いないかと、手で胸をおさえ心臓の音をたしかめた。
 そして、休憩する度に周りの人々によく声をかけられていた。
 「お母さん、おいくつ?どこからきたの?……」
 誰でもこの親子の行動に驚き、母の生命力と民の強い精神に感服を禁じえなかった。母が福の神のように仰ぎ見られて、握手の人が続々と寄り集まってきた。
 人だかりの中に、突然靴の足音を響き渡らせて一人の女性が温かい麺を持って来た。「お母さん、これ、お祝い長寿麺よ、食べて!」
 「ありがとう!ありがとう!」母は碗を両手で持ち、俯いた顔には微笑みがこぼれていた。心が熱くなった母が鼻洟をすすりこみながら、「民、半分ずつ分けて食べよう」と言った。
 「いい匂い……おいしい!」この味は東北の片田舎で生きていた親子にとって、あまりにも旨過ぎたご馳走なので、汁の器のふちを舐めんばかりにして最後の一滴まですすった。
〝親子三輪車の旅″の噂は訪れる村々に飛び交い、すぐ多くの人の耳に伝わった。それはやがて中国に広がっていった……
 親切な人々がこの親子にお菓子を与えたり、家まで招いたりして、親子はあたたかな家に泊まる事もあった。
 テレビ局の記者も駆けつけて来て取材し、〝世界で最も素晴しい旅のつれ″と讃えられて、テレビで全土に放送された。
 民の親孝行という最高の行いが多くの人々を感動させた。民もこの旅でたくさんの人との温かい出会い触れ合いによって、多くの声援から勇気付けられ、母との約束が現実になり、母と外の世界に向けて旅することは、自分の生き甲斐と強く実感した。
 その後も親子の三輪車がまた、そよそよと吹いている風の中を順調に走っている。時が移り行くにつれ、南へ進むと気候と世界の色合いがより大きく変っていた……
 つづく

2、親子繫ぐ旅

2012-11-17 15:56:04 | Weblog

 次の日早速民は、古い三輪車を用意した。段ボール箱を後ろにつけ、左側の面に四角の穴を開けていた。
 小柄の母が中に入ったら目線の高さが丁度穴に揃い、四角い窓から外の世界を見ることが出来る仕組みにした。
 ついに出発。空は穏やかそのもので、オレンジー色に染まっていた。母の目が四角の窓を通し、村の原風景をじっと見て、心はウキウキして、初々しい少女のように喜んでいた。
 民は三輪車に乗って、走り出した……
 一路、三輪車が前へ前へと進み、山々の稜線を目指してひた走って行った。段ボールの中から、母は今まで見たこともない自然風景を目に映していた。
 「あ~緑がきれい、花がきれい……」と言いながら、甘美な夢を見ているよう、すべてが脳裏に焼きついていた。
 「母さん、寒くない?」
 「ぜんぜん…」
 母は外の強い陽射しに心が段々と開放されたような気分で突然口ずさんで、歌い始めた。
 「天空に金色の太陽があり、地を照らす、我を照らす……」
 民は三輪車の後ろに乗せている母の、そのように喜んでいる歌声を聞いて、とても懐かしく感じた。母は至福の思いにひたっているのであろうと思った。
 親子の長い旅が始った……
 民は後ろで喋り続ける母の言葉が聞えないこともあったが、母のそうした嬉しがる様子はしっかりと民に伝わった。
 そうして、一日一日、東の地平から太陽が昇ると、民が二人旅の三輪車を漕ぎだす。お腹が空いたら休憩して、用意した饅頭(携帯食料。中国東北地方で、家庭で食べる小麦粉食品)を出して、一緒に食べる。日が暮れたら星の下で母はダンボールの布団に眠る。民は三輪車の横で体に毛布をかけて、背を丸めた格好で眠っていた。
 民の母は99年間、この村だけで生きていて、その人生は無意味に思えてくるかもしれない。しかし、中国の僻地の村では、生きていけるだけの食物があればそれで充分満足しているかもしれない。そして、99歳になって、一生の喜びが一束になるようで、幸せもまとまって訪れるかもしれない。
 つづく
 
 

黄昏の中の微笑み①

2012-11-16 15:27:50 | Weblog
 
 1、母と最後の約束
 人間の心は一つなのに、なぜか、底が知れない井戸のように奥が深い。
 これは真実の物語だ。
 中国最北端、黒龍江の塔河(とうか)という僻地の村に、ある親子が住んでいた。母は99歳で、息子の民(みん)も76歳になった。
 母はこの村で生まれ、結婚、子育て、貧しい生活と苦労の積み重ねのまま重で、この村を一歩も離れたことがなかった。母の人生は蝋燭のように、燃やして燃やし尽くし、残りわずかの炎は時々弱々しくなり消えそうに見えたが、そうかと思えば時々キラキラと光ってきて、まだまだ消えそうもなかった。
 ある日、母はガラス窓の外を見て、「外はきっときれいだろうなあ、外の世界を見たいなあ、」とつぶやいていた。
 「母さん、外を見たい?どこに行きたい?」息子民が母に聞いた。
 「そうだね、遠いところに行きたい……」その時、ガラス窓の陽光が母の顔に射し込んでいて、満面に微笑んでいた母が民に言った。
 「そう、じゃあ本当に母さんの行きたいところに連れて行くよ。」
 「本当?嬉しいなあ!母さんはまだたくさん生きたいのよ。」めっきり老けた母が小さな声でくすくすと笑いながら、民に言った。
 一生を苦労ばかりをして過ごした母の笑顔を見て、民は母のこれから残された人生を一緒に旅すると決意した。
 そう決めると、民はすぐに地図を開いていた。
 「母さん、どこに行きたい?」
 母が細い指で、斜めになった曲線を指して、「ここ、ここだよ。チベットに行きたい」
 「え!!チベット?」
 「そう、あそこに行きたい!」
 この村からチベットまで往復で5万キロの道のりだった。民は母がどうしてチベットへ行きたいか分からなかったが、しかし母がこのまま人生を終えたら、あまりにも淋し過ぎると思うと、一瞬息を呑み、腹をくくり、「よし、母さんに約束する。チベットに連れていく!」
 民の約束を聞いた母の顔には満面の笑みが溢れていた……
 つづく

 



「乾物」―

2012-11-15 14:12:42 | Weblog
「乾物」是「好物」
 切干大根100gに含まれる食物繊維は20.7gあります。
 多くが水に溶けない不溶性食物繊維で、消化されず、水分を吸って膨らみ、便のカサを増やし腸の働きを活発して、便秘解消を手助けします。
 また、胃の中に長くとどまって、満腹感が持続するために、過食を防ぐの有効です。さらに、むくみ予防に役立つカリウムも豊富です。
 秋季に入って、体の代謝、調子が比較的に順調で過しやすいシーズンと言っても、夏バテや紫外線による肌のトラブル、胃腸の不調など、夏のダメージを引きずりやすいので、油断は禁物でしょう!
 ベーコン入り切干大根:
 作り方:
 ① 切干大根はさっと洗い、ぬるま湯に20分ほどつけてもどし、よくもみ洗います。水けをしっかりしぼって、食べやすい長さに切ります。ベーコンは1cm幅に切ります。
 ② フライパンにサラダ油を入れて、中火で熱します。ベーコンを炒めて脂が出てきたら切干大根を加えて炒めます。
 ③ ②に水2カップを加えて強火にし、煮立てたら、お酒、砂糖、みりん、醤油を適量いれて、弱めの中火にして、アルミホルで落としぶたをし、汁けがほとんどなくなるまで煮ます。(140kcal)
 時々のちょっと洋風の味はいかがですか!