今日(1/15)からの2日間は、全国各地で大学入試センター試験が行われる。
どのような結果になるか?受験生たちが努力してきた勉強の成果が試されるわけだ。
私が受験した当時(もう四半世紀も前になる)は『大学共通一次試験』という名前で、
国立大学のみの制度だったが、衣替えしてからもこの季節になるとあの頃を思い出す。
私のオケ仲間にもその子供さんが受験生という親がおり、その心配は尽きることがなく、
今日に向けて、その心のうちなど色々聞かされていたりしていた。
という、世の中がそんな感じの2011年の3回目の土曜の今日。
私は、アマチュアの音楽愛好家としては滅多に体験できない贅沢とすらいえる
紀尾井ホールの舞台でシンフォニーを演奏する機会を得たのであった。
G.P.(13管楽器のためのセレナーデ)の様子
音泉室内合奏団は、2000年に第1回演奏会を開催して以来、小海、東京、松本の3か所で
年に3回の定期公演をベースに活動する、アンサンブル好き達の集う音楽団体だそうだ。
メンバーは、東京とその周辺、長野や新潟、宮城といった地方在住者から構成されており、
練習場所も、その都度東京だったり長野だったりと広域的に活動を展開しているとのこと。
昨年から“10周年記念シリーズ”コンサートを開催しており、シリーズ第二弾となる今回は、
「良いホールで」というこだわりからなのか、室内楽ホールとしては我が国でも屈指の
この紀尾井ホールでの開催となったようである。
さて、急な話ではあったのだが、この団体に縁あってエキストラ出演することとなり、
数回の練習と宴会に参加して今日を迎えることとなった。
構成メンバーがあちこちから集合し、数日間の合宿型の集中練習を積み重ねていくことで
演奏会へ向けてその音楽を創り上げていくというスタイルは、私が毎年参加している
四国フィルの運営スタイルとよく似ており、四国フィルも無類の音楽好きたちが、
四国四県はもとより、中国地方や京阪神地方、関東地方からも海を渡って集まっている。
そういうこともあってか、練習初参加のときもあまり初めてという感じがしなかった。
■■■ 音泉室内合奏団第32回演奏会東京公演 ■■■
~ 10周年記念コンサートシリーズII ~
日時:2011年1月15日(土) 17:00開演(18:30開場)
場所:紀尾井ホール
演奏:音泉室内合奏団(音楽監督・コンマス:三溝健一)
曲目:R.シュトラウス/13管楽器のためのセレナーデ変ホ長調Op.7
丸山嘉夫/弦楽のための「信濃舞」
ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番ニ短調Op.47
<encore>
ドビュッシー(A.リード編)/「月の光」
音泉室内合奏団では指揮者を置かずに演奏する。
シンフォニーの中でも大規模編成の部類となるタコ5を、なんと指揮者なしでやる!
テンポの緩急は、それほど奇をてらったものではないスタンダードなスタイルだが、
そのスタンダードも皆それぞれに自分なりのスタンダードや耳覚えのテンポがあって、
練習の過程でも、その微妙な違いが毎度異なる形で顕在化して崩れていく。
音楽監督でもある三溝氏が、コンサートマスターの席から全身でもって皆を主導するも、
そこに頼って注意深く聴きあうだけでは音楽の推進力は落ちてしまい面白くない。
皆の気持ちが強すぎても弱すぎてもダメで、バランスよく保たれてこそ上手くゆく。
まさにそのさじ加減に四苦八苦するのだが、これが上手くゆくと思わず嬉しくなる。
そんなとき、アンサンブルの中にある意思疎通ならぬ“意志”疎通といったものを感じた。
…なんか女房あたりから「アンサンブルやってりゃそんなの当たり前のことじゃん!」
などと突っ込まれそうなことではあるが…
「オーケストラは室内楽を大きくしたもの」ということをよく耳にするのだが、
実際のところ、我々が活動しているアマチュアオーケストラの世界においては、
そのような本来的な意味での音楽を有機的に(あるいは動的に?立体的に?)創造し、
感じとり、相互にキャッチーボールできる瞬間はごく稀にしか体験し得ないのではないか。
ここに参加して、指揮者を置かずにアンサンブルをやることで自然にそうなるのか、
参加メンバーの意識が高いために(作為的に)そうしてしまうのか、いずれにしても
音楽を有機的にキャッチボールすることで何かが生まれたり動いたりする感覚が、
演奏のあちこちで顔を出し、推進力や躍動のようなものとともに実感することができた。
…なんか難しげなことを言うが、要は“対話しながら音楽した”実感が持てたのだ…
とまあ、いつになく頭でっかちな感想ではあるが、タコ5は面白かった。
が、その反面、「信濃舞」はよくわからないうちに終わってしまった。
よく知らない人のことについて、初対面の人とあまり本質的なことに触れないまま
それとなく話を合わせながら会話しているうち、時間が来たので別れたような感じ。
演奏者としては、最もしてはいけないことではなかったかと猛省することしきり。
…もっとも、この曲と付合う時間が長ければハマったかもしれないが…
今回、ヴィオラのトップを務めていたのは、この楽団のメンバーになったのか、
あるいは私と同じようにエキストラ出演だったのか定かではないが、
我が葛飾フィルでセコバイのトップを務めているI女史だったのである。
指揮者のいない中でのタコ5でトップを務めるのは大変だったろうと推察するが、
それは「信濃舞」であっても同様であったはず。
むしろ、この曲については、私のように自信のないメンバーも少なくはなかった
のではないかと思っているが、そういう不安な空気というのはトップの背中には
傍目で思う以上にひしひしと伝わるものなのである。
そんな空気を背によくやったなと感心してしまうのであった。
この曲、彼女がいなければ、私は本当にボロボロだったはずである。
多謝
音泉室内合奏団というこの音楽団体は、独特の空気があり、様々に面白い経験ができた。
翻って、自らが役員を務める葛飾フィルの運営やその演奏について色々考えさせられた。
終演後の打ち上げには事情があって参加できなかったが、メンバーの方々ともう少し
色々な話がしてみたかったなと思うのだった。
←励ましの一本締めで一押しお願いします
どのような結果になるか?受験生たちが努力してきた勉強の成果が試されるわけだ。
私が受験した当時(もう四半世紀も前になる)は『大学共通一次試験』という名前で、
国立大学のみの制度だったが、衣替えしてからもこの季節になるとあの頃を思い出す。
私のオケ仲間にもその子供さんが受験生という親がおり、その心配は尽きることがなく、
今日に向けて、その心のうちなど色々聞かされていたりしていた。
という、世の中がそんな感じの2011年の3回目の土曜の今日。
私は、アマチュアの音楽愛好家としては滅多に体験できない贅沢とすらいえる
紀尾井ホールの舞台でシンフォニーを演奏する機会を得たのであった。
G.P.(13管楽器のためのセレナーデ)の様子
音泉室内合奏団は、2000年に第1回演奏会を開催して以来、小海、東京、松本の3か所で
年に3回の定期公演をベースに活動する、アンサンブル好き達の集う音楽団体だそうだ。
メンバーは、東京とその周辺、長野や新潟、宮城といった地方在住者から構成されており、
練習場所も、その都度東京だったり長野だったりと広域的に活動を展開しているとのこと。
昨年から“10周年記念シリーズ”コンサートを開催しており、シリーズ第二弾となる今回は、
「良いホールで」というこだわりからなのか、室内楽ホールとしては我が国でも屈指の
この紀尾井ホールでの開催となったようである。
さて、急な話ではあったのだが、この団体に縁あってエキストラ出演することとなり、
数回の練習と宴会に参加して今日を迎えることとなった。
構成メンバーがあちこちから集合し、数日間の合宿型の集中練習を積み重ねていくことで
演奏会へ向けてその音楽を創り上げていくというスタイルは、私が毎年参加している
四国フィルの運営スタイルとよく似ており、四国フィルも無類の音楽好きたちが、
四国四県はもとより、中国地方や京阪神地方、関東地方からも海を渡って集まっている。
そういうこともあってか、練習初参加のときもあまり初めてという感じがしなかった。
■■■ 音泉室内合奏団第32回演奏会東京公演 ■■■
~ 10周年記念コンサートシリーズII ~
日時:2011年1月15日(土) 17:00開演(18:30開場)
場所:紀尾井ホール
演奏:音泉室内合奏団(音楽監督・コンマス:三溝健一)
曲目:R.シュトラウス/13管楽器のためのセレナーデ変ホ長調Op.7
丸山嘉夫/弦楽のための「信濃舞」
ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番ニ短調Op.47
<encore>
ドビュッシー(A.リード編)/「月の光」
音泉室内合奏団では指揮者を置かずに演奏する。
シンフォニーの中でも大規模編成の部類となるタコ5を、なんと指揮者なしでやる!
テンポの緩急は、それほど奇をてらったものではないスタンダードなスタイルだが、
そのスタンダードも皆それぞれに自分なりのスタンダードや耳覚えのテンポがあって、
練習の過程でも、その微妙な違いが毎度異なる形で顕在化して崩れていく。
音楽監督でもある三溝氏が、コンサートマスターの席から全身でもって皆を主導するも、
そこに頼って注意深く聴きあうだけでは音楽の推進力は落ちてしまい面白くない。
皆の気持ちが強すぎても弱すぎてもダメで、バランスよく保たれてこそ上手くゆく。
まさにそのさじ加減に四苦八苦するのだが、これが上手くゆくと思わず嬉しくなる。
そんなとき、アンサンブルの中にある意思疎通ならぬ“意志”疎通といったものを感じた。
…なんか女房あたりから「アンサンブルやってりゃそんなの当たり前のことじゃん!」
などと突っ込まれそうなことではあるが…
「オーケストラは室内楽を大きくしたもの」ということをよく耳にするのだが、
実際のところ、我々が活動しているアマチュアオーケストラの世界においては、
そのような本来的な意味での音楽を有機的に(あるいは動的に?立体的に?)創造し、
感じとり、相互にキャッチーボールできる瞬間はごく稀にしか体験し得ないのではないか。
ここに参加して、指揮者を置かずにアンサンブルをやることで自然にそうなるのか、
参加メンバーの意識が高いために(作為的に)そうしてしまうのか、いずれにしても
音楽を有機的にキャッチボールすることで何かが生まれたり動いたりする感覚が、
演奏のあちこちで顔を出し、推進力や躍動のようなものとともに実感することができた。
…なんか難しげなことを言うが、要は“対話しながら音楽した”実感が持てたのだ…
とまあ、いつになく頭でっかちな感想ではあるが、タコ5は面白かった。
が、その反面、「信濃舞」はよくわからないうちに終わってしまった。
よく知らない人のことについて、初対面の人とあまり本質的なことに触れないまま
それとなく話を合わせながら会話しているうち、時間が来たので別れたような感じ。
演奏者としては、最もしてはいけないことではなかったかと猛省することしきり。
…もっとも、この曲と付合う時間が長ければハマったかもしれないが…
今回、ヴィオラのトップを務めていたのは、この楽団のメンバーになったのか、
あるいは私と同じようにエキストラ出演だったのか定かではないが、
我が葛飾フィルでセコバイのトップを務めているI女史だったのである。
指揮者のいない中でのタコ5でトップを務めるのは大変だったろうと推察するが、
それは「信濃舞」であっても同様であったはず。
むしろ、この曲については、私のように自信のないメンバーも少なくはなかった
のではないかと思っているが、そういう不安な空気というのはトップの背中には
傍目で思う以上にひしひしと伝わるものなのである。
そんな空気を背によくやったなと感心してしまうのであった。
この曲、彼女がいなければ、私は本当にボロボロだったはずである。
多謝
音泉室内合奏団というこの音楽団体は、独特の空気があり、様々に面白い経験ができた。
翻って、自らが役員を務める葛飾フィルの運営やその演奏について色々考えさせられた。
終演後の打ち上げには事情があって参加できなかったが、メンバーの方々ともう少し
色々な話がしてみたかったなと思うのだった。
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