“12 Angry Men”
もう半世紀以上も前に製作された名作だが、裁判員制度がスタートした我が国では、
リアリティと新たに鮮烈な印象を伴って考えさせられる映画ではないか。
葛飾フィルの用事を終えて帰宅する途中、なんとなく立寄ったTSUTAYAで、
名画DVDが100円でレンタル中だったので、衝動的に3本ほどレンタルしてきた。
その1本である
子供達が床について静かになってからゆっくり観ようと思っていたら、
何かと目ざとい娘が「あれっ?お父さんTSUTAYAに行ってきたの」と曰く。
あまり目につかないところに隠すように置いてあったレンタルDVDを見つけられた。
「どういう話?今日は土曜だし夜更かししていい日だし、観たいな~。」
「裁判の話だから難しいぞ。んっ?でも、推理モノみたいで面白いかも。」
「じゃ、観よう。」
ということで、明日の朝早い息子までがサッサと勉強を終わらせて一緒に観た。
私自身は、過去十数回は観た。
高校時代に活動していた演劇部では、この戯曲に挑戦したこともある。
それなりに思い入れと想い出のある話である。
で、息子と娘には思った以上に好評であった。
ヘンリー・フォンダ扮する陪審員8が、目撃証言や証拠の数々を「納得できない」と、
理路整然と細かく分析していく様が、名探偵が事件の謎を紐解いていくようで、
推理小説さながらに最後まで夢中にさせたようである。
その過程で、当初、被告の少年を有罪としていた陪審員達が徐々に考えを改め、
「疑わしきは罰せず」の原則にたち帰って無罪の結論に到る展開は大変心地よい。
『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』といった推理アニメに親しんでいる
子供達にとっては、まさにその延長でのめり込んだのであろう。
登場人物達が何度も口にする「人の命にかかわる」重い判断を下すことに、
陪審員達がどこまで真摯にその役割を果たしていくべきかを問いかけるのが、
この映画のテーマであり、当時の合衆国では陪審員制度の短所の部分が
かなり顕在化していて、社会的な問題となっていたのではないか?
人間の尊厳とは何か?人が人を裁くことの意味は何か?
初めてこの映画を観た高校時代は、そんな風に難しく考えた。
今日は、目撃証言や数々の証拠の腑に落ちない点が理路整然と明らかになり、
少なくとも被告の少年を有罪と判断し得る決定打が何一つないところまで検証され、
これが推理小説の謎解きの如く楽しめるということを、子供達とともに感じて、
いわゆるサスペンス映画としても完成度の高い映画だと認識を新たにした。
映画も観る度、観方感じ方が変わるもんだな。
さて、昔のアメリカ映画を観た子供達が、これが映画だけの話だと思っても困るので、
今年5月からスタートした我が国の裁判員制度では、同じような話が展開し、
大人になったら、自分がこの映画の陪審員達と同じような体験をするかもしれないぞ
という話をしてやった。
「えーっ?そんなの難しいから無理。断れるの?」などと言うので
「いや、国民の義務だから、よほどの理由がない限りやらんといかん。」と答える。
「いやだ~。」とか「変な人と一緒になったら決まらないんじゃん?」とか言う。
「ま、大人になってからの話だし、それまでに色々と勉強するわけだから大丈夫。
だけど、あれっ?何かおかしいゾ?と思ったことは見過ごさないようにしないと
人の命にかかわるから、普段から気をつけていこう。」などと教訓をたれる。
ということで、子供達にとっては思いがけず勉強の機会となった。
それにしても、1時間半ほどのこの映画、場面はひたすら陪審員室(というのか?)。
カメラアングルは常に変化しているが、最後までほとんど場面の変化がないままに
話の展開だけで最後まで観る者の心を捉えて放さない。
十二人の性格もよく描かれていて、これを演じる役者もいい味だしている。
演じる側から言えば、こういのを役者冥利につきるというのだろう。
映画もいいが、一度、舞台でも観てみたいと思った。
←励ましの一本締めで一押しお願いします
もう半世紀以上も前に製作された名作だが、裁判員制度がスタートした我が国では、
リアリティと新たに鮮烈な印象を伴って考えさせられる映画ではないか。
葛飾フィルの用事を終えて帰宅する途中、なんとなく立寄ったTSUTAYAで、
名画DVDが100円でレンタル中だったので、衝動的に3本ほどレンタルしてきた。
その1本である
子供達が床について静かになってからゆっくり観ようと思っていたら、
何かと目ざとい娘が「あれっ?お父さんTSUTAYAに行ってきたの」と曰く。
あまり目につかないところに隠すように置いてあったレンタルDVDを見つけられた。
「どういう話?今日は土曜だし夜更かししていい日だし、観たいな~。」
「裁判の話だから難しいぞ。んっ?でも、推理モノみたいで面白いかも。」
「じゃ、観よう。」
ということで、明日の朝早い息子までがサッサと勉強を終わらせて一緒に観た。
私自身は、過去十数回は観た。
高校時代に活動していた演劇部では、この戯曲に挑戦したこともある。
それなりに思い入れと想い出のある話である。
で、息子と娘には思った以上に好評であった。
ヘンリー・フォンダ扮する陪審員8が、目撃証言や証拠の数々を「納得できない」と、
理路整然と細かく分析していく様が、名探偵が事件の謎を紐解いていくようで、
推理小説さながらに最後まで夢中にさせたようである。
その過程で、当初、被告の少年を有罪としていた陪審員達が徐々に考えを改め、
「疑わしきは罰せず」の原則にたち帰って無罪の結論に到る展開は大変心地よい。
『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』といった推理アニメに親しんでいる
子供達にとっては、まさにその延長でのめり込んだのであろう。
登場人物達が何度も口にする「人の命にかかわる」重い判断を下すことに、
陪審員達がどこまで真摯にその役割を果たしていくべきかを問いかけるのが、
この映画のテーマであり、当時の合衆国では陪審員制度の短所の部分が
かなり顕在化していて、社会的な問題となっていたのではないか?
人間の尊厳とは何か?人が人を裁くことの意味は何か?
初めてこの映画を観た高校時代は、そんな風に難しく考えた。
今日は、目撃証言や数々の証拠の腑に落ちない点が理路整然と明らかになり、
少なくとも被告の少年を有罪と判断し得る決定打が何一つないところまで検証され、
これが推理小説の謎解きの如く楽しめるということを、子供達とともに感じて、
いわゆるサスペンス映画としても完成度の高い映画だと認識を新たにした。
映画も観る度、観方感じ方が変わるもんだな。
さて、昔のアメリカ映画を観た子供達が、これが映画だけの話だと思っても困るので、
今年5月からスタートした我が国の裁判員制度では、同じような話が展開し、
大人になったら、自分がこの映画の陪審員達と同じような体験をするかもしれないぞ
という話をしてやった。
「えーっ?そんなの難しいから無理。断れるの?」などと言うので
「いや、国民の義務だから、よほどの理由がない限りやらんといかん。」と答える。
「いやだ~。」とか「変な人と一緒になったら決まらないんじゃん?」とか言う。
「ま、大人になってからの話だし、それまでに色々と勉強するわけだから大丈夫。
だけど、あれっ?何かおかしいゾ?と思ったことは見過ごさないようにしないと
人の命にかかわるから、普段から気をつけていこう。」などと教訓をたれる。
ということで、子供達にとっては思いがけず勉強の機会となった。
それにしても、1時間半ほどのこの映画、場面はひたすら陪審員室(というのか?)。
カメラアングルは常に変化しているが、最後までほとんど場面の変化がないままに
話の展開だけで最後まで観る者の心を捉えて放さない。
十二人の性格もよく描かれていて、これを演じる役者もいい味だしている。
演じる側から言えば、こういのを役者冥利につきるというのだろう。
映画もいいが、一度、舞台でも観てみたいと思った。
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