小学生の時、
初めて買ってもらったカメラは
中古のオリンパス ペン EE。
ハーフサイズのフィルムカメラ。
フィルム代、現像・プリント代もかかるため
撮影枚数を節約しながら撮っていた。
高校の合格祝いに、
Canon A-1を買ってもらうまで大事に使い、
出番こそないが、いまも手元にある。
A-1を手にしたとき、
それはもう嬉しかった。
嬉しさ爆発だった。
レンズはタムロンの35-70㎜ 1本だけだったが、
当時はそれでも大満足だった。
高校で写真部に入り、
放課後は毎日、暗室に籠って
フィルム現像やらプリント作業に没頭した。
暗室に入ると、外の様子が分からないので、
気付くと夜9時にもなっていて、
顧問の先生から『いい加減、もう帰れ』と
呆れられるほど没頭した。
とにかく高校の写真部での思い出は、
楽しかったの一言。
ロクに勉強もせずに、
好きなことだけやっていたわけで、
そりゃ楽しくないはずがない。
小遣いも少ないので、
フィルム代を節約するため、
当時は“100フィート”と呼ばれる
長尺のモノクロフィルムを、
自分でパトローネに巻いて使い、
プリントも引き伸ばし機を使って、
自分で印画紙に現像していた。
フィルムの現像は、
“ミクロファイン”とか“D76(デー・ナナロク)”
といった現像液を使い、自分でやっていた。
現像液の温度が高かったり、低かったり、
もう何度も失敗しながら…。
フィルム現像で失敗すると、
真っ黒になったり、真っ白になったりして、
プリントでも調整できないと、
ホントにがっかりした。
だが、フィルム現像の失敗を嘆く以前に、
そもそも自分が納得するような
会心作が撮れたか、と問われれば、
全く撮ることはできなかった。
今はデジカメの時代になり、
撮った瞬間に画像が見られる。
失敗と成功がすぐにわかる。
いや、失敗か成功か、ではなく、
写っているか、いないかが確認できる。
撮った写真の、失敗と成功の判断は
また別の話ではないかと思うのです。
仮にイメージ通りに撮れたとしても、
そこに何の工夫や挑戦もない、
写真の仕上りを見ても
感動がない、印象に残らない写真。
今も多くは、そんな駄作ばかり。
未だにうまく撮れない、いい写真が撮れない、
と悩み続けています。
私はプロの写真家ではないので、
撮りたいと思う被写体に対して、
あーでもない、こーでもないと、
好きなだけ時間をかけて撮ることができる。
もちろん自由な時間にも限りはあるけれど。
だが、プロはそうはいかない。
仕事だから失敗は許されないし、
限られた時間の中で、
次々と求められる被写体を
追っていかなければならない。
失敗できないプレッシャーと
作品に期待されるクオリティーがあるから、
“楽しんで撮る”なんてことは到底できない。
プロの悩みは計り知れない。
(無論、そうでないプロもいると思うが)