GAOの隠れ処「ムンダナ」

都内のアマチュアオーケストラでVnとVaを弾いているGAOの、音楽を中心とした関心事についてのあれこれ

加藤登紀子さんと共演?

2008-06-18 06:47:31 | 音楽日記
昨晩(6/17)帰宅したら、女房と私に宛てて楽譜が届いてた。
8月上旬に参加することになっている“コバケンとその仲間たちオーケストラ”の
福島&山形公演の楽譜である。
今回は、このオケの定番となっている瀬崎明日香さんがソロを務める曲や
チャイコフスキーの荘厳序曲「1812年」といったおなじみの曲に加えて
「百万本のバラ」なんて曲もある。

「おおーっ、『百万本のバラ』なんてやるんだね!」
「誰か歌手がつくの?」
「加藤登紀子が歌ったりしてね。」
「だったらいいよね。私、あの人の歌とても好きなの。」
「あ、オレも大ファンだったりする。」

などと話していると、同封している演奏会のチラシに気がついた。

えっ?

「このチラシのコバケンさんと明日香さんの間の人って!」
「ウソっ!」
「加藤登紀子だよ!」
「えーっ、共演するんだ。」
「すっげ~。加藤さんのオケ伴までやっちゃうんだ。」
「これもまた楽しみね!」


そんなことで、昨夜は、久し振りに加藤登紀子ヒット曲集なんぞ聴いて
ちょっと胸が熱くなったりしたのであった。



コバケンとその仲間たちオーケストラ2008福島公演


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「悲愴」交響曲

2008-06-17 06:34:05 | 音楽日記
昨夜(6/16)帰宅したら、女房がリビングでブログを書きながらCDを聴いていた。
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だ。
グラモフォンレーベルからでていたエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮による
レニングラード・フィルの演奏で、名演の誉れ高い一枚である。
「悲愴」は、チャイコフスキーの交響曲の中でもとりわけその標題性で人気が高く、
古今東西の録音も名演とされる水準の高いものが多い。
それだけ指揮者や演奏者の感性を刺激し、自らの芸術性を至高のものへと導く、
そんな霊感に満ち溢れている曲なのだと思う。
学生時代に買い求めたチャイコフスキーの最初のLPはやはり「悲愴」だった。

さて、女房が「悲愴」を聴いていたのにはわけがある。
近々、地元のアマオケの定期演奏会にエキストラ出演しこの曲を弾くのである。
そして、私も同じくエキストラ出演する予定である。
私の場合、さらに、葛飾フィルの12月の定期演奏会でもこの曲を演奏する。
そんな事情で、我が家では、しばらくこの曲が流れる機会が多いことだろう。

ところで、この曲、演奏会で生演奏を聴く時に苦々しく思うことが間々ある。
終楽章の終わりの最後の最後の終わり方である。
終楽章では、文字どおり「悲愴」の極みに到ってオーケストラが泣きに泣くのだが、
その泣きがこの曲のラストで、チェロとベースのppppにまで落ちて消えてゆく。
常識的には、音が消えたあとしばらくも、その余韻を音楽として味わいたいのだが、
指揮者がまだ指揮棒を下ろしていないのに、突如、景気のよい拍手をする輩がいる。
これは誠に残念なことで、本当に興ざめなのである。

もう四半世紀も前の、香川県の西の端、観音寺市で高校時代を送っていた頃、
滅多に聴くことのできないプロオケのコンサートが遠く丸亀市であるというので、
放課後、親友と連れ立って観音寺から丸亀まで鈍行汽車(当時はまだ国鉄)に乗って、
秋山和慶の指揮による大阪フィルの「悲愴」を聴きに行ったことがある。
勿論、生演奏で大フィルを聴くのは初めてだったし、「悲愴」も他の曲も初めてだった。

客席の一列目、指揮者を見上げる位置に陣取り、ワクワクして聴いた。
1曲目は何だったか忘れてしまったが、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲か、
シベリウスの交響詩「フィンランディア」のどちらかではなかったか知らん?
2曲目は野島稔氏のピアノソロによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
そしてメインがチャイコフスキーの「悲愴」というプログラムで、
まあ、どこの地方公演でもやるような定番のプログラムといったところだ。

金太郎飴のような地方巡業だが、香川の片田舎で素朴な高校生であった自分にとって、
丸亀市民会館で聴く本格的なオーケストラ演奏は、非日常的な異次元空間であった。
1曲目、2曲目と目の前で展開するオーケストラサウンドに背筋の震えを体験し、
3曲目の「悲愴」で感動の極みに酔いしれ余韻を味わっていたその時、
まだまだ響いているppppが静寂と出会うその瞬間を待たずして
突然、訳知り顔のオッサンが「ブラボー!」と叫んで一人拍手を始めた。

様々な感情が渦巻く上も下もないような小宇宙空間を心地よく漂っていた私は、
期せずして生々しい現実のコンクリートの地面に叩きつけられグシャグシャになった。
みると指揮者はタクトを下ろしていない。
演奏者も楽器を構えたままだ。
なぜにこのオッサンはひとり喜々として大きな拍手をしているのか!

「これは犯罪だ!」
とすら、この時私は思った。


そんなことを思い出して、
来る7月下旬の地元アマオケの定期演奏会。
そして12月中旬の葛飾フィルの定期演奏会。
ともに、こんな悲しいことが起こらないように
切に願うのであった。



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