サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

宮武 外骨!!

2009年07月01日 | つぶやき
今日のNHKの「ヒストリア」は宮武 外骨だった。
彼が、取り上げられたことがびっくりだった私。

というのも、私が知っている彼は反骨の人で、風刺や洒落で
明治から大正の言論界を引っ張っていた一人・・・というくらいの
認識だったからだ。

私が、昔読んだ本には彼が出版した「スコブル」という雑誌が
中心に取りあげられていたような気がする。
たぶん、その作者のお気に入りだったのだろう・・・・。

細かいことは覚えていないけれど、印象深い話は、彼が雑誌で
「次号で私の顔の写真を載せるよ!!」みたいなことを書いて、
次の号で、「魚拓ならぬ、顔拓を載せた!!」というエピソード。
その当時は、写真も高く、また出版技術と雑誌の金額から言って
難しい話だったらしいが、そんなことは、わかりきっているのに
やっちゃうお茶目さ。(笑)

彼の名前の「外骨」は本名だ。
もちろん、親はそんな名前は付けなかったが、亀四郎という名から
わざわざ10代に自分で亀は外が骨で中が肉・・・と言って、
名前を戸籍から変えてしまったのだ!!
こんな名前が通ったこと自体がびっくりだが・・・・。

明治の初め、まだ彼が20代初めから、どんどん言論界・出版の世界で頭角を
現して、不敬罪やらなんやらで、何度か刑務所にお世話になったことも
ある人だ。

官僚や財閥や政府のやり方を、非難するのだけど、これが洒落が効いていて
面白くて、当時としてはバカ売れの雑誌を発行していたらしい。

そんなことばかりしてたので、当然政府の監視下におかれるようになっていた
彼。
でも、この反骨な精神が大正デモクラシーや参政権運動へとつながっていく
一つの道なのだ。
この運動も、当時の時局に消えてはいったけれど、終戦後日本が
民主主義を早く取り入れられたのは、大正デモクラシーの残党が
いたからだ。

時局が変り、治安維持法が出来てから彼は、将来の日本の為に・・・と、
明治時代の古い新聞や雑誌を地方にまで出かけて収集したのだそうだ。
それも、保管場所がふるっている。
東京帝国大学。
権力の象徴みたいなところじゃん!!

でも、案外、戦争中に通っていた人に聞いても、外の世界より安全で
自由だったらしいから、いい隠れ蓑になっただろうし、
「歴史収集」と、名目を付ければ学問になっちゃうから、中の
先生にも気骨のある人がいたんだなぁ~~と、思う。

で、今は、彼の収集した資料が貴重な明治の思想の変遷を現しているのだそう。

歴史は、一日として無駄な日がない・・・・と、ちょっと思った私。

こんな特集が組まれるなんて、なんか本が出たのかな?