次の日の朝、今日も快晴だ。
昨日問題のジーパンの乾き具合は季節が夏の為、穿けなくもない状態だ。本人は着替えにメンパンを持って来ているはずなのに、例のジーパンを穿きたい素振りで、やや生乾きを気にしているのか迷ったあげく訊いてきた。そんな小っちゃな事はどうでもいい事なので「お前の体温と、太陽で穿いてたら乾くやろ」といい加減な返答をする「せやな」大した疑いもせず決着。
宿泊の勘定を済ませ、出ようとすると後ろから「乾いてた」見ると、昨日風呂場で(洗だく注意)のおばちゃんが意外にもニコニコして立っている。ドキッとする間もなく聞かれたジーパンに何故か二人、指をさし「か、乾きました」 ポケッとしている、先にいた事情を知らない二人の友人を残し、直に出た。
駅前で四人分の貸し自転車を借り、爽快な気分で名所巡りだ。
戦国時代の大内氏、関が原以後の毛利氏、関が原不戦を教訓にしたか、否かは分かりませんが、多くの維新の志士が出た処とは思えない程、長閑な佇まいが点在している日本史の様な土地であるのですが、我々の様な男連れはほとんど無く、女の子のグループとアベックが多く完全に浮いた状態だったが、嬉しかった。
当時、異性に声を掛けるのが関の山状態にも拘らず、女の子のグループが多い、あるいは四人ソレゾレのタイプの子を見れば、何かのお導きの様に忙しく巡っていた有様で、松陰神社・松下村塾(以外と貧相な建物)・東光寺(毛利家の菩提寺)・吉田松陰誕生地(石碑より市内が一望出来眺めが良い)・玉木文乃進旧宅(松下村塾の創立者)・伊藤博文別邸(わざわざ東京から移したらしい)・木戸孝允旧住宅(維新三傑の一人桂小五郎の名でも有名)・円政寺・高杉晋作誕生地(騎兵隊の創立者維新の風雲児が育った所)等の名所旧跡を周ったのだが、その為か今、肝心の名所旧跡の記憶があまりないのである。
余計な興奮状態の頭の熱と昨日菊ヶ浜の海水欲に、この炎天下も手伝った事による体の熱を下げる為、休憩をしながら「不純な考え方の見学は止めて、真ともな方向で行こうや」奮闘努力した甲斐もなく(何処かで聞いたような)が実態なのだが、勝手な言い訳をつけたと申しますか正気に戻りつつ、地図を広げながら次からのルートを三人が座って相談していると、一人自転車の横に立っている友人が、遠くの誰かと話をしている。(相手は女性の声の様だが)「四人の中で俺だけのご指名や」と嬉しいのか得意満面の崩れた顔で我々に言う「四人の中って相手が、見えてんのは、お前だけやんけ」「シャッターの依頼やから止めとけ」と我々の大人げのない返事を聞く間もなく「ア、アハ・アハ」と彼、独特の絶好調時の笑いを残し一人正気に戻っていない友人が消えた。
この件のおかげで、先の方向がハッキリした。
昼も済ませ、立てた計画通り最初は、旧周布長屋門・堀内鍵曲・旧福原家萩屋敷門(萩藩永代家老の城詰め時の屋敷)・天樹院墓所(毛利輝元の墓所及び元隠居所)・萩城跡(春は桜秋は紅葉で美しいのですが真夏の為石垣と堀のみで、仰げば侘びしの気持ちだが天守閣は無し)
萩の感想はまるで萩城跡を見た気分と同じであったが、次の目的地に行く為、東萩駅から長門市そして美祢線に乗り秋芳洞行きのバスが出る、美祢駅に着いた。
幸いな事に秋芳洞行きバスの出発迄15分待ちである。
同室の友人が「時間あるからトイレに行く」と言い残しトイレに行ったのだが、後の事を思えば軽率な返事をした。
昨日問題のジーパンの乾き具合は季節が夏の為、穿けなくもない状態だ。本人は着替えにメンパンを持って来ているはずなのに、例のジーパンを穿きたい素振りで、やや生乾きを気にしているのか迷ったあげく訊いてきた。そんな小っちゃな事はどうでもいい事なので「お前の体温と、太陽で穿いてたら乾くやろ」といい加減な返答をする「せやな」大した疑いもせず決着。
宿泊の勘定を済ませ、出ようとすると後ろから「乾いてた」見ると、昨日風呂場で(洗だく注意)のおばちゃんが意外にもニコニコして立っている。ドキッとする間もなく聞かれたジーパンに何故か二人、指をさし「か、乾きました」 ポケッとしている、先にいた事情を知らない二人の友人を残し、直に出た。
駅前で四人分の貸し自転車を借り、爽快な気分で名所巡りだ。
戦国時代の大内氏、関が原以後の毛利氏、関が原不戦を教訓にしたか、否かは分かりませんが、多くの維新の志士が出た処とは思えない程、長閑な佇まいが点在している日本史の様な土地であるのですが、我々の様な男連れはほとんど無く、女の子のグループとアベックが多く完全に浮いた状態だったが、嬉しかった。
当時、異性に声を掛けるのが関の山状態にも拘らず、女の子のグループが多い、あるいは四人ソレゾレのタイプの子を見れば、何かのお導きの様に忙しく巡っていた有様で、松陰神社・松下村塾(以外と貧相な建物)・東光寺(毛利家の菩提寺)・吉田松陰誕生地(石碑より市内が一望出来眺めが良い)・玉木文乃進旧宅(松下村塾の創立者)・伊藤博文別邸(わざわざ東京から移したらしい)・木戸孝允旧住宅(維新三傑の一人桂小五郎の名でも有名)・円政寺・高杉晋作誕生地(騎兵隊の創立者維新の風雲児が育った所)等の名所旧跡を周ったのだが、その為か今、肝心の名所旧跡の記憶があまりないのである。
余計な興奮状態の頭の熱と昨日菊ヶ浜の海水欲に、この炎天下も手伝った事による体の熱を下げる為、休憩をしながら「不純な考え方の見学は止めて、真ともな方向で行こうや」奮闘努力した甲斐もなく(何処かで聞いたような)が実態なのだが、勝手な言い訳をつけたと申しますか正気に戻りつつ、地図を広げながら次からのルートを三人が座って相談していると、一人自転車の横に立っている友人が、遠くの誰かと話をしている。(相手は女性の声の様だが)「四人の中で俺だけのご指名や」と嬉しいのか得意満面の崩れた顔で我々に言う「四人の中って相手が、見えてんのは、お前だけやんけ」「シャッターの依頼やから止めとけ」と我々の大人げのない返事を聞く間もなく「ア、アハ・アハ」と彼、独特の絶好調時の笑いを残し一人正気に戻っていない友人が消えた。
この件のおかげで、先の方向がハッキリした。
昼も済ませ、立てた計画通り最初は、旧周布長屋門・堀内鍵曲・旧福原家萩屋敷門(萩藩永代家老の城詰め時の屋敷)・天樹院墓所(毛利輝元の墓所及び元隠居所)・萩城跡(春は桜秋は紅葉で美しいのですが真夏の為石垣と堀のみで、仰げば侘びしの気持ちだが天守閣は無し)
萩の感想はまるで萩城跡を見た気分と同じであったが、次の目的地に行く為、東萩駅から長門市そして美祢線に乗り秋芳洞行きのバスが出る、美祢駅に着いた。
幸いな事に秋芳洞行きバスの出発迄15分待ちである。
同室の友人が「時間あるからトイレに行く」と言い残しトイレに行ったのだが、後の事を思えば軽率な返事をした。