この作品は、リアルタイムでは無いのですが、姉が当時中学生の私を大阪の堂島にある映画館に連れて行き見た映画で、歴史のロマンと雄大な世界観に感動し好奇心をそそられ、その後の世界史から日本史に興味を持ち続けられた起因となった、貴重な思い出作でした。(以下各部他の資料参照とする)
1959年度、アメリカ M-G-Mスタジオ作品※
製作者 サム・ジンバリスト 出演 チャールトン・へストン※
原作 ルー・ウォレス ヒュー・グリフィス※
監督 ウィリアム・ワイラー※ スティーヴン・ボイド
美術監督エドワード・カルファーノ※ マーサ・スコット
脚本 カール・タンバーグ キャッシー・オドネル
撮影 ロバート・Lサーティース※ ジャック・ホーキンス
音楽 ミクロス・ローザ※
1959年度・アカデミー賞、作品賞※、監督賞※、主演男優賞※、助演男優賞※、撮影賞※、映画音楽賞※、美術監督・装置賞※他2名、その他衣装デザイン賞、特殊効果賞、編集賞、録音賞
映画スタジオM-G-M社はテレビの台頭により、会社存続を懸け25年のヒット作『ベン・ハー』の再映画化を企画。製作者には25年版の編集を務めたサム・ジンバリストを、同じく助監督として参加していたウィリアム・ワイラーに監督を依頼。監督としては最高額の100万ドルのギャラが支払われた。脚本の執筆はワイラーのイメージに合わず困難を極め、40もの脚本が執筆され幾人かの脚本家の交代を経て結果、最終的にイギリスの脚本家クリストファー・フライが脚本に手を加えるのだが、脚本の執筆は映画の撮影と同時進行で行われる異例の方法となる。ベン・ハー役にはポール・ニューマン、マーロン・ブランド、らが候補にあがるが、最終的にワイラーはチャールトン・へストンに白羽の矢をあてる。メッサラ役にはデビュー間もないアイルランド人俳優スティーブン・ボイドが起用。ベン・ハーの母親ミリアム役には「十戒」でもヘストン扮するモーゼの母親を好演したマーサ・スコットを、最終的に5万人を超える俳優やエキストラたちがこの映画の撮影に参加した。
撮影はイタリアのローマで行われ、美術監督のエドワード・カルファーノはローマのチネチッタ撮影所に、古代ローマ時代の世界を再現。二輪戦車レースが行われる円形競技場建設のため1000人以上の技術者たちが1年以上もの時間を掛けて壮大な1周460mの競技場のセットが作られ、その後全てのセットは撮影終了後に壊してしまうのである。マケドニアとの海戦シーンに使うガレー船の建造では、専門家を雇って出来るだけ忠実に再現をし、海戦の海には池を掘り又、茶色い池の水は地中海の青い海の色に染められた。
この映画最大の見せ場となる、4頭の馬につながれた二輪戦車がしのぎを削る20分弱のレース・シーンの撮影のために、ヘストンを含めたキャストとスタッフはイタリアで4ヶ月の撮影リハーサルを行い、3ヶ月かけて撮影された。このシーンの演出は、名作「駅馬車」のスタントで抜擢された元スタント・マンのヤキマ・カヌートが担当をし、カヌートの息子ジョー・カヌートがヘストンのスタント・マンを務めた。実際競争シーンは3分間程度の戦車競争を11分かけて映写する等、スタートからゴールまでの8分46秒は、同一ショットはなく192ショットから編集された1ショット約3秒の前代未聞のスピード感と迫力を出すことに成功、又危険な撮影にも拘らず、死者や大きな怪我をした者がいなかったのだが、超大作の製作を任されたプレッシャーの影響なのかジンバリストは製作途中で心臓発作が原因で急死してしまい、スタジオはJ・J・コーエンに後を引き継がせ、当時としては破格といわれた1,500万ドル(54億円)もの制作費と6年半もの製作期間を経て映画は無事完成。映画は8,000万ドルもの利益を上げる記録的なヒットとなった。現代の映画産業にこの様な大規模の人材と製作期間はおそらく望めないでしょう。
第一話
映画のオープニング、ある澄み渡ったエルサレムの聖夜の空、ひときわ明るく輝く・・・ダビデの星があった。東方から遥々やって来た3人の賢人たちもその星を見上げていたがやがて、その星の一筋の光に示された粗末な厩で一人の男児が誕生した。イエス・キリストの誕生である。
第二話
この時期のローマは共和政から初期帝政に入り常備軍を持ち対外拡張政策から防御体制の整備と支配地の破壊よりローマ化に政策を転換した頃と思われる。
紀元26年、ナザレの村をローマ軍の一行が通り、エルサレムに向かっていた。そこに青年に成長したヨセフの息子キリストの姿もあった。
ローマの大軍を率いてエルサレムのアントニヤ城に入ったのは新任の司令官メッサラ(スティーブン・ボイド)だった。
さっそくメッサラの新任の祝いに訪問したのは、かっての幼友達でユダヤの王族ハー家の嫡男ジュダ・ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)であった。
二人は力強く抱擁し合い、旧交を暖める。
翌日、メッサラはベン・ハーの屋敷を訪れた。ベン・ハーの母ミリアム(マーサ・スコット)、妹ティルザ(キャシー・オドネル)もメッサラを暖かく迎えるのだが、ローマ皇帝からユダヤの支配強化を命じられたメッサラは、ベン・ハーの影響力を利用し、彼に反抗者を密告するように依頼するが、断固拒否するベン・ハーにメッサラは怒りを露わに立ち去るのだった。
ハー家で、昔から仕えている奴隷、シモニデス(サム・ジャフェ)は一人娘のエスター(ハイヤ・ハラリート)が嫁入りする事で挨拶にやって来たのだが、ベン・ハーは彼らを友人として向かえ、久しぶりに再会したエスターが美しく成長しているのを見て複雑な気持ちになるのであった。
新任のグラトゥス総督がローマの部隊を引き連れエルサレムに入った一行はハー家の通りに進行して来たその時、ティルザが触れた瓦が外れて滑り、総督の馬の近くで砕け落ちた事から、馬が驚いて暴れ総督は落馬するのである。
ハー家にメッサラが兵隊を引き連れ乗り込み、事故なのは明白であったが、先日のベン・ハーの拒否への報復ともいえる、ベン・ハー一家3人を総督暗殺未遂容疑で逮捕し、ベン・ハーの無実の訴えにも耳をかさないばかりか、生きて帰るのは不可能に近いガレー船に乗せ、彼の母と妹を地下牢に閉じ込めるのであった。
第三話
ガレー船に乗せられ、ナザレの地に来た時、倒れ込んだベン・ハーに近づき水を差し伸べた人物がいた。その人物こそイエス・キリストであり、その水を天の恵みの如くむさぼった。(この場面でのキリストの姿は映し出しているのであるが、顔等を見せない演出はキリストの神秘さを見る人の心に効果的に表現させたものであった)やがて、それに気付いた護衛隊長が鞭を飛ばす。
3年後、ローマのガレー船で奴隷総勢120名の漕ぎ手の中にベン・ハーの姿がある。3年も苛酷な労役に耐えてきた彼の生きる源はメッサラに対する復讐心であった。そんな中、クイントス・アリウス提督(ジャック・ホーキンス)は不屈のベン・ハーを何かと気にかけ、マケドニアとの海戦となった時には、ベン・ハーの足枷を外させ、又海戦の最中、ベン・ハーは他の奴隷の鎖を外していき、アリウス提督を狙う敵に槍を放ち救うのであるが、敵の船もローマの船も大破し、ベン・ハーとアリウス提督だけが破片の上に浮かんでいた。
そこへ通りかかったローマの軍艦に助けられ、戦果はアリウスの船は大勝利だったのであった。
アリウス提督のローマ凱旋には、4頭立ての馬車のアリウスの横にベン・ハーが乗り、沿道を埋め尽くす大衆の中、ローマ皇帝はアリウスに勝利のバトンを手渡た。
そして、ベン・ハーは奴隷の身分から解放され、アリウスの養子として迎えられたのであった。
それから一年余、ベン・ハーは戦車競争の騎手として名声を得るようになったのだが常にベン・ハーの心には遥か祖国の母と妹の消息であった。アリウスはそんなベン・ハーの気持ちを理解し、そしてベン・ハーの祖国への帰郷を許した。
第四話
4年ぶりに祖国の地を踏むベン・ハーに近づいて来た人物がいた。このエジプト人バルタザール(フィンレイ・カリー)こそ、キリスト誕生の時、厩に訪れた3人の賢人のうちの一人であり、成人した筈のキリストを探す為、再びイスラエルの地に舞い戻って来ていたのだが、ベン・ハーをひと目見てもしやと思い話し掛けてきたのだった。
バルタザールはアラブの族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)の客人として、テントで世話になっていた。
イルデリムは近々エルサレムで行われる戦車競争に出場させる為、馬の調教とローマで戦車競争の騎手をしていたベン・ハーを騎手として出場の依頼するのだっが、彼には母と妹を探し出すことの方が先決であるが為、族長の申し出を断り一路エルサレムに向かった。
すっかり荒れ果てた我が家。そこに、シモニデスがメッサラに捕らえられ激しい拷問を受け、半身不随になってしまいその事から、結婚を諦め屋敷に残り3人の帰りを待っていた驚くエスターに会い、母と妹の消息を訪ねるのだが、エスターも知らなかったのであった。
第五・六話
ベン・ハーはアントニヤ城のメッサラのもとへ一人乗り込み、ローマのアリウス2世として出会った。まさか、驚くメッサラにベン・ハーは言い放つ「母と妹をすぐに探し出し、無事だったら復讐は忘れてやる」と
メッサラは部下に命じ地下牢を調べると二人は辛うじて生きていたが、なんと業病に侵されていた。
業病の谷に送られる二人は、ひと目だけでも我が家を見ようとハー家に立ち寄り、そこでエスターに見つかり、業病のことは黙っていて欲しいと懇願するのだった。
エスターは二人の心中を察し、ベン・ハーには、二人は牢内で死んでしまったと嘘をつく、その為ベン・ハーは悲しみのあまり屋敷を飛び出して行く。
数日後、アラブの族長イルデリムがメッサラのもとを訪れ、戦車競争にアリウス2世であるベン・ハーが出場することを伝え、賭けを持ちかけ、もしメッサラが負けた場合、メッサラは確実に破産の憂き目にあうのだが、戦う相手がベン・ハーと知ったメッサラはこの賭けに乗るのである。
競技場は数万の観衆で沸き返り、戦車競争に出場するのは9チームでそれぞれコスチュームに身を包み、4頭立ての馬車に乗り込む。ベン・ハーとメッサラの姿もあり、メッサラの馬車の車輪には鋭い刃物が付けられていた。
ピラト総督の合図で、戦闘の幕が切って落とされ、一周460メートルのトラックを10周するのであるが、メッサラは車輪の刃物で相手の車輪を粉砕していく。次々と脱落していく戦車から大地に叩きつけられる騎手に突進する戦車。危ないところを切り抜けるベン・ハーメッサラの鞭が襲い掛かかる、同時に車輪の刃物がベン・ハーの車輪を削りだした。ベン・ハーが逆に鞭を掴み応酬していると、メッサラの車輪が壊れメッサラが振り落とされる。馬に引きずられるメッサラの上を後続の馬車が踏みつけていく。(このスペクタクルシーンは、現在のCGにはない本物の迫力があり、おそらくこれを越えるものは、今後出る事は無いと考えます。)
遂に、大歓声の中ベン・ハーは復習に燃え勝利したのであった。
重症のメッサラのところにベン・ハーが現れた。そして、メッサラは最後の力を振り絞って言うのである「まだ勝負は終わってないぞ、お前の母親と妹は生きている、業病の谷にな」 ベン・ハーに最後の意地を示しメッサラは息を引き取った。
第七話
世間から見放され、ひっそりと死を迎え様としている母と妹を探しに業病の谷へやって来たベン・ハーは谷底へ降りていくと、そこにエスターがミリアムとティルザに食料を持って来ていたのであった。エスターに何故嘘をついたのかと問いただすその時、洞窟の中からミリアムとティルザが出てきた。とっさに岩陰に身を隠し、母親がエスターに息子の様子を尋ねる声がベン・ハーの心を辛く悲しませ、声を殺して泣くのであった。
業病の谷からの帰途、丘の上に向かい人々が歩いて行くのを見たその丘にエジプト人のバルタザールがベン・ハーを見つけ近づき言うのである「やっと、あの方を見つけましたよ。間違いなく神の御子です」 バルタザールは喜びをたたえ、ベン・ハーを誘うのだが、悲しみに打ちひしがれている彼にはそんな余裕はなく彼は急ぎピラト総督の官邸へ急いだ。
分かれたエスターは丘の上でキリストを見上げ、エスターの顔も多くの人々の顔も何故か穏やか表情なのであった。
ベン・ハーは官邸でピラト総督に会い、今やベン・ハーはローマの全てが憎く、母と妹を痛め苦しませたのは、ローマの為であると、ピラト総督に怒りをぶつけた。
「この指輪を父上にお返しください」 ベン・ハーはアリウスから授かった指輪を外した。
そして、ベン・ハーは叫んだ「私はアリウス2世ではなく、ユダヤ人のジュダ・ベン・ハーです。」
帰宅したベン・ハーを迎えたエスターは、彼の復讐心に燃えた顔を見て言うのであった。
「貴方の顔は憎しみで一杯、まるでメッサラが乗り移ったように、憎しみからは何も生まれません。でも愛は憎しみより強いと私は信じますわ」その言葉を聞いたベン・ハーは目を覚まされ気づくのであった。
第八話
翌日、丘の上のキリストの慈愛に満ちた説教を聞いたエスターは、ミリアムとティルザにも聞かせたいと思い、業病の谷へ向かいそこに、エスターの後からベン・ハーもやって来た。
母ミリアムを抱き締めるベン・ハー。だがティルザには死期が近づいていた。洞窟の中からティルザを抱き上げてきたベン・ハーたちはエルサレムへ向かうが、街で気付いた人々は、業病人だと叫び石を投げる。
その頃、ピラト官邸の広場では、ユダヤ教司祭達の民衆支持離れの恐れからキリストに、ユダヤの反逆罪裁判が行われ、ローマ政府に引き渡された後、最も重い死刑の宣告がされ十字架を背負ったキリストがエルサレムの街路を歩んでいく。その姿を見たベン・ハーは気づくのであった。この人物こそガレー船に運ばれる途中、自分に水を恵んでくれた人だと。
血に染まった裸足がおぼつかなく、手を着くキリスト。ベン・ハーはとっさに近くの水場から柄杓に水を汲み、キリストに差し出しす。キリストは水を飲みながらベン・ハーと対面した。そこには以前の自己の様な憎しみの顔でない、慈悲深い顔のキリストであった。その瞬間、又も役人の鞭が飛んできた。
ゴルゴダの丘で磔にされるキリスト。掛けられたその時、風雲俄に掻き曇り、天の怒りなのか当たり一面暗くなり、キリストの肉体から流れた出た血が大地を伝わり、小川に流れ赤く染める。神にこの者達の罪の許しを願うキリスト。その血はこの世界の人の罪と許しを死により教え伝える様にも思わせる悲しくも後悔と愚かさを感じさせる場面であった。
雷鳴が轟き、突然の豪雨に洞窟に身を寄せたエスター、ミリアム、ティルザの3人は、キリストの死を、はっきりとそれは感じられた。瞬間、ミリアムとティルザの体に激しい痛みが襲いそこでエスターは見るのである。せん光に照らされたミリアムとティルザの顔に病の痕跡が消え、元の姿になっているのをこの時、苦しみの物達を救うべき奇跡がまさに、起きたのだった。
お互いの顔を見、奇跡を実態した感動と喜びに抱き合う3人であった。
キリストの死を見届けたベン・ハーが帰宅すると、出迎えたエスターが奇跡の全快をした母と妹の姿を2階に示し、それに引き付けられる様に駆け上がるベン・ハーの心からは、全ての憎しみの感情が消え失せ、母子、兄妹が強く抱き合った。
三日後、多くの人々、勿論ベン・ハーも見るのである。
イエス・キリストの復活を。
主役のチャールトン・ヘストンの存在感が大きく彼独自の歴史の息吹を感じさせる作品ではありますが、その後の彼のスペクタクル史劇には、なくてはならない俳優としての活躍からも、うかがえます。
その他代表作「十戒」「エル・シド」「華麗なる激情」「偉大な生涯の物語」「カーツーム」「猿の惑星」等、悪を演じたスティーヴン・ボイドは異色なアクターとして色々なジャンルに活躍していたが、最近では、あまり活躍の場が無い様である。
ラストのシーンにより、人であるが為の心から、やがて憎しみ、怒りそこに、迫力ある映像からの燃え滾るような復習心の増幅、空しさ、悲しみを穏やかに又神秘的に導かされ、単なるスペクタクル史劇に終わらせなかった事以上に忘れえない最高傑作だった様に思えます。
1959年度、アメリカ M-G-Mスタジオ作品※
製作者 サム・ジンバリスト 出演 チャールトン・へストン※
原作 ルー・ウォレス ヒュー・グリフィス※
監督 ウィリアム・ワイラー※ スティーヴン・ボイド
美術監督エドワード・カルファーノ※ マーサ・スコット
脚本 カール・タンバーグ キャッシー・オドネル
撮影 ロバート・Lサーティース※ ジャック・ホーキンス
音楽 ミクロス・ローザ※
1959年度・アカデミー賞、作品賞※、監督賞※、主演男優賞※、助演男優賞※、撮影賞※、映画音楽賞※、美術監督・装置賞※他2名、その他衣装デザイン賞、特殊効果賞、編集賞、録音賞
映画スタジオM-G-M社はテレビの台頭により、会社存続を懸け25年のヒット作『ベン・ハー』の再映画化を企画。製作者には25年版の編集を務めたサム・ジンバリストを、同じく助監督として参加していたウィリアム・ワイラーに監督を依頼。監督としては最高額の100万ドルのギャラが支払われた。脚本の執筆はワイラーのイメージに合わず困難を極め、40もの脚本が執筆され幾人かの脚本家の交代を経て結果、最終的にイギリスの脚本家クリストファー・フライが脚本に手を加えるのだが、脚本の執筆は映画の撮影と同時進行で行われる異例の方法となる。ベン・ハー役にはポール・ニューマン、マーロン・ブランド、らが候補にあがるが、最終的にワイラーはチャールトン・へストンに白羽の矢をあてる。メッサラ役にはデビュー間もないアイルランド人俳優スティーブン・ボイドが起用。ベン・ハーの母親ミリアム役には「十戒」でもヘストン扮するモーゼの母親を好演したマーサ・スコットを、最終的に5万人を超える俳優やエキストラたちがこの映画の撮影に参加した。
撮影はイタリアのローマで行われ、美術監督のエドワード・カルファーノはローマのチネチッタ撮影所に、古代ローマ時代の世界を再現。二輪戦車レースが行われる円形競技場建設のため1000人以上の技術者たちが1年以上もの時間を掛けて壮大な1周460mの競技場のセットが作られ、その後全てのセットは撮影終了後に壊してしまうのである。マケドニアとの海戦シーンに使うガレー船の建造では、専門家を雇って出来るだけ忠実に再現をし、海戦の海には池を掘り又、茶色い池の水は地中海の青い海の色に染められた。
この映画最大の見せ場となる、4頭の馬につながれた二輪戦車がしのぎを削る20分弱のレース・シーンの撮影のために、ヘストンを含めたキャストとスタッフはイタリアで4ヶ月の撮影リハーサルを行い、3ヶ月かけて撮影された。このシーンの演出は、名作「駅馬車」のスタントで抜擢された元スタント・マンのヤキマ・カヌートが担当をし、カヌートの息子ジョー・カヌートがヘストンのスタント・マンを務めた。実際競争シーンは3分間程度の戦車競争を11分かけて映写する等、スタートからゴールまでの8分46秒は、同一ショットはなく192ショットから編集された1ショット約3秒の前代未聞のスピード感と迫力を出すことに成功、又危険な撮影にも拘らず、死者や大きな怪我をした者がいなかったのだが、超大作の製作を任されたプレッシャーの影響なのかジンバリストは製作途中で心臓発作が原因で急死してしまい、スタジオはJ・J・コーエンに後を引き継がせ、当時としては破格といわれた1,500万ドル(54億円)もの制作費と6年半もの製作期間を経て映画は無事完成。映画は8,000万ドルもの利益を上げる記録的なヒットとなった。現代の映画産業にこの様な大規模の人材と製作期間はおそらく望めないでしょう。
第一話
映画のオープニング、ある澄み渡ったエルサレムの聖夜の空、ひときわ明るく輝く・・・ダビデの星があった。東方から遥々やって来た3人の賢人たちもその星を見上げていたがやがて、その星の一筋の光に示された粗末な厩で一人の男児が誕生した。イエス・キリストの誕生である。
第二話
この時期のローマは共和政から初期帝政に入り常備軍を持ち対外拡張政策から防御体制の整備と支配地の破壊よりローマ化に政策を転換した頃と思われる。
紀元26年、ナザレの村をローマ軍の一行が通り、エルサレムに向かっていた。そこに青年に成長したヨセフの息子キリストの姿もあった。
ローマの大軍を率いてエルサレムのアントニヤ城に入ったのは新任の司令官メッサラ(スティーブン・ボイド)だった。
さっそくメッサラの新任の祝いに訪問したのは、かっての幼友達でユダヤの王族ハー家の嫡男ジュダ・ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)であった。
二人は力強く抱擁し合い、旧交を暖める。
翌日、メッサラはベン・ハーの屋敷を訪れた。ベン・ハーの母ミリアム(マーサ・スコット)、妹ティルザ(キャシー・オドネル)もメッサラを暖かく迎えるのだが、ローマ皇帝からユダヤの支配強化を命じられたメッサラは、ベン・ハーの影響力を利用し、彼に反抗者を密告するように依頼するが、断固拒否するベン・ハーにメッサラは怒りを露わに立ち去るのだった。
ハー家で、昔から仕えている奴隷、シモニデス(サム・ジャフェ)は一人娘のエスター(ハイヤ・ハラリート)が嫁入りする事で挨拶にやって来たのだが、ベン・ハーは彼らを友人として向かえ、久しぶりに再会したエスターが美しく成長しているのを見て複雑な気持ちになるのであった。
新任のグラトゥス総督がローマの部隊を引き連れエルサレムに入った一行はハー家の通りに進行して来たその時、ティルザが触れた瓦が外れて滑り、総督の馬の近くで砕け落ちた事から、馬が驚いて暴れ総督は落馬するのである。
ハー家にメッサラが兵隊を引き連れ乗り込み、事故なのは明白であったが、先日のベン・ハーの拒否への報復ともいえる、ベン・ハー一家3人を総督暗殺未遂容疑で逮捕し、ベン・ハーの無実の訴えにも耳をかさないばかりか、生きて帰るのは不可能に近いガレー船に乗せ、彼の母と妹を地下牢に閉じ込めるのであった。
第三話
ガレー船に乗せられ、ナザレの地に来た時、倒れ込んだベン・ハーに近づき水を差し伸べた人物がいた。その人物こそイエス・キリストであり、その水を天の恵みの如くむさぼった。(この場面でのキリストの姿は映し出しているのであるが、顔等を見せない演出はキリストの神秘さを見る人の心に効果的に表現させたものであった)やがて、それに気付いた護衛隊長が鞭を飛ばす。
3年後、ローマのガレー船で奴隷総勢120名の漕ぎ手の中にベン・ハーの姿がある。3年も苛酷な労役に耐えてきた彼の生きる源はメッサラに対する復讐心であった。そんな中、クイントス・アリウス提督(ジャック・ホーキンス)は不屈のベン・ハーを何かと気にかけ、マケドニアとの海戦となった時には、ベン・ハーの足枷を外させ、又海戦の最中、ベン・ハーは他の奴隷の鎖を外していき、アリウス提督を狙う敵に槍を放ち救うのであるが、敵の船もローマの船も大破し、ベン・ハーとアリウス提督だけが破片の上に浮かんでいた。
そこへ通りかかったローマの軍艦に助けられ、戦果はアリウスの船は大勝利だったのであった。
アリウス提督のローマ凱旋には、4頭立ての馬車のアリウスの横にベン・ハーが乗り、沿道を埋め尽くす大衆の中、ローマ皇帝はアリウスに勝利のバトンを手渡た。
そして、ベン・ハーは奴隷の身分から解放され、アリウスの養子として迎えられたのであった。
それから一年余、ベン・ハーは戦車競争の騎手として名声を得るようになったのだが常にベン・ハーの心には遥か祖国の母と妹の消息であった。アリウスはそんなベン・ハーの気持ちを理解し、そしてベン・ハーの祖国への帰郷を許した。
第四話
4年ぶりに祖国の地を踏むベン・ハーに近づいて来た人物がいた。このエジプト人バルタザール(フィンレイ・カリー)こそ、キリスト誕生の時、厩に訪れた3人の賢人のうちの一人であり、成人した筈のキリストを探す為、再びイスラエルの地に舞い戻って来ていたのだが、ベン・ハーをひと目見てもしやと思い話し掛けてきたのだった。
バルタザールはアラブの族長イルデリム(ヒュー・グリフィス)の客人として、テントで世話になっていた。
イルデリムは近々エルサレムで行われる戦車競争に出場させる為、馬の調教とローマで戦車競争の騎手をしていたベン・ハーを騎手として出場の依頼するのだっが、彼には母と妹を探し出すことの方が先決であるが為、族長の申し出を断り一路エルサレムに向かった。
すっかり荒れ果てた我が家。そこに、シモニデスがメッサラに捕らえられ激しい拷問を受け、半身不随になってしまいその事から、結婚を諦め屋敷に残り3人の帰りを待っていた驚くエスターに会い、母と妹の消息を訪ねるのだが、エスターも知らなかったのであった。
第五・六話
ベン・ハーはアントニヤ城のメッサラのもとへ一人乗り込み、ローマのアリウス2世として出会った。まさか、驚くメッサラにベン・ハーは言い放つ「母と妹をすぐに探し出し、無事だったら復讐は忘れてやる」と
メッサラは部下に命じ地下牢を調べると二人は辛うじて生きていたが、なんと業病に侵されていた。
業病の谷に送られる二人は、ひと目だけでも我が家を見ようとハー家に立ち寄り、そこでエスターに見つかり、業病のことは黙っていて欲しいと懇願するのだった。
エスターは二人の心中を察し、ベン・ハーには、二人は牢内で死んでしまったと嘘をつく、その為ベン・ハーは悲しみのあまり屋敷を飛び出して行く。
数日後、アラブの族長イルデリムがメッサラのもとを訪れ、戦車競争にアリウス2世であるベン・ハーが出場することを伝え、賭けを持ちかけ、もしメッサラが負けた場合、メッサラは確実に破産の憂き目にあうのだが、戦う相手がベン・ハーと知ったメッサラはこの賭けに乗るのである。
競技場は数万の観衆で沸き返り、戦車競争に出場するのは9チームでそれぞれコスチュームに身を包み、4頭立ての馬車に乗り込む。ベン・ハーとメッサラの姿もあり、メッサラの馬車の車輪には鋭い刃物が付けられていた。
ピラト総督の合図で、戦闘の幕が切って落とされ、一周460メートルのトラックを10周するのであるが、メッサラは車輪の刃物で相手の車輪を粉砕していく。次々と脱落していく戦車から大地に叩きつけられる騎手に突進する戦車。危ないところを切り抜けるベン・ハーメッサラの鞭が襲い掛かかる、同時に車輪の刃物がベン・ハーの車輪を削りだした。ベン・ハーが逆に鞭を掴み応酬していると、メッサラの車輪が壊れメッサラが振り落とされる。馬に引きずられるメッサラの上を後続の馬車が踏みつけていく。(このスペクタクルシーンは、現在のCGにはない本物の迫力があり、おそらくこれを越えるものは、今後出る事は無いと考えます。)
遂に、大歓声の中ベン・ハーは復習に燃え勝利したのであった。
重症のメッサラのところにベン・ハーが現れた。そして、メッサラは最後の力を振り絞って言うのである「まだ勝負は終わってないぞ、お前の母親と妹は生きている、業病の谷にな」 ベン・ハーに最後の意地を示しメッサラは息を引き取った。
第七話
世間から見放され、ひっそりと死を迎え様としている母と妹を探しに業病の谷へやって来たベン・ハーは谷底へ降りていくと、そこにエスターがミリアムとティルザに食料を持って来ていたのであった。エスターに何故嘘をついたのかと問いただすその時、洞窟の中からミリアムとティルザが出てきた。とっさに岩陰に身を隠し、母親がエスターに息子の様子を尋ねる声がベン・ハーの心を辛く悲しませ、声を殺して泣くのであった。
業病の谷からの帰途、丘の上に向かい人々が歩いて行くのを見たその丘にエジプト人のバルタザールがベン・ハーを見つけ近づき言うのである「やっと、あの方を見つけましたよ。間違いなく神の御子です」 バルタザールは喜びをたたえ、ベン・ハーを誘うのだが、悲しみに打ちひしがれている彼にはそんな余裕はなく彼は急ぎピラト総督の官邸へ急いだ。
分かれたエスターは丘の上でキリストを見上げ、エスターの顔も多くの人々の顔も何故か穏やか表情なのであった。
ベン・ハーは官邸でピラト総督に会い、今やベン・ハーはローマの全てが憎く、母と妹を痛め苦しませたのは、ローマの為であると、ピラト総督に怒りをぶつけた。
「この指輪を父上にお返しください」 ベン・ハーはアリウスから授かった指輪を外した。
そして、ベン・ハーは叫んだ「私はアリウス2世ではなく、ユダヤ人のジュダ・ベン・ハーです。」
帰宅したベン・ハーを迎えたエスターは、彼の復讐心に燃えた顔を見て言うのであった。
「貴方の顔は憎しみで一杯、まるでメッサラが乗り移ったように、憎しみからは何も生まれません。でも愛は憎しみより強いと私は信じますわ」その言葉を聞いたベン・ハーは目を覚まされ気づくのであった。
第八話
翌日、丘の上のキリストの慈愛に満ちた説教を聞いたエスターは、ミリアムとティルザにも聞かせたいと思い、業病の谷へ向かいそこに、エスターの後からベン・ハーもやって来た。
母ミリアムを抱き締めるベン・ハー。だがティルザには死期が近づいていた。洞窟の中からティルザを抱き上げてきたベン・ハーたちはエルサレムへ向かうが、街で気付いた人々は、業病人だと叫び石を投げる。
その頃、ピラト官邸の広場では、ユダヤ教司祭達の民衆支持離れの恐れからキリストに、ユダヤの反逆罪裁判が行われ、ローマ政府に引き渡された後、最も重い死刑の宣告がされ十字架を背負ったキリストがエルサレムの街路を歩んでいく。その姿を見たベン・ハーは気づくのであった。この人物こそガレー船に運ばれる途中、自分に水を恵んでくれた人だと。
血に染まった裸足がおぼつかなく、手を着くキリスト。ベン・ハーはとっさに近くの水場から柄杓に水を汲み、キリストに差し出しす。キリストは水を飲みながらベン・ハーと対面した。そこには以前の自己の様な憎しみの顔でない、慈悲深い顔のキリストであった。その瞬間、又も役人の鞭が飛んできた。
ゴルゴダの丘で磔にされるキリスト。掛けられたその時、風雲俄に掻き曇り、天の怒りなのか当たり一面暗くなり、キリストの肉体から流れた出た血が大地を伝わり、小川に流れ赤く染める。神にこの者達の罪の許しを願うキリスト。その血はこの世界の人の罪と許しを死により教え伝える様にも思わせる悲しくも後悔と愚かさを感じさせる場面であった。
雷鳴が轟き、突然の豪雨に洞窟に身を寄せたエスター、ミリアム、ティルザの3人は、キリストの死を、はっきりとそれは感じられた。瞬間、ミリアムとティルザの体に激しい痛みが襲いそこでエスターは見るのである。せん光に照らされたミリアムとティルザの顔に病の痕跡が消え、元の姿になっているのをこの時、苦しみの物達を救うべき奇跡がまさに、起きたのだった。
お互いの顔を見、奇跡を実態した感動と喜びに抱き合う3人であった。
キリストの死を見届けたベン・ハーが帰宅すると、出迎えたエスターが奇跡の全快をした母と妹の姿を2階に示し、それに引き付けられる様に駆け上がるベン・ハーの心からは、全ての憎しみの感情が消え失せ、母子、兄妹が強く抱き合った。
三日後、多くの人々、勿論ベン・ハーも見るのである。
イエス・キリストの復活を。
主役のチャールトン・ヘストンの存在感が大きく彼独自の歴史の息吹を感じさせる作品ではありますが、その後の彼のスペクタクル史劇には、なくてはならない俳優としての活躍からも、うかがえます。
その他代表作「十戒」「エル・シド」「華麗なる激情」「偉大な生涯の物語」「カーツーム」「猿の惑星」等、悪を演じたスティーヴン・ボイドは異色なアクターとして色々なジャンルに活躍していたが、最近では、あまり活躍の場が無い様である。
ラストのシーンにより、人であるが為の心から、やがて憎しみ、怒りそこに、迫力ある映像からの燃え滾るような復習心の増幅、空しさ、悲しみを穏やかに又神秘的に導かされ、単なるスペクタクル史劇に終わらせなかった事以上に忘れえない最高傑作だった様に思えます。