どうやら彼によって自己肯定してもらったのは確からしい。
でも、自己肯定って何?
子供に母親として何をしてあげればいいかと考えると困る。
さすがに子供とエッチはできない。←バカ
どうせ言い訳と言われるのは目に見えているけど、
でも、彼と触れていたことで安心を得られたのも確か。
追い詰められた(と思っていた)私は、
必死で彼のコートの中に入ろうとしていた。
コートの中で私はただ丸くなっていた。
私にとっては、やっぱりお母さんであったんだと思う。
あと、何をされて安心したんだろうか??思い出してみた。
話を聞いてもらった。
主人のことから、子供のこと、家のこと、友達のこと、
ペットのこと、よくもこんなくだらないことを・・・と思うことを聞いてくれた。
悲しいこと、怒ってること、うれしいこと、
まずは、その気持ちに同調してくれた。
当の本人の私が、「いや、でも、そんなに怒らなくても・・・」と思うくらいに。
やりたいんだけど出来ないんだ、
そんな愚痴も聞いてくれた。
やりたいと思うんだけど出来ないという気持ちをわかってくれた。
その上で、提案をしてくれた。
おまじないのように「そのまんまの○○さんでいいんだよ」と言ってくれた。
最初はハナッから信じていなかった。
そういう点では人を信じたことはない。
どうせ、私の本当の姿を知るに従って嫌いになると誰に対しても思っていた。
なので、いろんな方法で試した。
浮気してやる・・・みたいな。←浮気の浮気かい!
それとか、ゴミだらけにした部屋の写真を送ったりとか、
もうありとあらゆる自分を出して、試した。
たいがいは、こんなところまでつきあってくれる人はいない。
いい加減にしろ!!と怒り出しておしまい。
そして、私は必死にしがみつき、強弱の関係ができあがったまま、
言いように使われる。
でも、彼は懲りなかった。
「最初からわかってます。だいたいわかってましたよ。そういうのも込み
で○○さんが好きなんですよ。」
もう私には???でした。
「私のどこがいいの?」と聞けば、
「それは○○さんが自分で見つけることです。」
もう何が何やらわからないまま、しかし、確実に、
この人なら私の気持ちをわかってくれる・・・
この人ならこんなやつだったのか!!って私を見捨てない・・・
そう思うようになっていったのでした。
そして、色んなことがあったり、年月がたったりしてるうちに、
私にとって彼はもう完全に安心できる存在になっていたのです。
一般の人が聞いたら、確かにいい気はしませんよね。
子供までいるくせに、不倫相手に絶対の信頼をおいたなんて言ってたら。
ただ、私の中ではこれが事実なんです。
彼にしてもらったことを考えると、
自己肯定っていうのは、きっと、
「何かが出来てうれしい気持ち」
「出来ないけど出来るようになりたいんだという気持ち」
「出来ないから悲しい気持ち」
「出来ないから怒りたい気持ち」
など、
事象の善悪より、
どういう気持ちなのか?ってことを読んで受け止めてあげることなんだなと
今は思っています。
受け止めるっていう言い方も漠然としてますよね。
たぶん、繰り返すくらいでも十分なんだと思います。
「そうなんだ?それは、うれしかったね。」
「それは、悲しかったね。」
まぁ、同調してもらえばもっと受け止められた~という気がするだろうけど。
そして、その上で、本人が本当はどうしたいのかってことを、
聞いてあげればいい。
本当はしたくないんだ。本当はしたいんだ。本当はどうでもいいんだ。
そうすれば、勝手に子供は自分の思うようにやるようになるんでしょう。
でも、まだ、じゃ、躾けは?どうするんだ?という点がわからないですけど。
でも、自己肯定って何?
子供に母親として何をしてあげればいいかと考えると困る。
さすがに子供とエッチはできない。←バカ
どうせ言い訳と言われるのは目に見えているけど、
でも、彼と触れていたことで安心を得られたのも確か。
追い詰められた(と思っていた)私は、
必死で彼のコートの中に入ろうとしていた。
コートの中で私はただ丸くなっていた。
私にとっては、やっぱりお母さんであったんだと思う。
あと、何をされて安心したんだろうか??思い出してみた。
話を聞いてもらった。
主人のことから、子供のこと、家のこと、友達のこと、
ペットのこと、よくもこんなくだらないことを・・・と思うことを聞いてくれた。
悲しいこと、怒ってること、うれしいこと、
まずは、その気持ちに同調してくれた。
当の本人の私が、「いや、でも、そんなに怒らなくても・・・」と思うくらいに。
やりたいんだけど出来ないんだ、
そんな愚痴も聞いてくれた。
やりたいと思うんだけど出来ないという気持ちをわかってくれた。
その上で、提案をしてくれた。
おまじないのように「そのまんまの○○さんでいいんだよ」と言ってくれた。
最初はハナッから信じていなかった。
そういう点では人を信じたことはない。
どうせ、私の本当の姿を知るに従って嫌いになると誰に対しても思っていた。
なので、いろんな方法で試した。
浮気してやる・・・みたいな。←浮気の浮気かい!
それとか、ゴミだらけにした部屋の写真を送ったりとか、
もうありとあらゆる自分を出して、試した。
たいがいは、こんなところまでつきあってくれる人はいない。
いい加減にしろ!!と怒り出しておしまい。
そして、私は必死にしがみつき、強弱の関係ができあがったまま、
言いように使われる。
でも、彼は懲りなかった。
「最初からわかってます。だいたいわかってましたよ。そういうのも込み
で○○さんが好きなんですよ。」
もう私には???でした。
「私のどこがいいの?」と聞けば、
「それは○○さんが自分で見つけることです。」
もう何が何やらわからないまま、しかし、確実に、
この人なら私の気持ちをわかってくれる・・・
この人ならこんなやつだったのか!!って私を見捨てない・・・
そう思うようになっていったのでした。
そして、色んなことがあったり、年月がたったりしてるうちに、
私にとって彼はもう完全に安心できる存在になっていたのです。
一般の人が聞いたら、確かにいい気はしませんよね。
子供までいるくせに、不倫相手に絶対の信頼をおいたなんて言ってたら。
ただ、私の中ではこれが事実なんです。
彼にしてもらったことを考えると、
自己肯定っていうのは、きっと、
「何かが出来てうれしい気持ち」
「出来ないけど出来るようになりたいんだという気持ち」
「出来ないから悲しい気持ち」
「出来ないから怒りたい気持ち」
など、
事象の善悪より、
どういう気持ちなのか?ってことを読んで受け止めてあげることなんだなと
今は思っています。
受け止めるっていう言い方も漠然としてますよね。
たぶん、繰り返すくらいでも十分なんだと思います。
「そうなんだ?それは、うれしかったね。」
「それは、悲しかったね。」
まぁ、同調してもらえばもっと受け止められた~という気がするだろうけど。
そして、その上で、本人が本当はどうしたいのかってことを、
聞いてあげればいい。
本当はしたくないんだ。本当はしたいんだ。本当はどうでもいいんだ。
そうすれば、勝手に子供は自分の思うようにやるようになるんでしょう。
でも、まだ、じゃ、躾けは?どうするんだ?という点がわからないですけど。