忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ほな、いったろやないかい」のはなし

2021年09月28日 | 忘憂之物
みんな大好きアンケート調査。2013年の朝日新聞もやってみた。対象は5500人。質問は「安倍総理の靖国参拝に賛成か反対か」。


朝日はがんばって連日、一面大見出しで「米国失望を表明」「中国紙 安倍は悪魔に参拝」などと煽ってきた。これが仕事だ。

いまの橋下氏が言う「経済への悪影響」についてもとっくに紙面を割き、御用聞き学者とか左に巻いてるだけが取り柄のジャーナリストなどにいっぱい書かせてきた。2012年度、日本の輸出額はアメリカがトップで11.2兆円。中国韓国は合わせて16.4兆円として「靖国問題、外交ではなく経済で考える」とか、左に蜷局を巻いた連中もフル活動させた。

それにアンケートの相手は長年、苦労して「育成指導」してきた朝日読者。ともすれば「反対」が2万%になるかもしれない。この数字をもって「これが世論だ」として、また安倍政権を叩ける、自民党の悪口を書ける、と意気込んでみたら「賛成」が6割を超えた。


朝日は勘違いしていた。実のところ朝日を読む人の過半以上は真面目に読んでいない。故・勝也誠彦も「WILL」に「あっぱれ!築地をどり」を連載していたが、時には声を出して笑ってしまうものもあったほど、実に面白いものだった。ちゃんと朝日の社説やコラムはみんな「ネタ」としてからかって楽しむものと認識していた。だからアンケートなどをすれば、つい真面目に答えてしまう場合もある。


朝日の勘違いは恥ずかしいものだ。例えば「週刊新潮」にいま、坂上忍も毎号コラムを載せているが、先週もちゃんと「冷やし茶漬け」がどうしたとか、短パンを履いていますとか、スーパーカー消しゴムがなんだと、ちゃんと身の丈に合った内容だった。あの内容とあの文章を人様に読ませる、という勇気はさすが大御所の貫禄か。しかしながら、ちゃんと己を認識しているから「タバコは値上がりしても吸います」というレベルのことを書いている。テレビでもそうすればいいのに、と思うが、とりあえず朝日は見習うべきだ。

ま、ともかく、そのとき、朝日は仕方がないから、アンケート結果を「30面」にこっそり載せた。総裁選アンケート、河野太郎が1位にならなかったら削除、というTBSより可愛い。


ちなみに、総理大臣の靖国参拝といえば、いまのレジ袋のお父さんもいろいろあった。先ず、政権公約が「8月15日に靖国参拝する」だった。それでするのかと思ったら、最初の年は8月13日。

なにか都合でも悪かったのかな、と思ったら翌年は4月。それでも朝日などの反日メディアは狂ったように叩いていたが、2004年には元旦に行った。言い抜けは「日本には初詣という伝統がある」だった。みなこけた。

2006年、翌月に退陣となってようやく8月15日に参拝。これで公約を果たした、ということらしい。よく「(レジ袋パパは)それでも毎年行った、立派だ」とかも聞いたが、いずれにせよ、総理大臣が自国の神社にお参りするだけのこと、言い抜けがましいことなど不要だ。実にみっともない。高市早苗氏のドラムスティックでも煎じて飲めばいい。


また、時期が前後して申し訳ないが、2013年の春季例大祭の折、超党派の国会議員168名が参拝した際、当時、維新の会共同代表だった橋下大阪市長は「国のために命を落とした方々に敬意を示すというのは国として当たり前のこと」としながら「日本の今の安全保障の枠組みでは北朝鮮の問題を自分たちで解決できるだけのポジションに立っていないので、周辺国に対して協力を求めていかなければならない」とした。

あのときは「敬意を表するのと外交問題は分けなければならない」だった。要するに安全保障で自立していないのだから、いまさら、国家主権など言うなと。いまの日本は「当たり前のこと」すらしてはならない、ということだ。先日26日の「日曜報道」では「中小企業が不利益を被っても参拝するのか」とまたやっていた。個人の信念は勝手だが、一国のリーダーが民間企業の不利益をして、強引に貫いてもいいのか、とまだやってる。

高市氏が優しく説明して「私はお参りをしていきたい」と諭したら

「高市さん、ぜひ、その信念を貫いて行っていただきたいと思うんですが、もし、行っていただけなかった時には施設のあり方も含めて、そこはしっかり考えていただきたいと思います」

と捨て台詞だった。いったい、どうしたのか。なにかあったのか。元来、橋下氏はこの程度だったのか。非常に残念だ。


そもそも日本の政治家がだらしなく、国家主権も守れないから、韓国ですら国家間の条約を守らない。日本の中小企業どころか、大企業相手にでも国際法無視の裁判で好き放題やろうとした。中国もアメリカも国家主権も守れない国から来た中小企業、あるいは取引している企業などどうにでもなると思っている。そんな実例は枚挙に遑ない。

安全保障でも同じく、北朝鮮の如きしょうもない連中相手ですら、未だに何十年も拉致被害者を取り戻せない現実こそ深刻な問題なのであり、だからこそ国家主権を守らねばならないのである。総理大臣が自国のために散華した英霊に哀悼の誠を捧げる、ということは「当たり前」の手前にある入り口だ。安全保障のため、経済産業のために国家主権を自ら捨てろというのは、つまり、本末転倒なのだ。




多くの日本国民は長らく、日本の名誉と誇りを大切に考えてくれる政治家、リーダーを切望している。安全保障も経済対策も本来、その下地があってこそ成るものだと理解している。


戦後76年。いま、ようやく、その先が見えている。明日29日、その「入口」が実体化するのか、それともまた、幻影となり消えるのか。



もしかすると、橋下氏は捨て台詞で「きっかけ」をつくってくれたのかもしれない。ああいう捨て台詞を受けた後、この日本が誇る女傑なら、きっと、こう思ったことだろう。




「ほな、いったろやないかい」



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