GAOの隠れ処「ムンダナ」

都内のアマチュアオーケストラでVnとVaを弾いているGAOの、音楽を中心とした関心事についてのあれこれ

『ふらいぱん』のなかおち定食はかなりのお得感

2007-10-30 22:28:30 | 食べあるき
今日(10/30)の昼食は、神保町の靖国通りとすずらん通りに挟まれた小路にある
中華料理屋『徳萬殿』の、隣のお食事処『ふらいぱん』にでかけた。
またしても言いだしっぺは、我が上司「コードネーム0024氏」である。

「今日は魚が食いたいの…」と、どこかで仕入れた“魚の美味い店情報”を頼りに
職場から程近い、その店が在るはずの辺りをウロウロしてみた。
が、途中で、随分とアサッテの方角に来てしまったことに気がついて、
「しゃあないから、他の店探すか…」ということになって、
「あそこ行ってみるか?」と、先週チャーハンを食べた『徳萬殿』の隣にあった
少し質素で控えめだがやや気になる存在感を漂わせていた店を目指すことにした。
「“まぐろのなかおち定食”がええらしいぞ。」
「またググったんっすね。よー知っとるわ。」
「今日は、魚が食いたいんじゃ。」
つまりは、意中の店で美味い魚が食いたかったが、道を間違えて見つからんので、
しょーがなし、くやしまぎれに“なかおち定食”でお茶を濁すことにしたのである。

が、しかし、お茶を濁すどころか、これが当たりだった。
少なくとも私には。

大盛り天国でいかにも活気に満ちている中華料理屋の『徳萬殿』に比べると、
その隣のお食事処『ふらいぱん』は、店構えからしてわりと控えめである。
カウンターの中のおやじは黙々と調理し、おかみさんが注文をとって食事を運ぶ。
メニューは「まぐろのなかおち」「めだい煮」「肉豆腐」などなど和食中心である。

さて、我々5人のうち、部下「ケンケン」は“肉豆腐定食”を注文したが、
残る4人は予定通りの“まぐろのなかおち定食”を注文した。
で、このなかおちがけっこうなボリュームであった。

店内にはメニューをテーブルのほぼ真上から撮影した写真が掲示してあるが、
普通のご飯と味噌汁にメインの“なかおち”に緑の海藻が添えてあるだけで、
これを見る限りでは何の変哲もなく、品数も量もやや物足りなさを感じるのである。

「血圧を下げんといかん私には、足りないくらいが良いかも。」と思っていると、
どんぶりに盛られたご飯からやってきた。…まあ、普通だな…
続けてメインの“なかおち”である。

ところで、我々が外食する時、メニューの写真と実際に運ばれてきた料理との間に
大きなギャップを感じてちょっとガッカリすることが往々にしてある。
今日のお食事処『ふらいぱん』でも、そのギャップを感じることになった。

が、それはちょっとガッカリではなく、むしろ意表をつくものであった。

長方形の皿の大きさは、ごくありきたりな刺身定食といったふうであるが、
その上に盛られた“なかおち”が、かなり立体的に盛られているではないか。
メニューの写真からはここまで高く盛られていることにちょっと気がつかない。

つまり、決してキレイに切りそろえられたわけではない“なかおち”の切り身が、
無造作に皿の上に幾重にも積まれていて、少しオーバーに言うと山盛りなのである。
そして、そのボリューム感は、食べ始めてさらに実感することになる。
これは思いのほか、かなりな量なのである。

メニューの写真から物足りなさを感じ取った上司「コードネーム0024氏」は、
サイド・メニューに“きんぴら”を追加していたが、
「こりゃ、“きんぴら”は余計だったな…。」とこぼしていた。
“なかおち”とご飯を交互に食べていた私も、丼のご飯が足りなくなったくらい。
「ご飯おかわり自由」という店内の貼紙は、こういうことなのか…。

で、先週ほど刺激的で笑える大盛りではなかったが、結果的には満腹となった。
「う~ん、なんかジワ~ッとくる大盛り感でしたね。」
「ほーやの、お得感があったの。」
「結構、ハマリそうな感じっすよ。」
リピーターが多いというのもうなずける。

そして、私は静かな満足感とともに『ふらいぱん』を後にするのであった。


【メモ】
お食事処『ふらいぱん』:千代田区神田神保町1-5 (03-3468-8811)
 ○営業時間/11:30~14:00、16:00~20:30/日・祝日休


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子供達のアルバム

2007-10-29 22:44:59 | 日記
今日(10/29)帰宅したら、娘が自分の生まれた前後の頃のアルバムを見ていた。
娘は9歳半だから約10年前のアルバムである。

次男坊と末娘の生まれる時は、ともに出産に立ち会ったのだが、
どちらも簡単には出て来てくれず、それぞれにドラマがあった。
・・・ん~っ、ちょっと感慨深いものがあるな~。

で、一通りアルバムを見ながら、その写真を撮ったときに何があったのか、
あれこれ話してやると、子供らはとても楽しそうに聞いていた。
特に、数え年で次男が5歳、娘が3歳の時の七五三さんの写真が面白い。

普段、よくしゃべってウルサイ上に、一つ所に落ち着かないバタバタする娘が、
七五三で着物を身に纏った途端、物静かで落ち着きのあるお嬢さんに変身。
女房も私も、最初、どこか調子が悪いのではないかと心配になるくらいだった。
馬子にも衣装とは言うが、これほどまでに娘が豹変したのはこれが初めてで、
以後、ハレの機会に何度か再現されることとなった。

このときの様子を思い出しながら話すと、子供達は信じられないというような顔で、
しかし、腹を抱えてゲラゲラ笑いながら聞いていた。
アルバムを手に、思いがけず談笑したひと時であった。

で、何のためにアルバムなんぞ出してきていたのか聞いてみると、
昼間友達が遊びに来た時、お父さんお母さんが若い頃の写真見よう!
ということになって、必然、自分達が赤ん坊の頃のアルバムを出してきたのだ。

う~ん、確かに10年前の女房の表情など、随分、幼い感じすらする…。
それに私の髪の毛もフサフサである。
考えてみれば、長男はいつの間にか大学生になっていたりして、
我々も、もうミドルと呼ばれる歳なのだ。
・・・時の流れるのは早いのう。



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初日は雨天中止 ~神田古本まつり~

2007-10-26 23:02:00 | 日記

「読書の秋」というが、毎年10/27~11/9は、「読書週間」である。
古書の街として全国に名高い神田神保町では、この読書週間にあわせるかたちで、
今日(10/26)から一週間、神保町交差点を中心とした靖国通りやすずらん通りで、
毎年恒例の東京名物“神田古本まつり”が開催される。
今回で第48回という。

が、初日の今日はあいにくの雨天に見舞われてしまい、
数日前から準備されていた書棚には防水シートがかけられて、
天高い秋空の下に展開するはずだった古本市は、残念ながら中止となってしまった。
しかも、この雨は台風20号の接近による影響で今後さらに勢いを増すという。

この週末は、人出でにぎやかな古本屋街をぶらつこうと思っていたが、
ちょっと気楽に古本まつりを楽しむというわけにはいかないかもしれない。
この“神田古本まつり”は、去る7月に職場が九段下に移動した時から
秘かな楽しみであったので、雨天に見舞われるとなると、ちょっと残念だな。


まあ、しかし、晴耕雨読ともいうように、雨の日は無理に外出しないで、
我が家で落ち着いて読書するのも良いと思う。
折りしも、昨日、江戸東京博物館で開催中の企画展「文豪・夏目漱石」を観たばかり。
しばらく離れて久しかった漱石を読んでみたくもなっていたところだ。
我が家には、1993年から1999年の歳月をかけて岩波書店から刊行された
『漱石全集』(全28巻別巻1巻)があるので、久しぶりにじっくり読むのも良い。


いずれにしても、明日の午前中は、古本をめぐる散策か、漱石を読むかだな。






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人間ドックの受診

2007-10-25 18:00:45 | 日記
今日(10/25)は特別休暇をとって人間ドックに行ってきた。
この夏、腎生検で入院し総合病院の健康管理センターで検査である。

身長や体重の測定に始まり、視力、聴力、心電図等色々な検査メニューがある。
昨年のデータと比較して体重が4キロ減っていたのだが、看護士がえらく驚き、
「何か食事とか運動とか努力していますか?」などと聞いてくる。
この病院の腎センターで定期的な指導を受けており、食事に気をつけて、
一日一万歩以上歩くようにしてる旨を説明すると、ほめられてしまった。
だが、実は、腎生検で入院していたときよりも体重が少し増えたので、
私としては、あまりほめられた話ではないのだ…。

ほめられた話ではないのは、視力検査でも例年と変わったことがあった。
長らく裸眼で2.0とか1.5という視力を維持していたのだが、
今回、生まれて初めて右目1.2という結果がでた。
ここ数年、やたら疲れ目が激しくなってきており、ある程度の距離のものでも
これまで明瞭に見えていたものが、最近、なんとなくぼやけているように
自覚するようになってきていたのだ。
意識的に遠方凝視などするようにしているのだが、普段、何気に見ている風景が、
遠近の違いで焦点が合わなく感じることが多くなってきている。
いよいよ、視力の低下がはじまったのだろうか…。

同じく眼で不愉快だったのは眼底撮影。
眼を大きく開けて眼底を撮影するのだが、昨年と同じことが起きた。
つまり、私の目はわりと細めで眼を見開いてもまぶたが十分上がらないので、
まつげが邪魔になって上手く撮影できないと言うのだ。
しょうがないので指でまぶたを持ち上げてやってなんとか撮影した。
去年、女房にこの話をした時はえらく大笑いされて
「あなたの目は細いから普段開いてるのか閉じているのかわからない」と
からかわれて不愉快な思いをしたので、今年は黙っている。

今回は、常々頭痛や睡魔に襲われていることからオプションのMRIも実施。
まあ、睡魔のほうは中程度の睡眠時無呼吸症候群(SAS)と診断されていることに
由来していると考えられるが、頭痛のほうは単なる高血圧との関係かどうか、
あまりにひどい時は仕事にならないこともあって心配なので、この際、思い切った。
MRIの結果はまだ先だが、MRIの円筒形の機械の中に入っての検査は、
とにかくウルサイの一言に尽きる。
確かに、閉所恐怖症や暗所恐怖症の人には受検するのは難しそうだが、
それ以上に、検査中のガンガンガンとかキュルルルとかいう音はウルサかった。


ところで、昨年の人間ドックの結果から、再検査を受けることとなり、
そのおかげもあって「慢性糸球体腎炎」という病気が判明したのである。
放っておけば、早晩、人工透析を受けなくてはならない事態となったかも知れず、
それを考えると、定期健診とか人間ドックをなめてかかってはいけない。
しっかり検査を受けて、自ら健康管理への関心も持つ必要がある。


夕方、帰宅したら、遊びに出かけていた娘の帰宅と一緒になった。
「お父さん、なんで今日こんなに早いの?」と驚く娘に
「今日は人間ドックといって、お仕事休みで健康診断だったんだよ。」というと、
「なんで人間なのに犬なの?」とわけわかんないという顔をする。
以前、娘と一緒に観たテレビで、造船所のドックでタンカーの修理をしている
シーンがあったのを思い出し、それを引き合いに説明したら何となくわかったようだ。
人間ドックで犬ときたのには思わず大笑いした。



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大盛り天国の『徳萬殿』

2007-10-23 22:52:10 | 食べあるき
今日(10/23)の昼食は、神保町の靖国通りとすずらん通りに挟まれた小路にある
中華料理屋『徳萬殿』にでかけ、チャーハンを食した。
毎度、言いだしっぺは我が上司「コードネーム0024氏」である。
「とにかく腹が減っとんじゃ!」と意味深な笑みを浮かべつつ我々部下に声をかける。
・・・これは何かあるな・・・

上司「コードネーム0024氏」が腹が減ったとか、ようけ食いたいという時、
我々に「なに食うぞ?」と聞きながらも、既に意中の店数軒が頭にあるのだ。
今日は、始めからそういう匂いがぷんぷんしていた。
しかも腹が減ったという場合は、十中八九、カレーか中華のいずれかである。
中華も、この場合はチャーハンに限定される。
要は、米をたらふく食いたいのである。

案の定、今日は、隣のプロジェクトチームの後輩「ヤス」もついて来ている。
彼の昼食の得意分野は、ズバリ“大盛り”である。
・・・ということは、カレーになるか?それともチャーハンになるか?
いずれにしても大盛りがウリの店にちがいない・・・。

職場のビルを出て、神保町の交差点方面に向かって歩きながら
上司「コードネーム0024氏」曰く、「今日は中華かカレーがええの。」
・・・ホレホレ、思ったとおりじゃ・・・

「カレーなら『まんてん』にするか。」
「おーっ、久しぶりっすね。賛成です。」
「中華も捨てがたい、チャーハンがええの。」
「どっかお目当ての店でもあるんですか。」
「うむ。すずらん通りにあるんや。」
「ひょっとして、こっちからいくと左手にありますか?」
「いや、すずらん通りの裏手に入るんや。」
「また、ググって仕入れたネタですね。」
「ほーよ。」

白山通りを渡り、すずらん通りに入っていく。
『キッチン南海』の行列を見つけたところで、左手の小路に入る。
さらにその小路を右に曲がると中華料理の『徳萬殿』があった。
「ここがいっぱいやったら『まんてん』に行くけんの。」
のぞいてみると、2階なら5人が入れるという。
ということで、ここに決まり。
「ここのチャーハンがええらしいぞ。」

いよいよ注文である。
上司「コードネーム0024氏」以下我がプロジェクトチーム4人は皆“チャーハン”。
だが、後輩「ヤス」は1人だけ“肉野菜炒め”を注文する。
この店に入って、“肉野菜炒め”は、他のお客が食べていたので雰囲気は分かるが、
“チャーハン”は、食べているお客さんがいないので、どの程度の量か分からない。
かつて、あるレストランで特大チャーハンの大盛りを注文させられて、
一応全部平らげたものの、かなり食べることで難儀をしたことのある後輩「ヤス」は、
その経験を教訓に、あえて安全策に出たようである。
我が上司「コードネーム0024氏」は、逃げられた!と少し悔しそうである。

さて、いずれにしても、このお店のボリュームが我々の最大関心事となってきた。
隣のテーブルで食事が運ばれてくるのを待っている女性客5人。
先ず、そこに“チャーハン”が運ばれてきた。
我々は、横目でその全体量をチェ~ック!!
お盆には半球状のチャーハンとスープにざざーさいがのっかっており、
そのサイズも良くある普通サイズで何の変哲もないチャーハンである。
「あれっ、いたって普通の量じゃないっすか。」
「ほんとですね・・・。」
多めのチャーハンを期待していた我々は、少し肩すかしを食らった感じだ。

が、そのときお店のおばちゃんの一声に軽い眩暈を覚えるのであった。
「は~い、お待たせいたしました。
 チャーハンの小!」



!!!!!

「えっ?」
「あのチャーハン、小らしいっすよ。小!」
「じゃ、普通盛りはどんなんじゃ?」
上司「コードネーム0024氏」は、カラカラと笑い出す。
我々も半ば呆れて苦笑する。

この女性客のグループには、次に“肉野菜炒め”が運ばれてきた。
お盆の上には、広い皿に山のように盛った肉野菜炒めと、
スープと、どんぶりに盛ったライスがのっかっている。
「う~ん、あの野菜炒めの盛り方はなかなかのものですね。」
「どんぶりの飯は、女性には多いかもしれんの。」
「まあ、普通でしょうけど、ランチとしては結構なボリュームですね。」

大盛りを得意とする後輩「ヤス」の選択は、それなりに妥当な量だななどと、
もっともらしく話していると、またしても店のおばちゃんに軽い一撃を食らう。
「はい、お待たせね。
 こちらは肉野菜炒めの半ライス!」


!!!!!

「えっ?」
「なにっ?あれで半ライスかっ?」
「じゃ、普通盛りはどんなんじゃ?」
上司「コードネーム0024氏」は、またしてもカラカラと笑い出す。
我々も半ば呆れて苦笑する。


この店の飯の盛り方は半端じゃなさそうだ・・・。
その後、周りのお客さんに運ばれた様々なメニューを目の当たりにし、
ここの普通盛りが、いわゆるひとつの大盛りであることを認識した。

そして極め付けに、我々は見たのである。
つまり、この店における大盛りをである。

私が背中を向けている席の若い男性が、ナス炒めだか何かの大盛りを注文した。
「おい、大盛りを注文しとるゾ。」
「どんなのが来ますかね?」
「普通盛りでもどんぶりに山盛りなんだから、皿にのっかってきますかね?」
・・・皆勝手な想像をしている。

そして現われたそのナス炒めだか何かの大盛り。
なんと、ライスのどんぶりが巨大化しているのである。
これはラーメンとかうどんに使うどんぶりではないか!
しかも、その巨大などんぶりに山盛りである。

巨大などんぶりに山のようなライス
その様は、
まるで巨大なカキ氷のようである!
神保町のモンブランとでも言おうか・・・
いやいや、想像されるその攻略の困難さは
さながら
神保町のアイガー北壁といったところか・・・


我が同僚「ブッチー」が曰く、「ここまで来ると、もはや暴力的だ・・・」
この恐るべき大盛りライスの出現が、我々の昼食のクライマックスであった。
半ライスから普通盛り、そして大盛りライスへと膨らんだ我々の興奮は、
自らのチャーハンが運ばれてきたことで、ひとまず終息することとなった。

そして、もうひとつ決定的なクライマックスが待っていた。
ナス炒めだか何かの大盛りを注文したこの若い男性は、
こともなげに、全てを平らげてしまったのであった。

まさに完璧である。

このような芸当が、
果たして部下「ケンケン」や後輩「ヤス」にできたであろうか?
世の中には凄い奴がいっぱいいるものだ・・・。

大盛り天国の神保町。
この『徳萬殿』の大盛りライスは、
しかし、まだまだ氷山の一角でしかないのかもしれない。
神保町の大盛りは奥が深そうだ。


【メモ】
『徳萬殿(とくまんでん)』:千代田区神田神保町1-5 (03-3291-1205)
 ○営業時間/(月~金)11:30~15:00、17:00~22:00
          (土)11:30~15:00/日・祝日休


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学芸会の出し物

2007-10-22 17:14:31 | 日記

今日(10/22)、色々な事情が重なって仕事を休んだが、
おかげで、夕食の前後で子供達から学校の話を色々と聴くことができた。
もっとも、昨日も一昨日も夕食は子供達と一緒だったのだが、
「今日学校で・・・」という話題は、その日でなければなかなか聞けない話だ。

次男坊も娘も、ともに来月17日(土)に予定している学芸会の出し物の話だった。
時を同じくして、2人とも、学校で学芸会の出し物となる演劇の台本を渡され、
ともに、今日の学校で一通り読んできたらしい。

5年生の次男坊のクラスは、斎藤隆介氏の『三コ』をやるという。
私の記憶にある『三コ』は、優しい心を持った巨人の話である。
滝平二郎氏のきり絵が挿入された斎藤隆介氏の絵本は、昔からの人気本で、
このコンビによる絵本『八郎』と並んで、私にとっては想い出の話である。

次男坊は、山火事から村人達を守るために、自分の体で山におおいかぶさって
火を消した三コのことを半ば興奮気味に話し、勇敢でやさしい心の持ち主だと
子供ながらに感心した気持ちを率直に語った。

3年生の娘のクラスは、『みんなのひみつ』という演題であるが、
この話はイソップ童話の『王様の耳はロバの耳』と同じだそうだ。
兄である次男坊が、『三コ』のストーリーを聞かせてくれて、
自分の命をかけても人を守ろうとしたことは凄いなどと話していたが、
娘の場合は、とにかく、自分が何の役をすることになるのかが最大関心事で、
しきりに、仲良しの友達と一緒にやれる役は何かと台本を何度も読んでいた。

夕食の前には、それぞれが台本を見せながら解説してくれるし、
夕食の間は、誰がどんな役をするのか、友達の名前を挙げては
「うん、ピッタリだ!」とか「ちょっと、雰囲気違うんじゃん!」などと話し、
また、誰が何をやりたがっているかということも話題になった。
各学年2クラスか3クラスくらいしかない、小さな小学校なので、
次男坊も娘も、歳の異なるそれぞれの友達やその性格を良く知っており、
誰が何の役に適しているのか、批判を交えながら話していた。
賑やかで楽しそう…。
私は、その様子を眺めているだけでも面白かった。

今日の夕食時は、世間を騒がせたボクシングの亀田一家のことも話題となり、
せっかくの機会だから、スポーツマンシップについて私の持論を話した。
学校でも子供達同士で話しているようで、なかなか反応が良かった。
子供達が何を考え、色々な出来事をどう感じているのか、
平日の夕食を一緒にするだけでも、その様子がよくわかるものだ。


11月17日(土)は、女房が午前中からオケの仕事を入れているので、
子供達の活躍は、私がしかと見届けねばなるまい。
今日の話を聞く限りでは、なかなか面白そうだ。
特に、次男が『三コ』の話にいたく感動している様子が印象的だったので、
それをクラスの仲間達で演技するとどうなるのか、興味は尽きない。



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旧古河庭園 ~秋のバラフェスティバル~

2007-10-21 22:18:45 | 建築など

今日(10/21)は朝早くから、文京区民オーケストラの第16回定期演奏会に
葛飾フィルの12月の定期演奏会のチラシを挟み込みに行った。
会場は、王子にある“北とぴあ・さくらホール”。
文京区民オケの演奏会自体は14時からであったが、挟み込み作業は9時集合。 
かなり多くの団体が参加していたが、ホールでの舞台設営に並行して、
女性の楽団員もこの挟み込み作業に参加し70~80人くらいはいるんじゃないかという
相当数の人海戦術による作業で、20種近くのチラシを1,000部を超えるプログラムに
次々挟み込み、ものの30分程で作業完了!
おーっ、めっちゃはやいっ!

想定外の早さに、午前中の予定がポッカリ空いてしまった。
午後は、女房の所属している団体でのバッハのカンタータの練習に参加するが、
その練習会場が田端なので、チラシハサミが終わったらどっかの喫茶店で予習して
昼食をとってから移動しようと楽器や楽譜も持って来ている。
3時間以上あるとはいえ、まさか一度帰宅してからまた来るのも馬鹿馬鹿しい。

と、そこで思い出したのが、王子から一駅隣近所にある「旧古河庭園」。
確か今は秋のバラフェスティバルの頃ではなかったか?


建築家コンドルの設計による邸宅

旧古河庭園は、当初陸奥宗光の邸宅だったそうだ。
陸奥宗光といえば、明治時代、伊藤博文内閣の外務大臣を務めた人で、
日英通商航海条約を締結して、幕末以来の不平等条約を改正したことで、
中学の歴史の教科書にもでてきた人である。
この陸奥宗光の次男という人が、古河財閥創始者の古河市兵衛という人の養子となり、
この邸宅が古河家所有の古河邸となったことに、その名前が由来するそうだ。

今の形になったのは大正時代のことだそうで、洋館と洋風庭園の設計は、
我が国の建築界に多大な影響を及ぼした建築家ジョサイア・コンドルによる。
英国出身のコンドルは、明治政府に招かれて来日し、東大で教鞭をとるなどし、
また、鹿鳴館や旧岩崎邸、ニコライ堂などの建築物を設計した人である。
日本銀行本店や東京駅を設計した建築家辰野金吾の師でもあり、
東大工学部にはコンドルの銅像が立っている。私も一度見たことがある。

そんなことを思い出しながら旧古河庭園に入園した。
ここは、今は都立公園として東京都の管理運営下にあるのだ。
過去、何回か訪れたことがあるが、今日は6,7年振りである。
案の定、来週10/28(日)まで、恒例の「秋のバラフェスティバル」を開催している。


邸宅の窓辺に咲き誇る白バラ

白バラといえば、キリスト教では「純潔」とか「美」、「貞節」などの象徴。
それが血にそまると、赤いバラとなって「殉教」の象徴になるそうで、
誰から聞いたのか、白いバラをみると、必ずその話を思い出してしまう。
また、白いバラと赤いバラは、有名な英国王室のバラ戦争も想起してしまうが、
う~ん、なんでそんな、ちょっと血なまぐさい話を思い出すのか…、
この邸宅と庭園が、そんな西洋の雰囲気を醸し出しているからか?

それにしても、この白バラ達の美しいことよ。
通路が細いので、あまりのんびりながめていられないのがもったいなくらいだ。


この洋風庭園もコンドルの設計によるものだ

多種多様なバラが所狭しと咲き乱れるこの洋風庭園。
これまた所狭しと、バラを観にやってきた人、人、人である。
以前、ここに来た時は、真夏の真昼間だったので、園内を散策する人もまばらで、
この洋風庭園がずいぶんと広大な庭にみえたものだが、こうも人が多いと、
なんとも窮屈な空間にすら思えてくる。

この洋風庭園を設計したコンドルは、英国生まれの建築家であるからにして、
英国風の庭園を念頭に作られたものなのだろうか?
庭園といえば英国。英国といえば庭園というくらい両者の結びつきは深いと思うが、
今流のガーデニングと、コンドルの時代の庭園に大きな違いはあるのだろうか?
この庭園は、ここ独自のものだとも思えるが…。

ま、それにしても、こんなに沢山の種類のバラが丁寧に手入れされて、
これだけの人に楽しんでもらえる庭園は、それだけで幸せな庭園なのだろう。
一日、ボーっとながめていてもあきない感じがする。


真紅のバラは上品で見応えがある

このバラ、あれこれ観ていて一番に存在感を感じたバラである。
バラの鑑賞の仕方というのがあるようだが、私は門外漢で、
直感的に「おっ?これはっ!」と思ったものが美しいと感じている。
このバラは、遠くから見た時、私においでおいでをしているように存在していた。

今日の昼は、空に雲がほとんどなく、まさに秋の空として澄み渡っていたが、
逆に、バラの色の深さを鑑賞するには、少しばかり陽射しが強いように感じた。
ちょっとばかり陽射しが弱いくらいが、バラの深みのある色を味わえたかもしれない。
…もう少し日が傾いてから来た方が良かったかもしれないな…

隣で見ていた老夫婦が、「もう見頃を過ぎてしまったな…。」などと話していたが、
そんなものなのだろうか?


何がしかの人格すらうかがえる旧古河邸

秋の空と邸宅、それに窓枠の白のコントラストが美しい。
この邸宅は、西日を浴びてセピア色の陽光に漂うとロマンチックで美しいらしいが、
高い秋の空を見上げて、昼の陽光を浴びている姿も生命感に満ちていて良いと思う。
どこか強固な安定感の中に、人間の心のようなもろさが漂っているような雰囲気。
そこにぬくもりを感じさせる気がする。



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娘と買物

2007-10-20 22:22:44 | 日記

このところ週末は女房の本番が立て続いていたり、私が出かけていたりして
しばらく家族揃って女房の手料理をいただく機会がなかったが、
今日は久しぶりで、全員揃って我が家での夕食となった。

で、夕食の材料を揃えるため、娘と二人、近所のスーパーに買い物にでかけた。
もう小学校3年生だから買い物くらいできて当たり前田のクラッカーなのだが、
普段、女房の買物にくっついているからか、商品を良く見ている。
「こっちのお豆腐のほうが美味しいんだよ。」とか
「この豚肉は色があまりよくありませんね~。」など、
いっぱしの品定めなんぞしながら、必要なものを買い物カゴに入れていく。

さらに、賞味期限やら消費期限なるものを知っていて、
その期限が直近のものよりも、まだまだ先のものの方が新鮮だという。
ちょうど、社会科の授業でもそうした生活に密着した知識を吸収しているとこで、
買い物の間中、娘は自分の全知識を披露するいきおいで、しゃべるしゃべる。

母親の口述を自ら書きだしたお買い物メモを見ては、いちいちコメントする。
頼まれた夕食の食材を買い物カゴに入れてしまうと、
「じゃ、あと『お茶するときのもの』は、お父さんが選んどいてね。」と言って、
自分は、店内に設置している“○○天然水”だとかなんとかいうでかい装置で
持ってきた専用の大きな容器に水を汲み始めた。
・・・なんとっ!我が家ではこんなミネラル水使ってたりしたんだ・・・

「この水何に使ってるの?」
「えっ?お父さん知らないの。ご飯炊くんだよ。」
「あ~っ、だからご飯美味しいのか・・・。」
「そうなんだよ。」

最後に、飲料品のコーナーで自分達が飲むジュースを選んでいたが、
「今日はビール買わなくていいの?」とませたことを言う。
「昨夜会社の仲間と飲み会があったから、今日は飲まないよ。」
「でも、ホントは飲みたいんでしょ?」
・・・このガキゃ~、調子にのりやがって…
「そうだね。でもビールはやめておこう。」
「そういえば、まだ空けていないワインが沢山あったね。」
・・・よく知っとるの~ぉ・・・

慢性糸球体腎炎が診断されてからというもの、飲酒は週2回までと決めている。
今日は、A響の練習が心地よかった(決してちゃんと弾けたという意味ではない)ので、
ビールをググーッと一杯やってもいい気分だったが、昨夜は職場の飲み会もあったし、
ワインをグラスに1、2杯でやめておこう。


週末に娘と買い物する機会は多いけれど、ここ最近、いろいろ発見があって面白い。
こういう些細なことでも、ふと気づくと子供達は色々なことを学んでいる。
なんか成長しているなぁ~って嬉しくなる。



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現状維持!

2007-10-16 23:58:06 | 体質改善
本日(10/16)、1か月ぶりで『慢性糸球体腎炎』の定期検査&診察があった。
前回は、尿蛋白の数値が上がったのに加え、尿酸値が上昇傾向にあったので、
それまで服用していた2種類の薬にさらに3種類目が加わってしまったため、
今回、また、何かがさらに悪い状況になってはいないか内心穏やかではなかった。

が、結果は良好!
塩分やタンパク質を抑えた食生活を心がけていることが、数値に反映しているし、
尿蛋白が相変わらず1+で推移しているが、病状は安定しているとのこと。
検査結果を確認した時の主治医の表情が明るくなったのには正直驚いた。

主治医によれば、尿蛋白が1gを超えて増加傾向にあるようならば、
扁桃線を摘出して、ステロイド療法の開始を検討しようと思っていたそうだ。
だが、当面はその心配もないだろうとのこと。
食生活は今の注意をそのまま維持し、毎日きちんと薬を服用することを告げられ、
「とにかく現状維持を!」とのことだった。

…油断は大敵だが、今日は気分が良かった。


むしろ、今日の診療で気になったのは、睡眠時無呼吸症候群への対応についてだ。
相変わらず、仕事の途中に急激な睡魔に襲われたり、疲れを感じたりするので、
本格的な治療を始めるよう促された。
この病気については、数冊程度の専門書を読んだが、まだ態度を決めかねていて、
次回の診療時に、専門医への相談を考えてみたいということに留まった。
幸いなことに、私が通院するこの病院は、睡眠時無呼吸症候群への取組みが
比較的先進的で、専門医とスタッフも揃っているようである。

仕事中に突然やって来る急激で強い睡魔は、私にとっては結構深刻である。
本当に調子が悪い時は、頭が働かなくて集中できなくなってしまうし、
本当に機能マヒしているような気分になる。
実際、今、任されている仕事が遅れ気味なのは、こういう現象に負うところが大きい。
傍目には、この辛さがわかってもらえないので、必然、無理をしてしまう。
自分で思うようにコントロールできないことが歯痒い。

次回の診療は2か月後となった。
その際は、よくよく相談にのってもらおう。



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コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲

2007-10-15 22:00:46 | 音楽日記
昨晩(10/14)、NHK-FMの音楽番組を聴いていたら、
ハイフェッツのソロでコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲が流れた。
よく、世紀末ウィーンの濃厚な香りが漂う抒情的な作品と評されるが、
ハイフェッツの演奏は、何か終末的な気分の高揚を伴う幻想曲といったふうで、
ロマンティックな雰囲気がそのまま伝わってくる上品な演奏だ。

一緒に聴いていた女房が「なんだか映画音楽みたいな感じがする。」と言ったが、
コルンゴルトこそ、ハリウッド映画で多くの映画音楽を残した作曲家であり、
マーラーやR.シュトラウスといった作曲家からの直伝の後期ロマン派的作風を、
そのまま映画音楽に持ち込んだ張本人なのである。
そして、彼は、気に入った映画音楽を自作の芸術音楽に転用できる権利も有していた。

このヴァイオリン協奏曲にも、映画音楽『砂漠の朝(1937)』のテーマ音楽に始まり、
『革命児ファレス(1939)』、『風雲児アドヴァース(1936)』、『放浪の王子(1937)』
といった映画のテーマ音楽が用いられているそうである。
私は、これらの映画を観たことも、音楽を聴いたこともないが、
華麗でロマンティックな中に何がしか人の心を振るわせる独特の音楽は
ハリウッド映画の音楽を容易に連想させる。

何かの本で、このコルンゴルトの作風がそのままジョン・ウィリアムズに継承され、
さらに映画音楽がゴージャスに展開したということを読んだが、なるほど頷ける。
ただ、ジョン・ウィリアムスの映画音楽を聴いていてよく思うことの1つに、
その作品のそこここに、プロコフィエフの作風が散見されことがあり、
時として、そのままパクリではないか?と疑ってしまうことがある。
そのくらいに、プロコフィエフの影響も受けているように感じている。
もっとも、プロコフィエフも映画音楽を多く書いているので自然なことかもしれない。

話がそれた。
さて、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
ハイフェッツの演奏を聴いたことで、もう一度別の演奏家でこの曲を聴きたくなり、
今度は、現代の若手ヴァイオリニストで既に達観した演奏スタイルを感じさせる
ヒラリー・ハーンの演奏をDVDで視聴することにした。
バックを務めるのは、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団だ。

ハーンは、彼女がバッハの無伴奏をリリースしたのを聴いた時からのお気に入り。
このCDの“シャコンヌ”はあまりにも端正で素直な演奏だったので、
彼女の真っ直ぐな音楽や演奏姿勢に、一聴して惚れてしまったのである。

そのハーンによるコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
これは、ハイフェッツの演奏とはまた違った音楽である。
ハーンの演奏は、視覚的な要素もあるので異なる印象を抱いて当然であるが、
曲の冒頭のソロから、我々聴く者の気持ちを惹きつけて離さない。
素直に美しい音色と真っ直ぐな歌心、音楽への愛や楽しみで歓びに溢れている。
第3楽章は、同じテーマのヴァリエーションが形や品をとっかえひっかえ展開するが、
その演奏する様は、相当に超絶技巧を伴っている曲が連続しているというのに、
まるで子供が夢中で遊ぶ無邪気さに満ちていて、見ているだけでも楽しくなってくる。
勿論、そのような雰囲気を伴うくらいだから演奏は自由自在に飛び跳ね回っている。
ハーンは、この曲の魅力をあますことなく我々に伝えてくれる。


コルンゴルトという作曲家は、若い頃はウィーンで活躍したが、
後にハリウッドに招かれて映画音楽の作曲を手がけ、その後、
そのままアメリカでその生涯を終えている。
映画音楽に取組んだ頃から、商業音楽にその身を貶めたとして、
彼の評価は一挙に下がり、事実上楽壇からは抹殺されていたようである。
そのため、彼の作品は長らく不当な評価に甘んじ取り上げられることもなかったが、
近年、多くの音楽家が彼の作品に光を当て、再評価されるようになったという。

このヴァイオリン協奏曲は、ハイフェッツの録音とその演奏活動のおかげで、
コルンゴルトの代表作としての地位を固め、また世に認められるようになった。
そして、現代の若手奏者ハーンは、さらにこの曲の魅力をひきだしているのだ。

DVDの解説書で、ハーンはこの曲について以下のように語っている。
「私は、この協奏曲を楽しんで演奏しています。
 聴衆は、いつもこの曲が好きな様子ですし、とても良い反応を示してくれます。
 この作品は、大柄で華麗、そしてロマンティックでありながら控えめで、
 人の心に触れるところがあります。」

魅力的なヴァイオリン協奏曲である。



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