画竜点睛

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「ジェノサイド」(2)

2011-07-25 | 雑談

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小林秀雄は現代物理学が逢着した問題を論ずるにあたり、以下のように述べています。

「ベルグソンは、物資の研究について、「科学の最も遠い理想」として予感したところを、凡そ、次の様に要約する。物理学者は、物質の一切の部分の間に相互作用がある事を認めざるを得ないのだが、受動的な事物とこれに作用する力とを区別する。この私達の日常の生活の要求に基づく粗雑な心像が、何の役にも立たぬ事は、物質の直接な観察を進めて行けば、やがて明らかになるだろう。非物質的な作用は物質化し、物質的な原子は観念化し、両者は、互に、その共通の限界に向って結合しようとして来るだろう。そうなっても、私達の精神が、それを分離しようと働く限り、原子はその個性を失わないだろうが、その個体性や惰性は、自ら運動や力線に分解し、再び相互の聯絡は一般的連続を回復しようとするだろうと」

これはベルグソンの言葉をそのまま引用したものではなく、「物質と記憶」第四章の文章を抽出し小林秀雄がまとめたものです。それはともかく、ここでベルグソンが述べていることは、現代物理学が逢着した問題そのものだと言ったら言いすぎになるでしょうか。

僕は物理学のイロハも知らない人間なので、この問題を論じる知識も理解力もありません。ここでは物的世界の客観的記述は現時点では不可能であるという量子力学の到達した考えと、物質が精神の持続と似たある種の持続であるというベルグソンの直観は照応し合っており、量子力学が世界を古典力学の法則に従うマクロコスムと古典力学が通用しないミクロコスムとに分けて考えざるを得なくなったことは、ベルグソンが「実用的」(プラティック)な世界の奥に「運動性」(モビリテ)の世界を見たことと無関係ではない、という「感想」の観点を紹介するにとどめます。

「物質と記憶」発表当時、量子力学はまだ生まれていませんでしたし、量子力学は自ら好き好んで哲学的問題に顔を突っ込んだわけではありません。が、一方は直観によって、他方は実験と観察によって物質現象を極めようとした結果、自ずと接近することになったと小林秀雄は考えます。

観察方法が精密になるにしたがい、原子は徐々にその構造を露わにする一方、この極微の世界では古典力学が通用しない、つまり「物質粒子の位置と運動量とを同時に正確に測定するいかなる方法もない」という事態に物理学者は直面します。「光を使用せず電子を測定する事は出来ないが、電子を見るとは、光の光子を電子に衝突させ、これによって電子の位置も運動量も変えて了う事に他ならない」からです。この物質現象の絶対的な不確定性を認めた上で、物理的実在の新たな秩序を確立すべく数式化されたのがハイゼンベルクの「不確定性原理」です。

1932年に「道徳と宗教の二源泉」を出版して以降、ベルグソンはいくつかの論文集などを除き著作を発表することはありませんでしたが、先に挙げたシュヴァリエの「ベルグソンとの対話」の中に、「不確定性原理」に触れた発言が出てきます。それは以下のようなものです。

「この原理が現実に存在していて事物を支配しているというよりは、むしろ、この原理を想定することによって事実は説明がつく、と言いたい」

このベルグソンの発言からもわかるように、「不確定性原理」は物理学に不確定性をもたらすことになった当のプランク定数を逆手に取り、「得られる位置の精密度と運動量の精密度との積は常数h(注=プランク定数)より小さくはなり得ない」ということを示すものです。

そもそもプランクの法則とは、黒体から放射されるエネルギー密度の分布に関する法則で、彼は「この現象に関する実験の示すところを厳密に記述しようとすれば、物質は、振動数vと所謂プランクの常数hとの積に等しい有限の量ずつしかエネルギーを失う事は出来ない、という仮定の導入を必要とするという結論に達し」ます。つまりエネルギーは連続的な量の変化ではなく、「その作用の単位を持ち、力の自由な増減の不可能な構造を有する」粒子(作用量子)だとする仮説に導かれます。このニュートンの発見にも比すべき発見は当初その価値が認められませんでしたが、それから数年後、若きアインシュタインはプランクの理論を導入し光電効果と呼ばれる現象の解明に成功します。

この現象の解明は光を光量子(光子)とすることによってもたらされたものでしたが、その一方で光の回析現象は光を波と仮定しなければ説明がつかないという現実もありました。実際アインシュタインの仮説では光の回析現象まで説明することはできなかったのです。では本当のところ光は粒子なのか、それとも波なのか、という問題が不可避的に生じ、やがてこの問題は物質理論にも波及していかざるを得ませんでした。

デモクリトスに始まる原子論は、20世紀の初頭、ラザフォードの原子模型で一応の完成を見ます。この原子模型は原子核とその周りを回っている電子から成っており、太陽の周囲を惑星が回っている太陽系を髣髴させるものでした。

ところがこの小宇宙に古典力学を適用しようすると、説明のつかない矛盾が生じることが明らかとなります。「仮に原子内で、電子が、中心にある陽荷電したプロトンという太陽の周囲をクーロンの法則に従って廻転しているなら(中略)、運動する電子は、連続的に振動数の変ずる輻射線の形で、絶えずエネルギーを放出し」、エネルギーを失って原子核に引き寄せられてしまうはずです。また「元素が出すスペクトルが常に同一であり、不連続的性質を持つ」ことの説明もつきません。この矛盾を解消し、より正確なモデルを呈示したのがボーアの原子模型です。

ラザフォードの原子模型が一定の実証性を持つものである以上、これを成立させている条件、電子が一定の運動軌道をとり、輻射エネルギーを放出しない条件があるはずです。その条件の元となるものこそ作用量子だとボーアは考えます。ここから彼は「量子条件」と呼ばれる仮説を立て、電子の運動はこの条件を満たす軌道だけをとるものとされます。原子が周囲の輻射の場と交渉してエネルギーを得たり失ったりする場合、電子は一定の軌道から一定の軌道へ飛び飛びに移行し、「量子条件」を満たさない軌道へ移行することはありません。その際光子として吸収または放出された輻射線の振動数は、軌道の移行によって生じたエネルギーの差を「プランクの常数で除した商といういつも正確な有限値」を持ちます。

こうして原子の構造がより明らかになるにつれ、物理学者はその状態の変化を連続的に確定することができなくなるというジレンマに陥ることになります。このジレンマを合理的に解決すべく提唱されたのがド・ブロイの電子の波動説であり、彼の着想はのちにシュレーディンガーの波動力学に引き継がれます。

光の回析現象は光が波だと語りますし、光電効果は光が粒子だと語ります。この矛盾する事実は、「自然自体がその窮極の構造に於いてそういう二重性を持っている」ことを語るのではないかとド・ブロイは考えます。原子内の電子にも粒子としての電子の側面と波としての電子の側面を仮定すれば、「電子と電子波との数学的量は、常数hが現れるような関係で、互に結ばれている筈であり、電子の飛躍の確率は、電子波によって得られる、電子軌道の不連続は、確率波の連続で補われる筈だ」というのがド・ブロイの仮説です。

「今日、波動力学と言われているものは、その名の如く、粒子の運動の説明を、粒子に結びついた波の伝播の説明に変える、即ち、粒子に関して知られ得るあらゆる事は、波によって表現出来るという考えに基づいているのだから、粒子系の状態に関するこの測定の基本的な不確定性を、波によって表現し、時間の経過に伴うその波の変化を、工夫された伝播方程式によって厳密に辿る事が出来る。辿れる以上、事後の波の形は、私達に、その時の測定がある特定の値をとる確率を予見させる事になる」。しかし注意しなければならないのは、「この方程式は、確率の時間による変化を支配する法則がある事を語るに止まり、粒子系の時間的な状態変化を支配する法則を入れる余地はない」ということです。

すでに述べたように、一つの粒子の位置を測定しようとすればその測定方法自体によって粒子の運動が乱され運動量が確定できなくなり、運動量を測定しようとすれば位置の確定ができなくなります。何故こういうことが起こるかというと、観測者と観測対象との間でエネルギー(作用量子)の交換が行われるからです。観察条件と観察対象が同じマクロコスムに属する古典物理学ではこのエネルギー交換が問題になることはありませんが、現代物理学における「観察条件は、プランク常数hの有限値を、無限小と見なす事の出来るマクロコスムにあり、観察対象は、この常数の有限値を無視できぬミクロコスムなのだから、両世界のエネルギー交換が、重大な現象となって表面に浮び上がる」ことになります。

つまり量子力学では観測方法や観測条件とは無関係に客観的実在を語ることはできないとされるのですが、量子力学と並んで現代物理学の基礎的理論とされる相対性理論でも観測者は重要な役割を演じているものの、その意味合いは全く違うと小林秀雄はいいます。

この理論の全体像を理解するのは僕には困難なので、「感想」に沿って必要な点を簡単に記すに留めます。

まず「この理論は、物理界に、全く革新的な考えを導入したが、私達とは無関係な、独立した客観世界の実在を容認するという近代科学が護持して来た考えは、この理論のうちで少しも動揺していない。動揺していないのみならず、対象の客観性という観念は、アインシュタインによって、誰も考え及ばなかった高度まで、徹底的に推進されたと言える」点で、量子力学の思想と決定的に違うことがわかります。「理論が、観察者の方法なり条件なりからは、はっきりと独立して構成され、絶対的な実在の客観性に、在来のどの理論より正確に適合するように構成されている点で、絶対性理論と呼んでも差し支えない」ものだと小林秀雄はいいます。

「言うまでもなく、ニュートンの力学は、アトミスムの基盤の上に立っていた。それも、物質の不連続的単位として質点という極端な粒子を考えたから、その内部の構造というような問題は、無論、起りようがなかったし、その説明し難い孤立の問題も、この質点は力の中心と考えられ、他の離れた質点との間に、互に作用が働くと仮定されていたから、起りようもなかったのである。力が空間に於いて位置を変える物体相互の距離の函数と定義されている以上、質量を持った不連続的物質と質量を持たぬ連続的力という全く異なった二つの実体は、初めから合理的に妥協出来ていたわけだ」。ところが光や電気現象に関する観察や実験が進むにつれ、ニュートン力学は綻びを見せ始めます。たとえば「磁極を取巻く回路に、電流が流れると、突然、一つの力が現れて、磁極に働く。この力の方向は、電流の環と中心の磁極とを結ぶ線に垂直であり、のみならず、この力は電気の速度にも関係するという驚くべき事実が判明した」。これは二物体間の距離の函数という定義から逸脱した新しい力であり、力の概念の見直しを余儀なくされた物理学者たちは、「力の作用に関する力学を断念して、その代りに電磁場の構造を記述する」いわゆる「場の理論」を生み出します。これは簡単にいえば「物が場のうちに運動する」のではなく、「場の変化が物の運動を規定する」という考えです。

相対性理論も「場の理論」(マクスウェルの方程式)から出発したものであり、空間という概念がこの理論では重大な意味を持ちます。「アインシュタインの空間は、含むものも含まれるものもない。彼にとって、空間とは物質に出会うのに先ず空間に出会うのか、空間を考えるから、物質が考えられるのか、というような問題の起りようのない、ある幾何学的構造」です。これは「デカルトの延長の考えに大変よく似て」おり、「アインシュタインの天才は、デカルトの天才を継承したもの」だといえます。

「デカルトの自然観、物質観の根底をなしているものは、有名な延長の考えだ。万象の多様性は、限りなく延びる三次元の同質な連続的空間に還元される。この延長と呼ばれる、物質世界の基盤には、定義上、実体的なものは全然ない。(中略)たゞこの連続体に導入された要素として許せるものは運動だけである」。「延長」には力というものの入り込む余地はなく、「彼は、ひたすら力学(ディナミスム)を離れて機械学(メカニスム)の道を行き、世界の空間化、幾何学化という理想」に突き進みます。

数学者は物という実体なしでも済ますことができますが、物理学者はそういうわけにはいきません。それゆえニュートンがアトミスムの世界観から出発したのは至極当然のことといえます。ただこの世界に働く力はすべて万有引力の作用に帰され、力の内容まで問われることはありませんでした。この「力即ち万有引力の作用」という大前提が崩れ去ったとき、力学に代わってメカニスムが浮上してきたのは自然の成り行きだったといえるのかもしれません。

運動している物体のすべての座標系において同じ物理法則が成り立つという相対性原理は、アインシュタインが初めて唱えたものではありません。ある座標系における観測の測定値は別の座標系における観測の測定値に変換式を使って変換(ガリレイ変換)でき、変換されたあらゆる座標系において物理法則は不変であるとしたのはガリレイです。ニュートンの運動方程式においてはガリレイ変換が有効ですが、電磁場の構造を記述したマクスウェルの方程式においてはガリレイ変換は有効ではありません。この矛盾を解消するために考案されたのがローレンツ変換です。

相対性理論においては時間さえ空間化され、「ニュートンの三次元空間の時間的変遷は、時間軸を加えた四次元の世界という存在に変った」といえます。相対的に運動している二つの座標系は、古典力学においては「三次元の空間連続体と、一次元の時間連続体とが分離」するため、ガリレイ変換によって関連づけられるのに対し、相対性理論では「空間とともに時間も座標によって変化する」ため、「時間が空間に編入される四次元時空連続体のローレンツ変換」によって関連づけられます。この関連づけが首尾一貫しているところに相対性理論の独創性があるわけですが、「幾何学化による物理学の単純化は、幾何学の複雑化を生んだ。こゝに現れた非ユークリッド的空間の概念は、これを正確に語る為には、専門的な数学的表現による他はないような、極めて複雑なものになった。これは、空間化による同一化に対する、実在の多様性の抵抗を語るものかも知れない」と小林秀雄は総括します。

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「相対性理論は、ニュートン力学の観察の相対性を拡大深化する事によって、非常に鋭い又厳密な形で、観察に服従する、因果的に統一した客観世界の観念に到達したが、量子論は、客観的世界、少くとも、微小な物質の世界が、もはや合理的な観察に服しない事を語る。観察の問題は、その相対性から、その矛盾性に移った」といえます。

「感想」が最初から照明を当てようとしているのはこの「矛盾性」(不確定性)であり、そのため波動力学の名前は出てきてもシュレーディンガーの名前は出てきませんし、ハイゼンベルクの行列力学にも触れられていません。この点はちょっとバランスを欠くように思えなくもありませんが、僕もさしあたりこの流れに沿って話を進めることにします。

(つづく)

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