なんとも久しぶりでブログを書く。
今日は、一日。
ちょっと最近の心持をリセットした。
仕事や家族、アマオケ活動のことなど、気になること考えなければならないことを
一切合財をあえて忘れて、頭空っぽにして過ごすリラックスした日曜日にしたのだ。
で、夕食の片づけも終えてのんびりしていたので、なんとなくテレビを観た。
22時からのNHKのETV特集「地球の裏側で“コシヒカリ”が実る」は
「日本のおいしい米を、もっと世界に広める」ことを目指す田牧一郎さんが
地球の裏側のウルグアイで日本のお米“コシヒカリ”を生産するという話だ。
四半世紀に渡る米国カリフォルニア州でのコシヒカリ生産の経験を生かし、
美味しいコシヒカリを世界に広めるために、南米はウルグアイでの生産に
新たに挑戦していこうという、夢とロマン溢れる話にとても心が熱くなった。
もう四十半ばを過ぎて、第二の人生はどんな感じになるだろうか…などと
漠然と考えることもある今日この頃。
田牧さんのような、自分の世代よりも大先輩となる方々が、日本を背負って
パイオニアとして世界に打って出る、果敢に挑戦しているという姿に、
畏敬の念を抱くとともに、まだまだ何でもやれるという勇気をもらった。
ところで、仕事柄、この15年くらい、夕食はほとんど外食(1/3は飲み会?)だが、
定食の類でもお米があまり美味しいと感じることがない。
特に、サラリーマンのお父さん達には安くてお手軽でありがたい存在でもある
丼物やご飯ものを提供してくれるファーストフードのお店ででてくるようなご飯が、
これが意外に美味しくないなと感じることが多い。
今日の番組では、日本の美味しい米は世界一と誇りをもって活動展開している
田牧さんが、最近、特に心配していることが、我が国外食産業で提供されている
米(精米?)の水準が低下してきているのではないか?ということだそうだ。
このままでは、本当に美味しい米を理解できる日本人がいなくなってしまうのでは
ないかということも心配されていた。
私も同感。
中学、高校時代に農業を営む祖父母と共に生活していたこともあり、食べ物を粗末
にするなと、米は最後の一粒まで感謝して残さず食べなさいと、随分躾けられたが、
本当に良い米は、それ自体に甘味があって、美味しくていくらでも食べられる。
が、職場の同僚や若い世代と食べものの話をしていると、意外にも、彼らの多くが、
そもそも“ご飯には味がない”という前提で話をしているのである。
「いやいや、美味しい米はとても甘くて、ご飯だけでも十分味わいがある。」との
私の意見は、なかなか同意を得ることができず、これは結構ショックな話である。
勿論、人それぞれ好みがあり、今では、そもそも自分はパン食派という人も多い。
ご飯も、モチモチしたものよりパサパサした食感のほうが好きという人もいる。
考えてみれば、お米も多種多様で、料理によって使い分けなければならない。
ま、そういう人生色々的な状況はある。
それはそれとして、でも、普通の日本人が、普通に美味しい日本の米というものを
実は知らないということになってきてはいないか…と、心配である。
日本の米のスタンダードが何なのか。
日本人が世界に誇れる米とは何なのか。
ひいては、日本人のアイデンティティって何だろう?
まあ、そんなことを考えさせられたひと時であった。
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今日は、一日。
ちょっと最近の心持をリセットした。
仕事や家族、アマオケ活動のことなど、気になること考えなければならないことを
一切合財をあえて忘れて、頭空っぽにして過ごすリラックスした日曜日にしたのだ。
で、夕食の片づけも終えてのんびりしていたので、なんとなくテレビを観た。
22時からのNHKのETV特集「地球の裏側で“コシヒカリ”が実る」は
「日本のおいしい米を、もっと世界に広める」ことを目指す田牧一郎さんが
地球の裏側のウルグアイで日本のお米“コシヒカリ”を生産するという話だ。
四半世紀に渡る米国カリフォルニア州でのコシヒカリ生産の経験を生かし、
美味しいコシヒカリを世界に広めるために、南米はウルグアイでの生産に
新たに挑戦していこうという、夢とロマン溢れる話にとても心が熱くなった。
もう四十半ばを過ぎて、第二の人生はどんな感じになるだろうか…などと
漠然と考えることもある今日この頃。
田牧さんのような、自分の世代よりも大先輩となる方々が、日本を背負って
パイオニアとして世界に打って出る、果敢に挑戦しているという姿に、
畏敬の念を抱くとともに、まだまだ何でもやれるという勇気をもらった。
ところで、仕事柄、この15年くらい、夕食はほとんど外食(1/3は飲み会?)だが、
定食の類でもお米があまり美味しいと感じることがない。
特に、サラリーマンのお父さん達には安くてお手軽でありがたい存在でもある
丼物やご飯ものを提供してくれるファーストフードのお店ででてくるようなご飯が、
これが意外に美味しくないなと感じることが多い。
今日の番組では、日本の美味しい米は世界一と誇りをもって活動展開している
田牧さんが、最近、特に心配していることが、我が国外食産業で提供されている
米(精米?)の水準が低下してきているのではないか?ということだそうだ。
このままでは、本当に美味しい米を理解できる日本人がいなくなってしまうのでは
ないかということも心配されていた。
私も同感。
中学、高校時代に農業を営む祖父母と共に生活していたこともあり、食べ物を粗末
にするなと、米は最後の一粒まで感謝して残さず食べなさいと、随分躾けられたが、
本当に良い米は、それ自体に甘味があって、美味しくていくらでも食べられる。
が、職場の同僚や若い世代と食べものの話をしていると、意外にも、彼らの多くが、
そもそも“ご飯には味がない”という前提で話をしているのである。
「いやいや、美味しい米はとても甘くて、ご飯だけでも十分味わいがある。」との
私の意見は、なかなか同意を得ることができず、これは結構ショックな話である。
勿論、人それぞれ好みがあり、今では、そもそも自分はパン食派という人も多い。
ご飯も、モチモチしたものよりパサパサした食感のほうが好きという人もいる。
考えてみれば、お米も多種多様で、料理によって使い分けなければならない。
ま、そういう人生色々的な状況はある。
それはそれとして、でも、普通の日本人が、普通に美味しい日本の米というものを
実は知らないということになってきてはいないか…と、心配である。
日本の米のスタンダードが何なのか。
日本人が世界に誇れる米とは何なのか。
ひいては、日本人のアイデンティティって何だろう?
まあ、そんなことを考えさせられたひと時であった。
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