昔の自分は、自分が普通なんだと思っていました。
だから、主人は冷たい、主人は私のことをわかってくれない。
誰かわかってくれる人が欲しい。私の居場所が欲しい。
全ては、そこから始まりました。
今、考えれば、自分の問題を解決する方法として、
自分をわかってくれる人がほしいと思うことを見直さなくてはいけなかったのに、
私は、主人以外の人に自分をわかってくれることを望みました。
たまたま彼は、他人の面倒を見ることに生き甲斐を感じるような人で、
丁度、タイミングがあったんでしょうね。
お互いに、面倒を見てもらう、面倒を見る、その関係が非常にうまくいきました。
その結果、私はようやく理想の親代わりを見つけたと思えるようになったのです。
今までも何人も男の人とつきあってきたけども、そう思えたのは、
彼が始めてでした。
理想の親代わりを見つけたら、私のすべての問題はなくなると思っていました。
でも、私の問題はなくならない。
私は、理想の親=私を助けてくれる人という認識だったんだと気付きました。
自分が困難な壁にぶつかったときに、がんばんなくちゃとか思いながらも、
心の中では、誰か、誰か・・・と言っていて、
きっと、理想の親がいたら助けてくれるんだと勝手に思っていたのです。
ところが、理想の親がいても助けられないこともある。当たり前ですが。
ようやく、これは自分自身の問題なんだ。
物事は誰かに褒められることを目的にやるんじゃなくて、
自分がしなくちゃいけない、したいと思うからやるんだと、
このとき、初めて理解したのです。
自分がやっても誰も褒めてくれない・・・と思うとやりきれませんが、
自分の仕事なんだから誰も褒めてくれなくて当たり前と思えば気になりません。
それに、自分がやったことをわかってくれる親代わりがいましたから。
全ては順調に進んで行ったように思えました。
現に、主人もこの頃から、私が変わったと思っていたようです。
後は、もう絡んでた糸がほどけるように、
全てに関して、あー、こうだったのか、こうすればいいのかぁと、
思うようになってきます。
親として、どう接すればいいのかわかりませんでしたが、
親代わりの彼に、肯定して、励まされ、どんなときも信じてもらえて、
自分が前向きに進めるようになった経験をしたので、
子供に対しても、どう接すればいいのか自信が持てるようになってきました。
そして、とうとう、子供が本当に見てることは、
親の言葉でもない、しつけでもない、親の生き様なんだということがわかりました。
子供は、親が思ってる以上に親を見ている。
なのに、私は何をやってるんだろう?
子供にばれてないからといって、何をやってるんだろう?
そのへんが、彼との終わりを考え始めるキッカケになっていきました。
しかし、親代わりが絶対に必要だった私にとって、
親代わりの彼を失うことは、大げさに聞こえるかもしれませんが、
もう人生どうしていいかわかりません。
ママが見えなくなった幼児が、その場でワンワン泣きつくすのと同じ感覚です。
でも、私は子供のために乗り越えなくてはいけない。
でも、親代わりの彼と離れられない。
その葛藤でした。
乗り越えようとして、ACだのADHDだの調べ、自分自身を考え、
そして、傷ついてはまた親代わりの彼に戻る。
意見がコロコロ変わるというのは、よく言われますが、
別に適当に考えたことを言ってるわけではなくて、
たぶん、物凄い勢いで思考が回転するんだと思います。
一言がキッカケとなり、途端に、思考が物凄い高速回転をします。
逆に、ゆっくりと考えましょうなんてことができません。
今回、早急に?見えるかもしれませんが、
彼との終わりを考えたのは、前から少しずつ色々考えていたのもありましたし、
コメントで頂いた方の旦那さんの台詞が効きました。
「今、彼氏は仕事に居場所を見つけたんだから、悲しくもなく、
一番得したんだろうな」という感じのコメントでした。←旦那さんのせいだ!とか言うわけじゃないので安心してください。
そのコメントを聞いて、今まで、自分の中で漠然としていた不安や、疑問、
色んなものが、さーっと一気に溶けた気がしたのです。
あとは、それを心が受け入れるだけです。
そして、親代わりを求める気持ちをどうすればいいかだけです。
これも誰かから指摘がありましたが、
私も彼でなくてよかったのです。
親代わりをしてくれる人なら・・・。
そういえば、よく彼が言ってました。
「○○さんは俺自身を見てるんじゃなくて、親の役目をしてくれる俺が
好きなんだよね。」と。
まぁ、お互い様と言えばお互い様ですね。
主人や、妹と話して、
今まで、私には言えなかったことが多かったことに気付きました。
親にも言えない、妹達にも言えない、友達にも言えない。
そういうのを、すべて誰かに求めていたのです。
妹から、「お姉さんは自分をしばらなくていいんだよ」と言われました。
「お姉さんはきっと妹から心配されたら嫌がると思ってたから、
何も言わなかったし、うまく言ってると思ってたから何も言わなかったけど、
お姉さんも色々あったんだね。同じ親から生まれてきたんだから、
色々あっても当然なんだよ。何でも言ってよ。お姉さんから電話もらって
うれしいよ。」
本当に大事な者はすぐ近くにあったんですね。
でも、彼に感謝してるのも事実です。
何を戯言を!と言うのもわかりますし、
彼の気まぐれであって、そんなのは本当の愛ではなかったのもわかっています。
でも、彼が親代わりをしてくれたからこそ、
私は、今まで親代わりさえいれば済むんだと思ってたことが済まないこと、
自分自身の手で、自分自身の意思で物事はやる必要があること、
自分自身でやったこをは、自分自身で喜ぶこと、
一見、当たり前、当然のことですが、それは私は彼に会うまで、
気付かなかったし、知らなかった。
それに気付けたからこそ、次に自分のすべきことは?と前に進めたんだと思います。
不倫は間違いなくいけないことだと思う。
でも、彼と出会ったことに後悔はないし、やっぱり感謝している。
そして、ママがそういう考えなんだとわかったから、
俺ができることはやるよと言ってくれた主人には、
心から済まないことをしたと思う。
主人にも、AC、ADHDのことは話しました。
病院に行って、一度、本格的に調べてもらおうと思うことも言いました。
初めて、お互いが普通だと思ってたことが違うんだということがわかりました。
言い合いばかりしていた昔では考えられません。
ふざけんな!と思う人はいるとは思いますが、
私は、間違った道を通りながらも、前に進んできたんだと思うようにしようと思います。
そして、今度こそは、本当に大事な人を見失わずに、
空回りでない努力をして、前に進んで、
子供に安心と自信を与えて、頑張って大人になってきなさい!と送り出せる
ママになりたいと思います。
ちなみに、どのコメントも叩かれたという認識はしておりません。
むしろ、自分の感覚と、普通の感覚のズレがわかってよかったです。
きっと、まだ、わっかんないなぁと思うことは多々あるのでしょうが、
わっかんないなぁと思うようなことを、平気でやれちゃうような
精神年齢の私なのでしょう。
問題はまだまだ山積みです。
でも、自分が、自分の問題、自分の進むべき道、それがハッキリしただけでも、
結構、今すっきりしています。
私だけじゃない、妹達もみんな同じことを苦しんでるというのも、
案外と、励みになります。
自分で勝手にお姉さんなんだから・・・と思っていましたが、
妹達の方が全然しっかりしていました(笑
後は、自分の親ともしっかり向かい合った方がいいそうです。
私には、まだ親に本当の自分の気持を言える自信がない。
でも、すぐに慌てる必要はないですよね。
ゆっくり、ゆっくり、人より遅いけど、歩こうと思っています。
あ、あと、親代わりを主人に代えただけなんじゃ??と思うと思います。
否定はしきれません。主人もその気になってますし。
でも、自分で、そこに問題があることがわかりました。
なので、子供にも、主人にも、一極集中型で依存するのはやめようと思います。
色んな人に色んな方法で分散させて、
一人でも頑張れるぞ!と思えるくらいに、なりたいと思います。
まだ、ツライですけどね・・・。
以前何度も繰り返してきた、親代わりの喪失感による絶望感に比べたら、
まだマシな方に思います。
それだけ、私も前に進んできたのかな。
だから、主人は冷たい、主人は私のことをわかってくれない。
誰かわかってくれる人が欲しい。私の居場所が欲しい。
全ては、そこから始まりました。
今、考えれば、自分の問題を解決する方法として、
自分をわかってくれる人がほしいと思うことを見直さなくてはいけなかったのに、
私は、主人以外の人に自分をわかってくれることを望みました。
たまたま彼は、他人の面倒を見ることに生き甲斐を感じるような人で、
丁度、タイミングがあったんでしょうね。
お互いに、面倒を見てもらう、面倒を見る、その関係が非常にうまくいきました。
その結果、私はようやく理想の親代わりを見つけたと思えるようになったのです。
今までも何人も男の人とつきあってきたけども、そう思えたのは、
彼が始めてでした。
理想の親代わりを見つけたら、私のすべての問題はなくなると思っていました。
でも、私の問題はなくならない。
私は、理想の親=私を助けてくれる人という認識だったんだと気付きました。
自分が困難な壁にぶつかったときに、がんばんなくちゃとか思いながらも、
心の中では、誰か、誰か・・・と言っていて、
きっと、理想の親がいたら助けてくれるんだと勝手に思っていたのです。
ところが、理想の親がいても助けられないこともある。当たり前ですが。
ようやく、これは自分自身の問題なんだ。
物事は誰かに褒められることを目的にやるんじゃなくて、
自分がしなくちゃいけない、したいと思うからやるんだと、
このとき、初めて理解したのです。
自分がやっても誰も褒めてくれない・・・と思うとやりきれませんが、
自分の仕事なんだから誰も褒めてくれなくて当たり前と思えば気になりません。
それに、自分がやったことをわかってくれる親代わりがいましたから。
全ては順調に進んで行ったように思えました。
現に、主人もこの頃から、私が変わったと思っていたようです。
後は、もう絡んでた糸がほどけるように、
全てに関して、あー、こうだったのか、こうすればいいのかぁと、
思うようになってきます。
親として、どう接すればいいのかわかりませんでしたが、
親代わりの彼に、肯定して、励まされ、どんなときも信じてもらえて、
自分が前向きに進めるようになった経験をしたので、
子供に対しても、どう接すればいいのか自信が持てるようになってきました。
そして、とうとう、子供が本当に見てることは、
親の言葉でもない、しつけでもない、親の生き様なんだということがわかりました。
子供は、親が思ってる以上に親を見ている。
なのに、私は何をやってるんだろう?
子供にばれてないからといって、何をやってるんだろう?
そのへんが、彼との終わりを考え始めるキッカケになっていきました。
しかし、親代わりが絶対に必要だった私にとって、
親代わりの彼を失うことは、大げさに聞こえるかもしれませんが、
もう人生どうしていいかわかりません。
ママが見えなくなった幼児が、その場でワンワン泣きつくすのと同じ感覚です。
でも、私は子供のために乗り越えなくてはいけない。
でも、親代わりの彼と離れられない。
その葛藤でした。
乗り越えようとして、ACだのADHDだの調べ、自分自身を考え、
そして、傷ついてはまた親代わりの彼に戻る。
意見がコロコロ変わるというのは、よく言われますが、
別に適当に考えたことを言ってるわけではなくて、
たぶん、物凄い勢いで思考が回転するんだと思います。
一言がキッカケとなり、途端に、思考が物凄い高速回転をします。
逆に、ゆっくりと考えましょうなんてことができません。
今回、早急に?見えるかもしれませんが、
彼との終わりを考えたのは、前から少しずつ色々考えていたのもありましたし、
コメントで頂いた方の旦那さんの台詞が効きました。
「今、彼氏は仕事に居場所を見つけたんだから、悲しくもなく、
一番得したんだろうな」という感じのコメントでした。←旦那さんのせいだ!とか言うわけじゃないので安心してください。
そのコメントを聞いて、今まで、自分の中で漠然としていた不安や、疑問、
色んなものが、さーっと一気に溶けた気がしたのです。
あとは、それを心が受け入れるだけです。
そして、親代わりを求める気持ちをどうすればいいかだけです。
これも誰かから指摘がありましたが、
私も彼でなくてよかったのです。
親代わりをしてくれる人なら・・・。
そういえば、よく彼が言ってました。
「○○さんは俺自身を見てるんじゃなくて、親の役目をしてくれる俺が
好きなんだよね。」と。
まぁ、お互い様と言えばお互い様ですね。
主人や、妹と話して、
今まで、私には言えなかったことが多かったことに気付きました。
親にも言えない、妹達にも言えない、友達にも言えない。
そういうのを、すべて誰かに求めていたのです。
妹から、「お姉さんは自分をしばらなくていいんだよ」と言われました。
「お姉さんはきっと妹から心配されたら嫌がると思ってたから、
何も言わなかったし、うまく言ってると思ってたから何も言わなかったけど、
お姉さんも色々あったんだね。同じ親から生まれてきたんだから、
色々あっても当然なんだよ。何でも言ってよ。お姉さんから電話もらって
うれしいよ。」
本当に大事な者はすぐ近くにあったんですね。
でも、彼に感謝してるのも事実です。
何を戯言を!と言うのもわかりますし、
彼の気まぐれであって、そんなのは本当の愛ではなかったのもわかっています。
でも、彼が親代わりをしてくれたからこそ、
私は、今まで親代わりさえいれば済むんだと思ってたことが済まないこと、
自分自身の手で、自分自身の意思で物事はやる必要があること、
自分自身でやったこをは、自分自身で喜ぶこと、
一見、当たり前、当然のことですが、それは私は彼に会うまで、
気付かなかったし、知らなかった。
それに気付けたからこそ、次に自分のすべきことは?と前に進めたんだと思います。
不倫は間違いなくいけないことだと思う。
でも、彼と出会ったことに後悔はないし、やっぱり感謝している。
そして、ママがそういう考えなんだとわかったから、
俺ができることはやるよと言ってくれた主人には、
心から済まないことをしたと思う。
主人にも、AC、ADHDのことは話しました。
病院に行って、一度、本格的に調べてもらおうと思うことも言いました。
初めて、お互いが普通だと思ってたことが違うんだということがわかりました。
言い合いばかりしていた昔では考えられません。
ふざけんな!と思う人はいるとは思いますが、
私は、間違った道を通りながらも、前に進んできたんだと思うようにしようと思います。
そして、今度こそは、本当に大事な人を見失わずに、
空回りでない努力をして、前に進んで、
子供に安心と自信を与えて、頑張って大人になってきなさい!と送り出せる
ママになりたいと思います。
ちなみに、どのコメントも叩かれたという認識はしておりません。
むしろ、自分の感覚と、普通の感覚のズレがわかってよかったです。
きっと、まだ、わっかんないなぁと思うことは多々あるのでしょうが、
わっかんないなぁと思うようなことを、平気でやれちゃうような
精神年齢の私なのでしょう。
問題はまだまだ山積みです。
でも、自分が、自分の問題、自分の進むべき道、それがハッキリしただけでも、
結構、今すっきりしています。
私だけじゃない、妹達もみんな同じことを苦しんでるというのも、
案外と、励みになります。
自分で勝手にお姉さんなんだから・・・と思っていましたが、
妹達の方が全然しっかりしていました(笑
後は、自分の親ともしっかり向かい合った方がいいそうです。
私には、まだ親に本当の自分の気持を言える自信がない。
でも、すぐに慌てる必要はないですよね。
ゆっくり、ゆっくり、人より遅いけど、歩こうと思っています。
あ、あと、親代わりを主人に代えただけなんじゃ??と思うと思います。
否定はしきれません。主人もその気になってますし。
でも、自分で、そこに問題があることがわかりました。
なので、子供にも、主人にも、一極集中型で依存するのはやめようと思います。
色んな人に色んな方法で分散させて、
一人でも頑張れるぞ!と思えるくらいに、なりたいと思います。
まだ、ツライですけどね・・・。
以前何度も繰り返してきた、親代わりの喪失感による絶望感に比べたら、
まだマシな方に思います。
それだけ、私も前に進んできたのかな。
ずっとダメな人もいない
すごくなる瞬間もあれば
ダメになる瞬間もある
そういう自分を持て余しそうになりながら
それも自分だし と受け入れて生きている
ような気がします。
楽しいこともつらいことも全部ある
それが人生かな~
私は自分が可愛い人間なので(笑)
自分を楽させて生きていきたい
人生をふと振り返った時に
「幸せじゃん」と思える
瞬間が少しでもあればいいんでないかな~
Let it be の精神でね^ー^