三日坊主脱出!

シモネタあり、おやじギャクあり、自虐あり、たまに真面目な話あり

支配されるのが好き

2006年06月20日 10時12分22秒 | 人生(大げさかな)
支配されやすいんじゃないなぁ。
支配されるのが好きなんだ。
支配されると、相手が自分を好きなんだと実感できるのかな。
自分の優柔不断な部分を依存できるってこともあるだろうし。

そもそも、母親からの過干渉で生きて来たようなもんなんだから、
過干渉は慣れているから苦にならない。
むしろ、過干渉がないと自力では進めないんだと思う。

過干渉と支配は似ていると思う。
どっちも自分の意のままに相手をコントロールしたいのだから。

だから、私は過干渉してくれる人、支配してくれる人を無意識に探してる
んだと思う。
それが自分のことを好きなんだと思ってくれる人だと思うから。
その人と一緒にいれば、自分も楽だから。

どのくらい過干渉や支配されることが大丈夫かというと、
例えば、
24時間位置がわかるような(子供の持たせるようなもの)ものを持たされても
全然平気。
むしろ、そんなことで相手の不安が無くなるならどうぞと思ってしまうし、
そこまで束縛したいくらい好きなんだと思うと嬉しいかもしれない。
でも、1時間ごとに電話をしろとか、1時間ごとに電話に出ろとかは嫌。
私自身は非常にずぼらなので、そういう何かさせられるのは嫌。

洋服とか全部管理されても平気。
毎日、これを着なさい、あれを着なさいとか全然大丈夫。
多少、趣味ではないなぁと思っても、まー我慢できるかなぁ。
でも、こういうふうに化粧しろ!とか作業を強いられるのは嫌。
こういうふうに化粧をしてやるから、そこに座ってろって言うならいい。
化粧してやるから早く起きろっていうのも嫌。

結局、私に負荷がかかる過干渉は嫌。
私に負荷がかからない過干渉は全然構わない。

※化粧をしてほしいとか、洋服を選んでほしいとか思ってるわけじゃない。
 相手が、そこに干渉したいと言うのならの話。



何か非常に私病んでますね(笑

というか、普通の人の普通の幸せなんて永遠にないような気がしてきた。
だって、普通の幸せは私には幸せじゃないんだよ。たぶん。

支配しようとしない人は物足りないんだと思う。
愛情を感じないのもあるし、自分では進めない部分もあるし。

友達全員に俺を紹介しろとか言われても平気だなぁ。
○日までに紹介しろとか言われたら嫌だけど。

ずぼらな過干渉大好き女ってところですな。きっと。

生まれ直さないと、普通の人にはなれないような気がしてきました。
だって、愛情とかの定義って頑張ったり、努力とか、そういうもの
じゃないよね?

支配される人

2006年06月20日 09時22分01秒 | 人生(大げさかな)
新聞で精神的DVの記事を読んだ。
「あなたはメールが来たらすぐに返事をしなくちゃいけないと思いませんか?
必要以上に相手に合わせなくちゃいけないと思ってしまうのは、
支配されてるからじゃないですか?」
そんなようなことが書いてあった。

確かに、私もそういう部分はある。
主人は大体19時前後から23時くらいに帰宅する。
その時間になると、私は携帯を必ず意識する。
料理や洗い物をしてるときは音が聞こえないので、
マナーモードにしてポケットにしまっておく。
買い物などに出かけてるときは、手に持っておく。
そうすれば、主人からの電話やメールに気付かなかったっていうことはないから。

気付かないと、どうなるのか?と言われれば、
超不機嫌になられたりするだけである。
勝手に怒らせておけばいいじゃんとも言われるけども、
今後、何かにつけてずっとお前は携帯に出ない、
緊急なときもお前は信用できないようなことを言われるわけです。

一度は、友達と出掛けるときの、友達の全員の携帯番号を教えろとか、
店の電話番号を教えろとか言われました。
洗濯物の替えはどこにあるんだ?という電話に出なかったことがあったから。

それ以来、洗濯物は必ずわかるところに置くようにしたし、
携帯は主人だけ着信ライトを赤!にしました(笑
赤のときは、何が何でも受けるようにしています。

まぁ、こんなのは一例なのですが、
精神的DVだとかモラハラとかとは違うと思うようになりました。
主人は別にイジメが目的ではないですから。
単に、自分の行動が邪魔されるのが嫌なだけなんですよね。
なので、主人の行動の邪魔さえしなければ、まー、なんとなくは
うまくいくわけです。

ただ、こういうのは支配されてると言うんでしょうね。
話をするのも、筋道考えて、何を話したいかを先に持ってきて、
話さないと聞いてもらえないし(笑
でも、学校で配るお手紙を手伝ってと言えば、
喜んで、ずっとつきあってくれますし。
イジメではないし、DV夫とかモラハラ男とは違いますね。

主人の機嫌や顔色を伺うのは、支配されてるからでしょうか。
どーして怖いのか、自分でもよくわかりません。
ただ、子供のことになると、私も戦います。
以前、子供のお友達が病気で亡くなったことがありました。
幼稚園では緊急に保護者会を開き、亡くなったお子さんのご冥福を
お祈りするのは勿論ですが、
「幼い年齢でも、お友達の死は何か怖いものという意識はあります。
是非、ご家庭でも気をつけてあげてください。」
と園長先生からのお話がありました。

なのに、主人ときたら、
その当日の夜に、何か機嫌が悪かったらしく、
子供のちょっとしたことを怒り始め、子供を泣かせているわけです。
「幼稚園の先生達だってそうやって配慮できるのに、
どうして父親の貴方がそんな配慮もできないんだ!!」
って、泣きながら怒りながら訴えました。
そしたら、「ごめん、ちょっとイライラしてて」
とか言いましたけど。

子供のことは、私が悪いわけではないから、
私が主張しても対等なんだと思います。
私のことは、大体、私が悪いという結論になるので、
対等にはなりません(苦笑
前述の携帯の件でもそうです。
洗濯物をわかりやすいところに置かなかった私が悪い。
たかが友達との飲み会なのに、携帯に出なかった私が悪い。
まー、確かに、そうなので、そう言われれば何も言い返せません。

支配されると言えば、母もそんな感じだったから、
あまり疑問に思ったことがないのかもしれません。
言うこと聞かなければ無視、叩く、泣く、脅す、そんなのは、
普通にあったからなぁ。
別に、母も私をいじめてるわけじゃないし。
ただ、自分の意のままに動かしたかっただけなんでしょう。

そう考えると、支配されやすいんだと思います。私は。
世の中にもいるじゃないですか?
必要以上にビクビクオドオドしてると、それだけでイライラしてきて、
何だか怒りたくなるようなタイプの人。
それに該当するのが私なんじゃないかなぁ。

イジメが目的の支配なら、それは逃げないといけないと思うけども、
私の場合は、たぶん、支配させてしまうんだろうし。
その根っこには、やっぱり、依存傾向の性格があるんだと思います。
依存から抜け出さなければ、誰とつきあっても、そのうち支配されちゃうのかなぁ。

私はこうだ~って言うほど、こだわりないんだよね。
合わせようとすれば合わせられるし。
ただ、ずーーーーーっとそれを期待されるのは正直ツライかな。
私の場合は、あなたを好きだから頑張って合わせるわ。
あなたを好きだからこそ、こんなに頑張れるのよ。
だから、この頑張りをわかってね。この好きって気持ちをわかってね。
でも、時々は疲れちゃうけど、そのときは、いいよいいよって言ってね。

みたいな・・・すげー打算だらけだ(笑
なので、合わせるのが当たり前とか思われると非情にツライ。
しかも、さらに、何で合わせないんだ!!なんて言われると、
この人、私の気持ち全然わかってない!!ってなことになってしまう。

うーむ。やっぱり、私の方に問題がありそうだ。
もう問題が山積みすぎて、問題が増えてもあまり動じなくなってきた(苦笑

人を好きになること

2006年06月19日 14時22分33秒 | 人生(大げさかな)
彼にはよく
「○○さん(私)は、××役をしている自分しか好きではない」
と言われています。

だってねぇ、話を聞いてくれるから好きだし、わかってくれるから好き。
話を聞いてくれなかったり、わかってくれなかったりしたら、
好きではないと思う。

期待しない好きって何だろうか??
ありのままを好きになるって何だろうか?

ずーっと疑問だった。

ある友達にメールを書いていた。
すごく頑張ってる子で、私のメールなんて役に立たないと思うけども、
何か声をかけたくてたまらなくなる子だ。
でも、メールの返事がなかなか書けないことを気にしているようで、
気にしなくていいよと言うんだけど、心配してくれてるみたい。

メールの返事なんてどうでもいいのになぁ。
そりゃ返事がきたらきたでうれしいけど、
ないからって別に何も思うわけじゃないのに。

と思いながら、ふと、ん?これが期待しないってことか??と思った。

妹の話はバカだなぁと思われる話だろうけど、
結構真剣に考えている。
まだ何年後になるかわからないけど、
「ずっと一緒に住もう」って言おうと思ってる。
まー、それで妹が安心してくれればいいかなぁと思う。
安心しなかったら・・・んー、そのときはまた考えるか。

それも期待してないから、そう思えるんだろうなぁ。

期待していないからと言って、
どうでもいいわけでもない。
どうでもいいなら、関わろうとするわけはない。

そう考えると、私は、
自分に対して何かをしてくれるから好き。
そういう目でしか男性を見たことがない。

人として・・・そういう目で見たことはない。

一緒にいてほしいっていう気持ちが強すぎるからだろうなぁ。
ってことは、やっぱり一人でも生きれるくらい強い人にならなくては、
ならないんだという結論になってしまう。

でも、そんなに強い人っているんだろうか?
いや、いるんだろうなぁ。
いや、それとも、私が勝手にそう思ってるだけだろうか?

とにかく、自分の力で生きてると思えるようになりたいと思う。
たとえ、便所掃除しか仕事がなくても。
(年齢的には、そういう可能性もかなり大きいだろう)
そうすれば、また、生き方も変わってくるのかなぁ。

って、まずは、何か仕事見つけないと。
主人の仕事の邪魔にならず、子供の邪魔にならない時間・・・。
まぁ、ゆっくり探すしかないだろう。

自己満足って幸せな気持ちになるもんですねぇ

2006年06月15日 01時51分01秒 | 人生(大げさかな)
自己満足って幸せな気持ちになるもんなんですねぇ。
いや、他人に言えるほどのレベルでは全然ないんだけど、
でも、私、案外、やるじゃん。ふふふ。なんて思ったりします。←危ない人

他人が聞いたら呆れちゃうようなことだけどね。
締め切りが守れたなぁとか、ちゃんと夕飯作ったなぁとか、
今の自分の言葉(子供に対して)なかなかよかったなぁとか(笑

バカでしょう?
でもねぇ、今までは、こんなこと感じたことなかったなぁ。
高望みとか、そいうのともまた違うんだよね。
自分を過信してるわけじゃない。
ただ、やらなくちゃいけない、もっとやらなくちゃいけない、
もっともっと頑張らなくちゃいけない、
こんなんで満足してたらいけないっていうのが大きくて、
それならまだしも、いつも自分を自分で責めるんだよね。

何やってるの?これしかできないの?
もっと出来るでしょう?もっとやらなくちゃいけないでしょ?
もっと頑張りなさい、もっと頑張りなさい・・・。

自分の中に、別の自分がいた感じがします。
まぁ、たぶん、母の声でしょうけど。
いつの間にか、自分の一部になって自分を苦しめてたんですねぇ。

なぜ、その部分がなくなったのか・・・よくわかりません。
ただ、彼が関係してるのは確かです。
彼は私をわかってくれる、私を信じてくれる、
どんなことがあっても、信じてくれる・・・。
まさか、本当にそんな人が現れるとは自分でも思ってませんでした。

幸せだなぁ・・・あれ?でも、私の問題は解決しない。
わかってくれる人が出来たら、私は幸せになれるはずだったのに・・・。
なぜ?そうかぁ。わかってくれる人は、何でも助けてくれる人じゃないんだ。
神様じゃないんだから、私の問題まで解決してくれるわけじゃない。
じゃ、誰が解決してくれるの??

そっかー、これは自分がやらなくちゃいけないんだ。
自分の問題なんだ。

ようやく、こんな簡単な当たり前の結論に気付いたのです。

そっからかなぁ、私の中から母の人格がいなくなりました。
私は私の好きに、思うとおりに生きられるようになりました。
(不倫をするという意味ではなくて)

以前は、毎日掃除をしない自分がすごく嫌でした。
かといって、毎日掃除をするほど掃除好きではないし、
そんなにマメな人ではないのです。私は。
でも、毎日掃除をしなくちゃいけない。
それでも、時々掃除はしますが(笑
綺麗になったなとか、今日は出来たなとか思ったことはないですねぇ。
たかが今日一日やっただけでどうなの?
なんで毎日できないの?なんでしないの?
ちゃんとやりなさい、ちゃんと頑張りなさい・・・というので一杯でしたね。

今は、どう変わったかというと、
私は毎日掃除するほど掃除好きじゃないけど、
目についたところだけでも掃除するようにしようと思うようになりました。
ここだけでもやっておこうかななんて片付けて、
あら、ちょっと気持ちよくなったわねぇ、
片付けてよかったわぁなんて自己満足(笑
そうすると、不思議と、じゃぁ、明日はあっちもやろうかなぁなんて
思うようになるし。

何をやっても、自分を責めてばかりよりは、
まぁ、私にしては上出来と思った方が、精神状態もいいですもんねぇ。

そしたら、毎日がすごく楽しくなりました。
些細なことを出来る自分がうれしかった。
自分でやりたいと思って、頑張って、実行することが、
こんなに嬉しいことだとは思いませんでした。

ようやくきっと子供から脱出できたのかなぁ。
40歳近い、大人一年生(笑
恥ずかしいけど、でも、色んなことを学んで前に進みたい。

一つわかったのは、常識とか、世間とかを、母などは色々教えてくれたけど、
それは、そうしなくてはいけないことではなくて、
そうした方が、一般受けするよっていう単なるアドバイスだったんですねぇ。

例えば、化粧しようがしまいが、それは個人の自由。
だけど、いい年こいて化粧しない人っていうのは、
どっか変わってる人とか、礼儀がなっていない人とか、
そういう目で見る人もいるんだよ。
もちろん、そういう目で見ない人もいる。
化粧するのが、いいとか、悪いとか、そういう問題じゃなくて、
そういうふうに見る人もいるってことなんだ。
だから、それでも、そう見られても、私は化粧をしないと思うのなら、
それでもいい。だけど、化粧をしない変な人と思われる可能性を理解しとけ。
もし、そんな苦労をしたくないのなら、とりあえず化粧をしておいた方がいい。
でも、結局、化粧するのもしないのも、あなた次第だよ。

そんな感じなんだろうなぁ。
そう考えると、うちは自分で選択するってことはなかったなぁ。
○○しなさい、なぜ○○しないの?、○○しないのは悪!
ってな感じで、選択肢があることにも気付かず、
選択するまでもなく、そうすべき道がもうあって、
その道から落ちないように必死になってたって感じかなぁ。

もっと昔に、こんな道は嫌だ!!って言えればよかったんだろうね。

息子がサッカーの練習に行くときに、普段着で行くわけです。
息子のサッカーのコーチはかなり体育会系の人で、
そういうコーチに普段着はまずいだろうなぁと思ったんです。
母や、昔の私なら、
「やる気を見せなくてはいけません。普段着で行っちゃいけません。」
って躍起になってたと思います。
それでも、普段着で行こうもんなら、
「そんなんならサッカー自体やめなさい!!」くらいに言ってましたね。
強迫してでも絶対に言うこと聞かせてました。
それが、息子のためだとまったく疑いもせずに。

でも、それは私の意見でしかありません。
一応、体育会系のスポーツを経験した上でのアドバイスでしかありませんが、
今のコーチが、必ずしも、そうとは限りませんし。

なので、私は息子に言うことを聞かせるのではなく、
アドバイスをすることにしました。

「普段着だと、この子はやる気がないって見るコーチも中にはいるんだよ。
もちろん、普段着でも、この子はきちんと練習してるからやる気があると
思ってくれるコーチもいる。だけど、ママの経験では、スポーツの世界は、
そういう人が多いから、普段着だと損をしちゃうかもしれないよ。
それでも、○○が普段着で行きたいのなら、それでも構わないと思うけど、
そんなふうに見られるなら、ユニホーム着ていこうと思うなら、
ユニホームにした方がいいんじゃない?
どっちを選ぶかは、○○次第だけど。」

みたいなことを言ったんです。

そしたら、息子は暫く考えて、
「今日は時間がないからこの服で行くけど、今度っからはユニホームにする」
と言いました。

自分で選択肢の中から決断するのは大事なことなんだろうなぁと、
今の私はすごく思います。

危険なこととかは力づくでもやめさせますがね。
母や昔の私は、それ以外のことでもすべて力わざで、
自分の思うとおりにねじ伏せてるだけだったんですよね。
そんなんじゃ、自分で生きてる、自分が選択した実感わかなくても
仕方ないだろうなぁと、今は思います。

その子の幸せと、母親の幸せは違うんだから、
いくら、その子が幸せになるためにって言ったって、
全部、母親の思うとおりにねじ伏せるのは間違いですよね。


おっといけねぇ

2006年06月09日 12時29分54秒 | 人生(大げさかな)
新しい思考が出来ると、今までの思考にも影響が出てきてしまい、
新しい発見に楽しむときもあれば、ドツボにはまることもある。

そろそろドツボにはまってきたような気がするので、
もう考えないようにしよう。

今回も、考えてみたけど、やっぱり彼とは別れない。
万が一、ばれる可能性があるとしてもやっぱり別れない。
これだけ結論が出たのでいいや。

なるべく美味しいもんを作ることにしよう。
なるべく掃除、片づけをして気持ちいい部屋にするようにしよう。
なるべく主人や子供が苦労しないように貯金をするようにしよう。
なるべく笑ってるようにしよう。
なるべく健康になるようにしよう。

とりあえず、この5つを自分で決めて守るようにしてみよう。
自分で自分のために決めたことを守ることが出来たら、
また、何か別の思考が生まれるかもしれないし。

とりあえず、今は、これでいいや。
というか、今は、これ以上はできんわ。

また、考えなくちゃならないような状況に陥ったら考えればいいや。

妹と?

2006年06月08日 14時24分34秒 | 人生(大げさかな)
子供が自立するまで子育てをする。
それが終わったら、妹を育てる。

バカかなぁ?やっぱバカだろうなぁ。

でもなぁ、それしかもう方法はないような気がするなぁ。
でも、生半可な気持ちじゃできないよなぁ。
もちろん、生半可なつもりじゃないけど。
最悪、心中するくらいの覚悟がきっといるよなぁ。

家庭も子供もある意味捨てることになるよなぁ。
私の第一優先はあなた(妹)という覚悟が必要だよね。

そのくらいの意気込みで、
一生、あんたを面倒見るからくらいの意気込みで、
私が妹と暮らしたら、妹は少しは安心するかなぁ?

子育てにあと10年かかるとして、
中年婆姉妹が二人で生きていくには、色々問題がありそうだな。
まずはお金だし。
私が先に倒れるようでは、まったく意味がないし。
先に妹を看取るくらい元気でなければまったく意味がない。

最初は、私が役に立つこと何だろう?って考えてたけど、
他人の役に立つことより、まず先に、妹を救わないとね。
今も、両親だって、二番目の妹だって、定期的に電話したり、
手紙書いたりしてるけど、もう一押し足りないと思うんだ。
それは、あなたが一番大事なのよ!!っていう思いかな。
きっと、それを感じることができれば、
それを信じることができれば、
妹も、自分ってものを作ることができると思うんだ。

まー、まだ10年もあるから少しずつ考えていこう。

きっと、両親も大反対するだろうなぁ。
子供はまだしも、主人なんて、後は一人でやってねだもんねぇ。
それも酷いよなぁ。

信じるかぁ

2006年06月07日 18時02分45秒 | 人生(大げさかな)
自分を信じて前に進むもんなんだなぁ。
そのためには、自分ってのは大事なもんなんだなぁ。
そのためには、他人の目とか形式とかそんなことばかり言ってられませんよね。
がむしゃらになるしかないですよね。

痩せるとか痩せないとかじゃなくて、
こんな体では、子供の看病もままならない。
健康にならなくては。

とにかく、子供を自立させるまで育てると決めたんだから、
迷わず進もうと思うし、
それを遣り遂げるためには、自分も大事にしないと。
死んだら仕方がないや・・・ってのは自分に対して無責任だ。

自分もそうだったけど、引きこもりとかは、
結局、誰も信じることができず、自分さえも信じることができず、
そして、社会の現象ばかりを見て頭でっかちになっていき、
あーよかった自分はあんな目に合わないで。
あーよかった自分はあんなバカじゃなくて。
そうやって、自分の幸せを確認していくんだろうなぁ。

信じられないから、誰も。自分さえも。

人はきっと誰かから信じられることによって、
信じる強さを貰うんだろうね。

何を言ってるんだか、自分でもよくわからなくなってきたけど、
自分を信じて、そのために自分を大事にっていう意味が、
少しわかってきたかなぁ。

うーむうーむ

2006年06月05日 16時23分17秒 | 人生(大げさかな)
なんだか、最近の私の変化が彼にまで影響を及ぼしたようです。
どうやら、私が去ろうとしてるのを感じたみたいです。
まー、最初から、自分を利用してるのは承知だったようだけど、
今が、まさに、その時かもという状況になってきたのがわかったようです。

浮遊霊のように、ふらふらと、自分の居心地いいところに
逃げ回ってきたけども、
最近、自分でも思うことは、
彼氏は結局私の家庭を守るための道具にしかなかったんだなぁということです。

今は、子供との関係は一番いいような気がします。
受け入れるって、怒るとか、怒らないとか、そういう次元の話じゃないんですよ。
怒るときは怒って当たり前なんです。
大事なのは、本当にその子の立場になって考えてあげられるかということ
なんだなぁと今思います。
だから、怒ってる度合いは以前と変わらないけど、
気持ちをわかってあげた上で怒るようになったので、
子供は以前のように、私に対して怖さを感じなくなったような気がします。

主人は・・・相変わらずですが、まぁ、
どこの夫婦にも色々あるんじゃないかと思います。
その範疇なんだろうなと思えるようになったかもしれませんが、
やっぱり、つらいなぁと思うときもあります。

そう。つまり、もう別れる時期なんですよ。
それは、もう彼にも告げたんです。
一度は、そして別れようと思ったんです。

ほんで、彼もちょっとおかしくなってるようです。
どうしたら、私に必要とされるか考えてるみたいです。
やっぱり、これは共依存の関係なんですかね。

だけど、主人がじゃ正常か?っていうとわからない。
昨日も、絵本を読んでる私と子供に割り込んできて、
「ねぇ、このシャツ似合う?」
「このスーツは?」
「このネクタイは?」

今、絵本読んでるところなんだけど?と思うけども、
そんなことを言おうもんなら、たちまち機嫌悪くなるので、
そのたびに中断しますが、とにかく自分中心なようです。

類は友を呼ぶというけど、私が異常ならば、
周りも異常ばかりになるのでしょうか。
というか、異常と普通の違いは何なんだろうか?

そんなことを考えると、信じられるのは、
子供しかいない気がする。
いや、子供だったら信じてもいいと思えるんだと思う。

私は好きな人に対しても永遠に一緒にいてくれることを考えてしまう。
だから、その人自体が好きか嫌いかより、一緒にいてくれるか、
どうかの方が気になるんだと思う。
でも、子供には、永遠に一緒にいてほしいとは思わない。
思わないようにしてるというのが正解かなぁ。
老後を見てほしいとか、そんなことも思わない。
前にも書いたけど、母を憎んでもいいから自分で歩いてほしい。
だから、本当に、自分が今一緒にいたいから一緒にいるんだと思う。

主人や彼に対しては違う。
好きだから一緒にいたいんじゃなくて、
一緒にいてくれそうだから好きなんだ。
だから、思考が破綻してしまう。

やっぱり、私は主人を選ぶかとか、彼を選ぶかとかじゃなくて、
一人で生きていけることをまず考えないといけないような気がしてきた。
経済的なことだけではなくて、精神的なことも。
きっと一人で生きようと思えるようになれば、
そのとき、本当のパートナーの意味がわかるんだと思う。
今は、私は寄生虫みたいなもんだ。
だけど、一人で生きるってどういうことだろう?
本当の意味での自立ってことなのかな?
そこは、まだ全然わからない。


全部該当しそうだよ

2006年06月05日 02時21分19秒 | 人生(大げさかな)
さて、一般社会で生きるためには、
やはり普通の人との違いを知って、
それをなんとかしなくてはならない。

そのためにも、自分がどういう傾向にあるのかを知っておいた方がいいなぁと、
色々、精神的なサイトを見ていました。

アダルトチルドレン、境界例人格障害、共依存、依存・・・
なんでも該当してそうな気がする(苦笑

もう10年近く前に、雛形あきこと陣内たかのり?のドラマで、
ボーダーライン(境界例人格障害)の話があったのですが、
(一度だけ浮気をした陣内たかのりに、雛形あきこがストーカーをする
というお話)
まさか、このドラマと一緒の病名に該当するような自分になるとは。

共依存は、私は両方ですね。
依存者にもなりますし、共依存の方にもなります。
たぶん、家系的に激しい共依存の家系だったのではないかと思います。
共依存とは違うかなぁ。でも、相手を無理やりにでもコントロールしますね。
相手のためにという名目で、ものすごいコントロールします。
お節介よりももう少し激しいかなぁ。

でも、全部、共通してるのは、自分がないってことのようです。
自分は・・・と言うのに、自分がないって不思議ですよね。
たぶん、本人に、自分がないって言っても意味がわからないと思います。
今、考えれば、確かに自分ってもんがなかった気がしますが。

こういうのって、結局、症状とか症例とかは詳しく載ってるんだけど、
でも、どうやって治すんだ?ってことになると、
専門の病院へ・・・とかになっちゃうんだよね。

専門の病院なんて、実際、なかなか探すのは難しいです。
ネットなどで探せるようなアダルトチルドレン専門とか、
そんなような病院は、もう予約を受け付けていないとか、
予約受けても10年後とかいうのがありました。ひええええ。

電話帳片手に、片っ端から精神科の病院を電話したこともありますが、
「アダルトチルドレン?はぁ?」ってところもあったし、
「うちでは受けてません」ってところばかりで。
結局、自分が内科で入院したことのある病院のカウンセリングに通ってるだけです。

かといって、あやしげな相談所は怖くて行けないし。
市の保健所に相談したら、ある宗教の相談機関を薦められてびっくりして
帰ってきたことがあります。

自分は病気かも・・・と思っても、
なかなか適切な医療機関を受診する機会がないように思います。

妹も、もう何件も精神科やカウンセリング行ってるけど、
あまり変わらないしね。
それより、やっぱり信頼できる人に出会える方が、
よくなったなぁと思いますね。
でも、私達は、信頼できる人に出会えても、
とことん試したり、とことん無理なことまで、
無自覚にしちゃうんですよ。
そうやって試していかないと、相手の気持ちが不安なんですよ。
自分のそばにいてくれて、何でもわかってくれて、
何でも助けてくれる人を無自覚に求めてますからね。
この人がそうかも?と思うと、
どんどん試すわけです。

以前、妹に聞いたことがあります。
「彼氏に、わざと喧嘩ふっかけたりしない?」
すると妹は言いました。
「うん、よく、なんでそうなるの?と言われる」と言います。
やっぱり妹も同じなんだなぁとそのとき思ったわけですが、
いくら私が、それはね・・・と説明しても、
たぶん、自覚できないと思います。
それより、自分を異常扱いすることに怒りを抱くでしょう。

私もそうだもの。
今考えれば、なるほど、私っておかしいこと考えてたなぁと思うけど、
当時は、まったく全然疑問にも思ってなかった。
いつか、私をわかってくれる人を探したい。
それだけが人生だったからなぁ。

ん?何の話を書いてたんだったっけ?

色んな人の生き方の本でも読んでみようかなぁ。
今読んでる本が、あらしの夜に・・・じゃやっぱり恥ずかしいよね(笑
毎月、1冊ずつ買ってるんだけど、
子供も大喜びで聞いてくれます。
実は、私も次が楽しみで読んでいます。
オオカミとヤギの声を分けて読むのが、今の私のブームです(笑

てへへ、もうこんな時間じゃないんすか、
そろそろ、おいらも眠ろうと思うんですよ
そいじゃ(ガオ風に)

もどかしい

2006年06月02日 18時11分28秒 | 人生(大げさかな)
母が来てくれたので、暫くぶりに話を少ししました。
妹はやはり思わしくないそうです。

最近、成人した子供に親が殺される事件が連発し、
自分もそうなるかもしれないと恐れていました。

妹は、今度の病院では、「人格未形成」と言われたんだそうです。
母もどうやら一緒に行ってるみたいです。

人格未形成かぁ、なるほどと言う感じですが、
たぶん、普通の人が聞いたら全然感覚がわからないんでしょうね。

今の私に人格が出来たのかどうかはわかりませんが、
少なくとも、未形成だった時代とは違うと思います。

そのせいか、妹の考えてることも、母の考えてることもわかります。
だけど、妹は、すべてが辻褄の合わない逃げの世界を普通だと思っているわけで、
なかなか、それが普通ではないということを気付かせるのは難しいし、
母に、その辻褄の合わない逃げの世界を伝えるのも難しいです。

ある程度は通訳のように、両者の見方が出来ますが、
なんでそう思っちゃうの?と問われていくと、
さぁ、私もなんでそう思ってたんだろう?今は不思議だけど、
とにかく当時はそれが当たり前だと思って、何の疑問もなかったんだ
と言うのが答えになってしまいます。

じゃぁ、どうやったら、妹がその世界から抜け出せるかと言われると、
私が、彼からしてもらったことを伝えればいいんだろうけど、
それを、今、言うわけにはいかないし・・・。
肌を触れ合わせたからこを、伝わった気持ちもあったと思いますが、
かなりの割合であったと思いますが、
仮に、肌を触れ合わせる=小さい子供と親との間のスキンシップが
必要だったとしても、
30近い妹と60近い母が、どうやってスキンシップを取ればいいやら・・・。

それに、受け入れるという意味を完全に理解してるわけじゃない。
だから、子供の気持ちをつい踏みにじったりすることをしてしまうこともある。
そんなんで、妹に何をしてあげられるだろうか?

母の本心は、もうどうにでもなってくれに近いようだ。
もうママのことは諦めてほしいとしきりに言ってるし、
もしかしたら、自殺してくれればとさえ思ってるような気がする。
たぶん、それは母の性格からすると事実だと思う。

もう救ってあげられるのは、姉妹しかいない。
何をしてあげられるだろう・・・。