韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

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古県城

2010年08月19日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
古県城、鷄龍樓、古県城市民公園

ずっと巨済に住みながらも巨済島の文化財は私の関心外だった。たまに友達と南部面一帯の海辺に遊びに行ったのが全部だった。文化財を見回すとかその歴史に対して調べるとかした事がなかった。

数日前、巨済市庁に用事があり、その時目に入ってきた古県城のせいなのか、週末でもあったし天気も良かったのでカメラを持って家の近くにある古県城を尋ねて行って見る事にした。何年か前は復元工事中だったが今は、市民公園となり地域住民の憩いの場と変わっていた。





巨済市庁が城内にあり、これまで数十回と市庁を訪れながらも忙しいという言い訳で古賢城を一度尋ねて見ようという考えさえもなかったことは、地域住民として反省しなくてはいけないことだと思う。今は復元工事が終わってからしばらく経っているので、気軽に訪れることの出来る地域文化財であり巨済の観光資原の中一つではないかと思う。





古県城を訪れるのはとても簡単である。巨済市庁の直ぐ側が古県城で巨済市庁はその城内に位置している。側には古県教会があり、その側には巨済公設運動場がある。
古県城の歴史と来由は入口の表示板できちんと説明されている。巨済には数多くの邑城があるが、古県城もその中の一つで高麗末の倭軍の侵入時に避難した人々が戻ってきて初めて現在の沙等面に位置した沙等城に留まったが空間が狭くて、増設したした城である。1663年まで巨済群の官衛として使われた。今は慶尚南道記念物46号に指定されている。





子供の頃から町の年寄りたちから古県城について聞いた記憶はある。韓国戦争時この一帯に虜収容所が設置されたが、それでも残っていた城がだいぶ毀損してしまい、残っている城跡も元の姿に比べて大分些細になったと言う。今は復元されて昔の姿を取り戻したが元々聖地のすべての部分ではない。それ程手をつけなくても雄大な姿態を維持することもできたが、少しは人為的に作ったのではないかと思ってしまう。
古県城を眺めていると大きい亭子のようなものが一つあるが、これが鷄龍樓でその当時の北門樓だった。鷄龍樓という名前は昔から伝わってきた名前ではなく渓竜山脈に位置した古県城の歴史城と地域的特城を反映して選定された名前だと言う。





天気が暑くて鷄龍樓に座って周りを見渡してみると、城を基準にして市庁側には市民公園が造成されて週末の休みを利用して遊びにきた人で一杯だった。
しばらく休んだ後、城館の上方を50m程上がってみると北側に城郭がありその内側に巨済市庁の建物が堂々と建っていた。巨済市庁を眺めていると巨済島の心臓であり、巨済島のすべてを代表するこの市役所が城郭に取り囲まれて位置しているせいか、自負心と巨済市民として胸が高まった。
他の地域には、このように城郭で囲まれた自治機構機関建物があるか??



巨済島には立派な自然景観だけではなく古県城のような歴史的象徴物もあちこちに存在する。2つの中から1つだけを楽しむのではなく、巨済大橋を渡った人々なら巨済島の魅力的な自然を当然楽しむが、この地域を見て楽しんでくれることを巨済市民としてすべての巨済訪問者の皆さんに望む。また、古県城を訪れる皆さんには、歩いて直ぐ側にある巨済を代表する観光地の一つ巨済虜収容所にも足を運んでほしい。

位置:巨済市 古県洞 巨済市庁隣
(거제시 고현동 거제시청 옆)
(コジェシ コヒョンドン コジェシチョン ヨップ)

駐車場:巨済市庁駐車場利用