三日坊主脱出!

シモネタあり、おやじギャクあり、自虐あり、たまに真面目な話あり

息子の思考

2005年11月21日 09時58分41秒 | 人生(大げさかな)
息子は、子供の割にみんなのことを思いやって、
自分から喧嘩を吹っかけたり、
あれが欲しい、これが気に入らないと言って、
誰かに攻撃するようなことはありません。
むしろ、大人びた面があります。
強く自己主張する子がいると、
自分を抑えてまでも、相手に譲る優しい面もあります。
なので、お友達と一緒にいるといいように使われてばかりいます。
心優しい息子が、かわいそうで仕方がありません。
息子の優しい気持ちを理解できない、他の子に頭にきます。

実は、これが以前、私が思っていたことです。
実際、子供は自分が原因となって怒られるようなことはありませんし、
先生達にも、聞き分けがいいので助かるみたいなことは、
よく言われていました。

しかし、息子の中では、全然違う解釈があるんだと思います。
もちろん全部が全部ではありませんが。

息子の思考を想像してみます。

よくわかんないけど、パパとママに凄く怒られるときがあるんだよね。
すごく怖いんだよ。
だから、とにかく誰かに大声出されたり、怖い顔されるのは嫌なんだよ。
怖いんだよ。不安なんだよね。
だから、先生もお友達もママもパパも、
怒らせないようにしようと思ってるんだ。
だってね、ママとパパから嫌われちゃったら、
僕生きていけいないもん。
先生から嫌われちゃったら学校に行けないもん。
僕はね、パパ好きって毎日言うんだよ。
そうするとパパはすごく喜ぶ。
だから、パパは僕を見捨てないでくれるかなと安心するんだ。
でも、さきまで喜んでいたのに、凄く怖くなるときがあるんだ。
ご飯よりお菓子が食べたいなって言っただけなんだよ。
お菓子って美味しいのにね。なんでいけないんだろ。
パパはやっぱり僕が嫌いなのかな。
僕をやっぱり見捨てるのかな。心配だな。
明日もパパ大好きって言わなくちゃ。
ママも怖い顔するときあるよ。
ママのパソコン面白そうだったから触ってみただけだったのに。
あっち行ってなさいって怒られちゃった。
僕は、きっとよその家にやられちゃうって思ったよ。
でも、今は、ママ機嫌なおったみたい。よかった。
ママは僕が何かすると、いつもあっち言ってなさい。
うるさい。悪いこと言わないのって言うんだよ。
僕は僕がしたいことをしただけなのに。

お友達は、みんな勝手なことばかり言うよ。
僕にどうしろって言うんだよ。
なんとかしないと、先生に怒られちゃうよ。
みんな自分のことばかり言わないでよ。
みんな喧嘩しないでよ。
もういいよ。ぶらんこなんて僕が一番後ろでいいから。
だから喧嘩しないでよ。

このお友達は僕にブランコするなって言ってるよ。
うわっ痛い。急に僕のこと蹴ってきたよ。
喧嘩になったら僕怒られちゃうよ。
どうすればいいの?
誰か助けて。

たぶん、こんな感じなんだと思います。

誰か助けて・・・そんな悲鳴に気付いてあげないままだったんだと思います。
子供が親を先生を誰をも信用しなくても当たり前だと思います。
そんな中でも、誰かに助けを求めるしかなかったんだと思います。

そう、昔の私のように。

これまでの私の思考

2005年11月21日 09時20分03秒 | 人生(大げさかな)
例えば、友達4人と歩いていたら、
道端に今にも死にそうな子犬が捨てられていました。

友達A:「保健所に連れて行こう」
友達B:「誰か飼ってくれないかな」
友達C:見てるだけで何も言わない

私の取る行動は一つだと思います。

「みんな酷すぎるよ!!それでも人間?!
 私がなんとかするからもういいっ!!」

そして、子犬を病院に連れて行くと思います。

ここで凄く私の言動に違和感、不快感を感じる人がいて当然だと思います。
しかし、当時の私には、そんなことは思いもしません。

友達Aは保健所に連れて行って殺そうとしている。
(実際は保健所ならなんとか助けてくれると思っていたのかもなんてことは、
まったく考えに至らない)
友達B、Cは自分で何もする気もしない人。
(実際は何か手を貸したいけど、何をしたらいいのかわかっていないかも、
そんなことはまったく考えるに至らない)

考えないのではなくて、考えに至らないのです。
言われてみれば、あ、そうか・・・となりますが。

今の私は、他人が感じる違和感、不快感を多少自覚したんだと思います。

私がまず必要だったのは、

「助けてあげたい。何とかしてあげられないかな?
 いい案が無いのなら、私が獣医に連れて行こうと思ってるんだ。」

と、自分の気持を伝えることだったんだと思います。

それなら、もしかしたら、

友達A:保健所よりいい方法かもね。手伝うよ。
友達B:家で飼えないけど、お金ならカンパできるよ。
友達C:実は、飼ってくれそうな人の心当たりがあるんだ。

そういう結果になったかもしれません。

私の取った行動は、他人の意見をろくに聞かず、他人の気持ちを無視して、
自分の価値観を押し付け、自分の価値観で他人を罵倒し、
そして、自分勝手に子犬を連れて行ったわけです。

ところが、当の私は、
みんな酷い人達の中、私だけが子犬を助けてあげたと英雄気取りです。
後日、友達に少し手伝ってくれない?と言ってもいい顔されなくて当たり前です。
しかし、英雄を助けてくれないなんて理解できません。
そして、友達との溝も深まります。

何が足りなかったのか?
価値観が狭い・・・その通りです。
人の意見を聞こうとしない・・・その通りです。
自分勝手・・・その通りです。

しかし、当時の私にはいくら考えても、こんなことは理解できません。
なぜなら、自分の言動は、当然のことだと思っていたからです。
他の価値観が想像もできなかったのです。
なので、自分の価値観がその場では当然だと思っていたのです。

なぜ、当然と思っているのか?

それは、一つには本当のコミュニケーションを知らないということが
あると思います。
自分の意見を言い、他人の意見を聞く、そんな簡単なコミュニケーションが
わからないのです。知らないのです。
なので、話し合いもせず、常に問題は、一人で解決しなくてはならなくなります。
なので、自分の価値観のみで行動してしまうのです。

人間がコミュニケーションを身に着けるのはいつでしょう?
コミュニケーションの手法は生まれたときから、
身に着けているわけではありません。
母親から見て学ぶのです。
つまり、母親が自分にしたこと=コミュニケーションだと思うわけです。

私は、小さい頃、厳しい母に躾けられました。
母はいい子に育てたかったのです。
しかし、結果的に私が母から学んだことは、
自分の意見を言うと怒られること、
コミュニケーションとは母が自分にやってるように、
相手の意見を聞きもせずに、相手に自分の意見を押し付けることだと学びます。

具体的に言うと、
砂場で遊んでた子供が、友達のおもちゃを取り上げます。
母は私の腕をつかみ、怖い声で言います。
「ダメでしょ!!おもちゃを取るのは・・・」
子供の私にはルールなんて知るわけもありません。
母が教える内容なんて気にする余裕がありません。
ママが怒ってる。よくわからないけどママが怖い。ママは私を見捨ててしまう。
ママに見捨てられたら困る。
そこで身に着けたことは、自分の意思を表現するとママが怒るそれだけです。

なんとなくわかってもらえたでしょうか?
「何やってるの!!」
「そんな悪いことしないの!」
「なんて酷いこと言うんでしょう!」
母が躾けだと思って子供の私に教えてきたことは、

他人との間で何か問題が起きたときに、
自分の意見を言うと怒られるかもしれないという不安と、
他人の意見を聞きもせずに、自分の価値観を押し付けるということでした。

これに体罰を加えるお母さんだったら、
子供は、他人とも間で問題が起きたときに、
自分の意見を言うと怒られるかもしれないので、
他人の意見を聞こうともせず、自分の価値観を押し付け、
さらに、そこに暴力が加わります。
暴力を使ってでも無理やり自分の言い分を通そうとします。
それが、お母さんから教えてもらったコミュニケーションなんだと思います。

育児書をちょっとかじった程度の素人の解釈ですが、
こう考えれば、私の思考、妹の思考に到った経緯が説明できる気がします。

この子は何で友達づきあいが下手なんだろう?
この子は何でお友達にそんなことをするんだろう?
そう考えているお母さん達は多いと思うのです。

今一度、自分がお子さんに見せてきたコミュニケーション方法を
考えてみる必要があるかもしれません。

お子さんが自分の気持ちを伝えてくれたことに対して、
頭ごなしに否定していませんでしたか?
悪いことだとしても、そう思ったから伝えたんだというお子さんの気持ちを
わかってあげてましたか?

「○○は、そう思うんだね。ママは、おもちゃ貸してちょうだいって言った
 方がいいと思うよ。」

もしかしたら、そんな簡単な一言を忘れていませんでしたか?


そんな他人事のように悠長に構えてる場合ではありません。
わが子がまさにそうです。