小説『雪花』全章

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小説『雪花』第八章-5節

2017-10-17 06:41:52 | Weblog

                  五

その時、店員が中碗の料理を持ってきて「美味(メーウイ)魚(イウ)唇(ツン)です」と伝え、丁寧にテーブルに置かれた。仁が碗の中を見て、瞳の内側に光が揺れた。
「魚の唇?」と訊ねてきた仁の表情は、美しい混沌の世界を漂わせて、面白く見えた。
 凡雪は、笑顔を堪えて説明した。
「淡水の鳊(ビエン)魚(イウ)、激浪(ジラン)魚(イウ)、という魚の唇ですよ」
 すると仁は「ええー、本当?」と驚き、歯茎が見えるほどに大きな笑みを顔中に拵(こしら)えた。
 碗の中の魚(イウ)唇(ツン)は、白い木耳にも似て、柔らかく温かな色調で、湖の夢幻とも思わせる。
 すぐ小碗を取った凡雪は、匙で掬いながら、仁に話し掛けた。
「昔、乾隆皇帝が蘇州の《松鶴楼(ソンフーロオ)》の店で、魚の頬だけの料理を食べた伝説がありますけど、今は、魚の唇だけの料理も食べられますね」
 凡雪は小碗を仁の前にそっと置いて、話を続けた。
「魚の唇は、高蛋白質で、骨(コ)胶(ラー)源(ゲン)がたっぷりと含まれているんですよ!」
 仁は静かに微笑んで、匙で、ゆっくりと掬(すく)い、口に運んだ。
「おおー、ホロホロして、プリプリして、煮込んだ牛筋の感触だね。全然、魚の腥味がなくて、讃(さん)!(最高)」
 仁は、すぐ左手で頬を触って「本当だ! 顔がツルツルしているよ」と冗談を加えた。
 笑顔を浮かべた凡雪は、まず、とろとろっとしたスープを掬い、口に含んだ。
 温かい優しい味が凡雪の口に、隅々まで溶け込んでいく。そっと喉まで流れていくと、胸が静かに波打った。
 不思議に胸が熱くなった凡雪は、笑みを含んでいる仁の顔を眺めた。キラキラ光る湖水の流れを眺めているように思えて、目を奪われた。
 一瞬の間に、胸の中で小魚が踊っているように、微(かす)かに興奮した凡雪は、仁に伝えた。
「此処の店の《元(イエン)紅(ホン)酒(ジウイ)》は、有名ですよ!」
《元紅酒》は紹興の代表的な名酒で、多くの人に飲まれている。
 すると仁は、愛嬌のある笑みに変わって、即座に「一緒に、飲もうか!」と返事した。
 凡雪は、笑みを浮かべながら、頭で頷いた。視界に白い魚唇のスープが、澄灯の中で、夕陽に染まった薄雲のように映っていた。
 凡雪は、その風景を見初(そ)めるかのように眺めた。仁は店員を呼び、お酒を注文した。
 仁の流暢な中国語が凡雪の耳元で流れ、心が嬉しくなるほどの魅力を強く感じた。
 仁は、ゆっくりと音を立てずに魚唇を堪能している。柔らかな動きの中で、日本人なりの繊細さと美しさが、凡雪の注目を引いた。
 凡雪は、心がきゅっと締め上がってくるのを感じ、心の中で仁を賞賛した。
 その時、凡雪は、長夜の夢から醒めたように思い、現実の中での喜びを味わった。
《元紅酒》と酒杯が運ばれてきた。壺の紫味の深い紅色は、高貴さを表す色のようだ。
 店員は包まれた紅袱紗(ふくさ)を巧みに捌き、蓋を取ってくれた。雪はゆっくりと酒壺を持ち、小杯に注いだ。淡い光に映された《元紅酒》の赤味色が朧に幻惑的な色に彩られて見えた。
 その時、微(そよ)風が凡雪の頬を撫でた。仙界から漂ってきたような淑やかな風だった。
 凡雪と仁は酒杯を持ち、軽く乾杯した。仁はゆっくりとお酒を一気飲み干した。
「うんー、美味い! もう、一杯ください」
 仁が要求する微(かす)かに響いた声に、凡雪は命の息吹を持った力強さを感じた。
 すぐ仁に笑みを送った凡雪は、お酒を一口そっと含んで、話し掛けた。
「仁さん、《元紅酒》は品(ピン)味(ウイ)(賞味)するものですよ……」
 すると仁は「今日、酔ってみたい」と返してきた。仁の目は風変わりで神秘的に見えた。まるで、未知な世界から遣って来た小妖精と出逢ったようで、凡雪は愉快な、驚きに満ちた体験を味わった。頬を上げた凡雪は、再び仁の杯にお酒を入れた。
「品味してね!」と凡雪は、張りがある声を意識して出した。
 頬が赤らんできた仁は、嬉しそうに凡雪を見て、頷いた。仁の瞳に神々しい光が優しく流れているように見えた。その時、凡雪の脳裏に、空と大地が、瞬時に輝かしく溶け込んでいくような麗しい幻影が浮んできた。

   つづく
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