GAOの隠れ処「ムンダナ」

都内のアマチュアオーケストラでVnとVaを弾いているGAOの、音楽を中心とした関心事についてのあれこれ

久し振りのお天気

2008-08-31 12:23:36 | 日記
日本の天気は一体どうしちゃったんだろう?
と、昨日までの連日の雷雨に、気分も心なしか滅入り気味であったが、
今日(8/31)は、まだまだ不穏な雲が流れてはいるものの、青空が広がり、
なんだか梅雨明けして夏になったような感じで、カラッとした気分である。
昨日まで鳴りを潜めていたセミたちも、ここぞと言わんばかりにいっせいに鳴きだし、
草木も陽の光をいっぱい浴びて生き生きしているような気がする。

天気予報では、引き続き大気が不安定な状態で、局地的な雷雨に注意せよとのこと。
とすると、この晴れ渡った天気も束の間の喜びといったところか…。



窓を開け放すと、秋の気配がする風がレースのカーテンを心地よく揺らしてくれる。
宿題も済んでいるというのに、悪天候で自宅にこもらされていた子供達は、
糸の切れた凧のように、何処へともなく、でも、喜々として外に飛び出していった。
静かになった我が家では、女房と私、部屋を横切っていく風の心地よさに誘われて、
まだ昼前だというのに、畳にゴロンして読書などするうちにうとうとするのであった。

なんだかのんびりと落ち着いた、夏休み最後の日の昼下がりであった。


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雨の日は映画~『20世紀少年』~

2008-08-30 21:35:54 | 日記
●なぜ映画か?

今日8月30日。夏休みも残すところあと一日となった子供達。
夏休みの宿題も終え、父も土日で休みだし、どこか遊びに遠出したい気分である。
…が、連日の激しい雷雨に、大雨洪水警報が出されている今日この頃。
家族揃ってハイキングにお出かけというわけにはいかない。

こういう日は、家でのんびりして音楽を聴いたり読書するのがいつもの私であるが、
今日はちょっと違った。

実は、子供達はこの夏休み中、何度か寝坊して休んだものの、
ほとんど毎朝早起きして、6:30からのラジオ体操を続けていたのである。
これは、学校や子供会が主催するラジオ体操が7月いっぱいだけだったので、
「お父さんの小学生の頃は、皆、夏休み中は毎朝やっていたぞ。」という話から
「夏休み中一度も休まずに続けたら、何でも願い事を一つ叶えてやるぞ。」
という話に発展してしまい、子供達がその気になって頑張った結果である。

娘など「ディズニーランドに連れてって!」と宣言してかなり真剣だった。
兄のほうは、最初、あまり乗り気でもなかったようだが、妹に付き合っているうちに、
誰よりも早く起きてラジオの準備をするという調子であった。
8月上旬の福島・米沢への演奏旅行や、箱根小涌園への一泊旅行の際も、
携帯ラジオを忘れずに持っていき、朝風呂の前後に部屋で体操するという徹底振り。

残念ながら、何度か寝坊してしまったので、願い事を叶えることは出来なくなったが、
かといって、その一回の寝坊であきらめて止めてしまったわけでもない。
いずれにしても、早起きしてラジオ体操を続けてきたことは、我が子ながらエライっ!


つまり、普通なら我が家でゴロゴロしていたい父が、懐の寒さをかえりみることなく、
今日は、子供達が夏休み中ラジオ体操を続けたという努力のご褒美として、
「観たい映画に連れて行ってやるぞ!」ということになったのである。
…めでたし、めでたし!ラジオ体操も無駄じゃなかったわけだ。


それで、兄は『20世紀少年』が観たい、妹は『崖の上のポニョ』が観たいという。
せっかく皆で一緒に観に行くのだからどちらか一つにしたらどうか?
といって、2人に相談を促すが、どちらも退かない。
比較的、我慢を強いられる立場の兄も、今回ばかりはなかなか譲らない。
どうも『20世紀少年』をよほど観たいらしい。

どうしたもんかの…と近所の映画館「船堀シネパル」の上映スケジュールを調べると、
うまい具合に2本の映画がほぼ同じようなタイミングで上映している時間帯があり、
そんなら、一緒に行ってそれぞれに観たい方を観りゃええということになった。
各々に母と父が同伴し、女組は『崖の上のポニョ』、男組は『20世紀少年』と別れた。


●『20世紀少年』とは?

さて、息子と一緒に観た本格科学冒険映画の『20世紀少年』、
丙午生まれの私にはまるで我がことのように主人公達に同化できる面白い映画だった。

原作者の浦沢直樹氏は自分よりも年上だが、確か同じ1960年代生まれの方なので、
主人公達が少年時代の映像には、何がしか共有できる独特の感情があるのではないか。
…といいながら、同名の原作は実は読んだことがない。
いや、正確にはたまに立読みした週刊「ビッグコミックスピリッツ」で読んだが、
登場人物のキャラクターはおろかストーリーさえまったく覚えていなかった。

私にしてみれば浦沢直樹氏といえば、氏の代表作でもある『YAWARA!』なのだ。
私の学生時代、『YAWARA!』は、丁度、当時の週刊「スピリッツ」で連載中だった。
大学周辺の学生相手の食堂や喫茶店には、大抵の週刊誌や漫画雑誌がおいてあって、
食事の後や、授業をサボってコーヒーをすする時など、必ず何がしかの雑誌を読んで、
中でも「スピリッツ」毎週欠かさず読んでいた。
だが、大学を出てからは、あまり日常的に「スピリッツ」を読まなくなった。
したがって、『20世紀少年』がここ数年で海外でも翻訳出版されて人気が高まり、
今回の実写による映画化が世界的に注目されていることぐらいは知っていたが、
どういう登場人物たちがいて、どんなストーリー展開なのかとか、
今日の映画が三部作の一作目だということとか、全て息子に教えられて知った次第。

酒屋を改装したコンビニエンス・ストアを経営する主人公ケンヂは、
夢と希望に溢れる子供の頃(1970年代)、遊び仲間達と草むらに秘密基地をつくり、
そこで、仲間たちで考え出した世界を征服し地球滅亡をたくらむ悪の組織と
それに立ち向い地球を救う正義のヒーローと仲間たちの空想物語を、
“よげんの書”というスケッチブックに想像上の絵とともに書きしたためていた。
映画は、1997年、ケンヂの小学校の同窓会や幼なじみの死をきっかけに、
徐々にその頃の記憶がよみがえってくるというところから始まる。
そして、世界各地で起こっている伝染病とされる異変が、実は、子供の頃に空想した
“よげんの書”のとおりに起こっていることに気づく。

一連の異変は、“ともだち”と呼ばれる謎の人物を教祖とする奇妙な宗教団体の仕業か?
彼らがたくらむ地球滅亡計画とは?
そしてそれを阻止せんと立ち上がったケンヂとその仲間たちに勝算はあるのか?

原作のコミックのほうは既に完結しているらしいが、
その内容を知らない私には、今日観た第一作の謎解きのような展開も楽しめた。
そして、主人公達の子供の頃の回想シーンで展開する1970年代の映像は、
私も体験した少年時代をそのまま再現するもので、懐かしいこともさることながら、
主人公達と同化してタイムスリップしたような気分であった。
私もまた、草むらや大木に秘密基地を作り、自らが正義の味方になる空想を楽しんだ。


今日(8/30)は、実はこの映画が封切られた初日だったそうだ。
映画館はそれほど混雑していなかったが、観覧客の多くは子供よりも大人であり、
私と同年代かそれ以上の年齢層が多かったのには驚いた。
浦沢直樹氏のファン層の厚さと、この映画の中身がそうさせたのだろうか。
少なくとも我々の世代には、子供心を思い起こさせワクワクさせる魅力がある。

第二作は、来年1月の公開だそうだが、これも面白そうだ。



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同僚とのお別れ会

2008-08-29 23:45:18 | 日記
8月最後の出勤日となった今日(8/29)、職場では今日限りで同僚が1人退職した。

彼女を送り出す側の我々としては、有能な仲間を失うことになるので、
その点では決して喜ばしい話ではないのだが、一方の彼女にしてみれば、
自らの人生を前向きに考えて選択した、新たな人生への記念すべき第一歩となる。
いろいろと悩みを持ちながらも自分の人生を模索している1人の人間として、
一つの決断を実行に移したという点では、彼女の門出を祝福したい。

彼女にしても、これまで築いてきたキャリアや仕事上での人間関係を一度断ち切り、
勉強であれ仕事であれ、また、新たな事柄を一からやり直すことになるので、
仮にこれまでに得てきた様々な技術や資格を生かせるとしても、
やはり、相当のエネルギーと覚悟が必要な選択だったのではないかと思う。


今晩は、終業後にその彼女との別れを惜しむべく、職場仲間での送別会となった。
彼女の我が社における勤続年数は、私の半分にも満たないのであるが、
それでも様々な職場経験と色々な上司や仲間とのつきあいもあって、
今日の宴では、そのような思い出話が次から次へとご披露された。
我々の職場に彼女が異動してきてから約半年の付き合いになるが、
今日初めて聞くような話も多く、とにもかくにも話題は尽きない感じであった。

最近疲れがたまっていた私は、不覚にも途中でうとうとしてしまったので、
彼女の興味深いそうした話を随分聞き損っていたかもしれない。
夢うつつに、楽しげな話し声や笑い声がこだましていたような気がする。

宴の終わりには、お決まりの贈物や別れの言葉など交わされたが、
彼女の挨拶には今後の活動を見据えた強い意思も伺われ、喜ばしく感じた。
最後は記念のスナップを撮って笑顔でさわやかに別れたが、
私くらいの歳になると、何か物足りない感じがしないでもない。

ひと昔前は、海援隊の『贈る言葉』なんぞを皆で大合唱したりしたものだが、
いまどき、そういうのは流行らないかもね…。

とにもかくにも、これからはさらに納得できる人生を歩んでくださいね。



GAOが撮った送別会後の記念のスナップ


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小田原城

2008-08-16 21:50:20 | 日記
T家一家と一泊二日の箱根小涌脇園ユネッサンを楽しんだ我々は、
帰路の途中に小田原城を訪ねた。
なんと、T家の長男坊Kくんが大のお城好きだというのだ。
私も小学生時代には日本の城に大きな関心を持ち、6年生の夏休みの自由研究では
かなり専門的な書物も読み漁って、実に模造紙10数枚の大発表をしたことがある。
…ということで、歳が30も離れている城好きのKくんにやや親近感を持った。

自由研究で力作を発表した頃、私は東京都立川市に住んでいて、小田原城は、
再建されたとはいえ天守閣を有する城としては比較的近い存在であった。
機会があれば行ってみたいと思っていたが、せいぜい新幹線で小田原駅を通過する際、
車窓越しにその天守閣の姿を、ほんの瞬間だけ拝むに過ぎなかった。
今回初めて小田原城を訪れることになったが、あの頃のなんともえいない願望が、
昨日のことのように湧きあがってきて、なんとも感慨深いものがあった。

さて、この小田原城、小学生の頃に戦国時代の読み物で印象に残っているのが、
豊臣秀吉が全国統一に当たって北条氏を攻略した小田原合戦の話である。
当時、日本でも最大規模を誇ったその城郭は、上杉謙信や武田信玄の侵攻をも防ぎ、
難攻不落の城としてその名は天下に鳴り響いていたそうであるが、
秀吉の小田原攻めには城主北条氏直が降伏して落城してしまうことになる。
このとき、北条氏側で篭城するか出撃するかで重臣達の議論が延々と続いて
なかなか結論がでなかった話が、世に言う有名な“小田原評定”である。


常盤木門前で記念撮影するTパパさんと子供達

今回の一泊旅行で、デジカメを自宅に忘れてきたというT家のパパさん。
携帯電話のカメラであちこちを記念撮影していたのが印象的だった。

「ウチの子が大の城好きでね…」というT家のパパさんは、
実に20年ぶりくらいで、ここにやってきたという話であった。
久し振りで訪れた小田原城を懐かしげにながめているが、
わりと色々なところを丹念になめるように見つめている様子に、
実は息子さんよりも当の本人が一番ここに来たかったのではないかと思えた。


昭和35年に復元されたという小田原城天守閣

見た目は三層のコンパクトなつくりだが、間近で見上げると壮大な印象である。
現在の天守閣は、鉄筋コンクリートで再建され、往時とは趣が異なるだろうが、
貴族趣味のようなたたずまいでいて、なかなか勇壮な姿である。
多くの城郭で言えることだが、ここでも天守閣を取巻く松とのコントラストが美しい。

この天守閣からの一大パノラマは素晴らしく、特に相模湾の眺望などみごとなもので、
ここから、日々これほどの雄大な風景をながめておられたこの城の主は、
さぞかし政にかける発想もスケールのでかいものではなかったかと思うほどだ。


なんと!本丸にはインドゾウが住んでいた…

地図やカーナビを調べると、小田原城の本丸には動物園の表示があったりする。
なぜかは知らねど、小田原城の本丸にはニホンザルとインドぞうのオリがある。
家族連れでやってくると、子供達は天守閣よりもそちらの方が気になるようだ。
実際、我々の一行も、子供達はゾウやサルには喜々とした歓声をあげたものの、
汗を流して天守閣を登っても、最上階展望台からの雄大な景色を眺めても、
「すっげぇ~」とか「眺めがいいね~」などとは一言も言わず、
「暑~っ」「のどかわいた~」「早く次ぎ行こう」とボヤくばかりであった。
・・・まあ、夏なんだから暑くてもしょうがない・・・


天守閣に登って眺望を堪能したら、子供達にとってはもう用はないようである。
私としては、本丸以外の建造物や遺構などみてみたいものは沢山あったものの、
多少の未練を残しつつ、小田原城を後にするのであった。
T家とはここで別れて、それぞれに我が家へと帰路についたわけだが、
我々は、小田原市内を旧東海道沿い車を走らせ、街道の風景を楽しみながら、
のんびりと帰ったのである。
勿論、子供らは一日中遊んだので、後ろの座席で気持ちよく眠っていた。


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