GAOの隠れ処「ムンダナ」

都内のアマチュアオーケストラでVnとVaを弾いているGAOの、音楽を中心とした関心事についてのあれこれ

音泉室内合奏団第32回演奏会東京公演

2011-01-15 23:54:42 | 音楽日記
今日(1/15)からの2日間は、全国各地で大学入試センター試験が行われる。
どのような結果になるか?受験生たちが努力してきた勉強の成果が試されるわけだ。
私が受験した当時(もう四半世紀も前になる)は『大学共通一次試験』という名前で、
国立大学のみの制度だったが、衣替えしてからもこの季節になるとあの頃を思い出す。
私のオケ仲間にもその子供さんが受験生という親がおり、その心配は尽きることがなく、
今日に向けて、その心のうちなど色々聞かされていたりしていた。

という、世の中がそんな感じの2011年の3回目の土曜の今日。
私は、アマチュアの音楽愛好家としては滅多に体験できない贅沢とすらいえる
紀尾井ホールの舞台でシンフォニーを演奏する機会を得たのであった。


G.P.(13管楽器のためのセレナーデ)の様子

音泉室内合奏団は、2000年に第1回演奏会を開催して以来、小海、東京、松本の3か所で
年に3回の定期公演をベースに活動する、アンサンブル好き達の集う音楽団体だそうだ。
メンバーは、東京とその周辺、長野や新潟、宮城といった地方在住者から構成されており、
練習場所も、その都度東京だったり長野だったりと広域的に活動を展開しているとのこと。
昨年から“10周年記念シリーズ”コンサートを開催しており、シリーズ第二弾となる今回は、
「良いホールで」というこだわりからなのか、室内楽ホールとしては我が国でも屈指の
この紀尾井ホールでの開催となったようである。

さて、急な話ではあったのだが、この団体に縁あってエキストラ出演することとなり、
数回の練習と宴会に参加して今日を迎えることとなった。

構成メンバーがあちこちから集合し、数日間の合宿型の集中練習を積み重ねていくことで
演奏会へ向けてその音楽を創り上げていくというスタイルは、私が毎年参加している
四国フィルの運営スタイルとよく似ており、四国フィルも無類の音楽好きたちが、
四国四県はもとより、中国地方や京阪神地方、関東地方からも海を渡って集まっている。
そういうこともあってか、練習初参加のときもあまり初めてという感じがしなかった。



■■■ 音泉室内合奏団第32回演奏会東京公演 ■■■
     ~ 10周年記念コンサートシリーズII ~

日時:2011年1月15日(土) 17:00開演(18:30開場)
場所:紀尾井ホール
演奏:音泉室内合奏団(音楽監督・コンマス:三溝健一)
曲目:R.シュトラウス/13管楽器のためのセレナーデ変ホ長調Op.7
    丸山嘉夫/弦楽のための「信濃舞」
    ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番ニ短調Op.47
   <encore>
    ドビュッシー(A.リード編)/「月の光」


音泉室内合奏団では指揮者を置かずに演奏する。
シンフォニーの中でも大規模編成の部類となるタコ5を、なんと指揮者なしでやる!
テンポの緩急は、それほど奇をてらったものではないスタンダードなスタイルだが、
そのスタンダードも皆それぞれに自分なりのスタンダードや耳覚えのテンポがあって、
練習の過程でも、その微妙な違いが毎度異なる形で顕在化して崩れていく。
音楽監督でもある三溝氏が、コンサートマスターの席から全身でもって皆を主導するも、
そこに頼って注意深く聴きあうだけでは音楽の推進力は落ちてしまい面白くない。
皆の気持ちが強すぎても弱すぎてもダメで、バランスよく保たれてこそ上手くゆく。
まさにそのさじ加減に四苦八苦するのだが、これが上手くゆくと思わず嬉しくなる。
そんなとき、アンサンブルの中にある意思疎通ならぬ“意志”疎通といったものを感じた。
…なんか女房あたりから「アンサンブルやってりゃそんなの当たり前のことじゃん!」
 などと突っ込まれそうなことではあるが…

「オーケストラは室内楽を大きくしたもの」ということをよく耳にするのだが、
実際のところ、我々が活動しているアマチュアオーケストラの世界においては、
そのような本来的な意味での音楽を有機的に(あるいは動的に?立体的に?)創造し、
感じとり、相互にキャッチーボールできる瞬間はごく稀にしか体験し得ないのではないか。
ここに参加して、指揮者を置かずにアンサンブルをやることで自然にそうなるのか、
参加メンバーの意識が高いために(作為的に)そうしてしまうのか、いずれにしても
音楽を有機的にキャッチボールすることで何かが生まれたり動いたりする感覚が、
演奏のあちこちで顔を出し、推進力や躍動のようなものとともに実感することができた。
…なんか難しげなことを言うが、要は“対話しながら音楽した”実感が持てたのだ…

とまあ、いつになく頭でっかちな感想ではあるが、タコ5は面白かった。

が、その反面、「信濃舞」はよくわからないうちに終わってしまった。
よく知らない人のことについて、初対面の人とあまり本質的なことに触れないまま
それとなく話を合わせながら会話しているうち、時間が来たので別れたような感じ。
演奏者としては、最もしてはいけないことではなかったかと猛省することしきり。
…もっとも、この曲と付合う時間が長ければハマったかもしれないが…

今回、ヴィオラのトップを務めていたのは、この楽団のメンバーになったのか、
あるいは私と同じようにエキストラ出演だったのか定かではないが、
我が葛飾フィルでセコバイのトップを務めているI女史だったのである。
指揮者のいない中でのタコ5でトップを務めるのは大変だったろうと推察するが、
それは「信濃舞」であっても同様であったはず。
むしろ、この曲については、私のように自信のないメンバーも少なくはなかった
のではないかと思っているが、そういう不安な空気というのはトップの背中には
傍目で思う以上にひしひしと伝わるものなのである。
そんな空気を背によくやったなと感心してしまうのであった。
この曲、彼女がいなければ、私は本当にボロボロだったはずである。
多謝



音泉室内合奏団というこの音楽団体は、独特の空気があり、様々に面白い経験ができた。
翻って、自らが役員を務める葛飾フィルの運営やその演奏について色々考えさせられた。
終演後の打ち上げには事情があって参加できなかったが、メンバーの方々ともう少し
色々な話がしてみたかったなと思うのだった。


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仕事始めに考えたこと

2011-01-04 22:34:23 | 日記
今日1月4日(火)は仕事始め。

気分も新たに気を引き締めて仕事も遊びもガンガンやりまっせ!
といいたいところなのだが、朝から眠たいし身体がなんだかだるくて気分もイマイチ。
昨夜から今朝にかけて、久しぶりに夜を徹して女房と口論して眠っていないので、
今朝の通勤電車では、新小岩から東京までの15分間、座席に身を預けて爆睡してしまった。
まだ、年始のお休みをとっている人が多いのか、仕事始めの割に電車はかなり空いていて、
車内で立っている人がまばらどころか、いくつか空いている座席さえあったのだ。

そんな風なダラ~っとした雰囲気で始めた2011年の仕事は、しかし、課題が山積している。
この四月から我々の業界でスタートする新たな制度の、曲がりなりにも私は運用担当者。
新制度を動かしていくための準備に、どんなに頑張ったところでフォローできないことは
いくらでもありそうだが、どの事項でも念入りにやってみてやりすぎることはないくらい。
時間は限られているのに、処理しなければならない課題の量たるや並大抵ではない。
これらをこなすためには“無定量、無際限”に働くしかないのか…。


一昨年、TBSでTVドラマ化されて話題にもなった城山三郎氏の『官僚たちの夏』には、
戦後の我が国の自立のために“無定量、無際限”に働く通産官僚の姿が描かれている。
公僕たる国家公務員が、与えられた使命を全うすべく身を粉にして仕事に打ち込む姿に、
この本を読んだ学生時代の自分は、仕事に対しては常にこうありたいなどと思ったが、
四十半ばの今の自分では、腎臓の病気であまり無理もできないし現実は厳しいと感じる。
まして、“無定量、無際限”に働くなんて、この時世では流行らないだろう。
勿論、我々の世代やこの業界において、これを実践しこなしている人間は大勢いるし、
私もかつて、昼も夜も休みもない(窮乏する人的体制と無尽蔵な業務量による)職場環境で、
月平均のサービス残業時間が200時間を軽く超えるということもあった。
(昨年だって、100時間超のサービス残業はほぼ常態化している)


ということで、“一年の計は元旦にあり”とはいうものの、仕事始めの今日、
今年一年のやるべき仕事、とりあえず四月までにやり遂げる仕事などを展望したとき、
計画を立てるどころか、やや途方にくれてしまった。


まあ、そういって年頭からへこたれていたのでは何も始まらない。

今年は、元旦の朝から寝坊したり、年始の休み中に読むつもりの本が読めなかったり、
心穏やかにのんびり過ごすつもりの三日間に女房との口論が絶えなかったりと、
年明けからろくなことがないような感じだが、それが私の日常なのかもしれない。
ネガティブに考えれば、思うようにことが運ばず、気が重い年明けではあるが、
今年はそういう年なのだと思えば、それほど悪いことが起こるようでもなし、
やることを地道にやっていれば何らかの結果はでるわけだし、それでよいではないか。
そう思うことにした。


毎年、元旦や仕事始めには密かな目標とか計画を打ち立て、心機一転を図るのだが、
今日の仕事始めは、ヨーイ・ドン!で明確なスタートを切るという感じではなく、
なんだかいつの間にか始まってしまって、なんとなく頑張っていこうという感じ。
まあ、あまり肩をいからせて気張ることもないや。


といいながら、勿論、密かな目標もあるし、数年来の計画もたてた。
仕事においても、プライベートでも。



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2011年の我が家の初日の出

2011-01-02 20:58:09 | 日記

2011年1月2日の九十九里浜。我が家にとっての初日の出。

本当は元旦の朝に拝むはずだったこのながめ。
昨年同様、水平線上の雲間からの日の出となったが、美しい。
太平洋の荒波と身を切るような寒さで、心身ともに引き締まる思いで拝む日の出は
やはり格別であり、年明けだからこそ特別なのだろう。気持ちが良い!

今日が元旦であれば人出も多いのだが、新年二日目の日の出を拝む人は数十人程度。
この人たちは、我が家と同じように元旦の朝は寝坊しちゃったのか?
午前7時前とはいえ、日の出を拝むために夜明け前からここまで足を運ぶからには、
それぞれに想いがあるのだろう。



九十九里浜の片貝中央海岸には大鏡餅が

九十九里浜の片貝中央海岸では、毎年初日の出の際に「元旦祭」が行われている。
その会場となる浜には、御供え物としてこんなに大きな鏡餅が置かれており、
元旦には、初日の出に先立って、地元の方々による獅子舞などが披露されるのである。

多分、昨日は賑やかだったろうが、今朝は静かだ。

女房は、日の出を待つ車の中で一眠りしながら初日の出の夢をみたそうだ。
マンガのように顔のある太陽や、光線が描かれている太陽など、色々な太陽が何度も昇り、
延々と夢のなかで初日の出が繰り返されていたようだ。
そんなとぼけたキャラクターは女房ならではのことだが、今年の彼女はまた、
相変わらずのおとぼけキャラで家族を笑わしてくれるのだろう。

子供達は、波打ち際まで近寄っては、時折打ち寄せる大きな波に呑まれないよう逃げる
という反復運動をゲラゲラ笑いながら続けている。
息子はいよいよ中三になって高校受験の準備。娘も中学生になる。
少しずつ大人になっていくが、こうして無邪気に遊んでいる姿が一番子供らしく感じる。
今年も元気で健やかに成長してくれればよい。


我が家にとっての初日の出を拝んで、気持ちを新たにした(であろう)我々は、
その後、これまた昨年同様に、お約束の成田山への初詣に向かうのであった。
我が家は、昨年、女房方の祖母を亡くしたので喪中ではある。
しかし、成田山の表参道を散策することが女房子供達の正月の楽しみでもあり、
色々と考えた末、やや不謹慎ながら、成田山でなんか美味しいものを・・・というわけ。



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