萩藩毛利家下屋敷の跡を右手に見て、赤坂方面へと道を進む。
間もなく、道は高くなって下にも通りが見え、陸橋になっていると気付く。
すると目の前に、木立とレンガの建物が見える乃木公園があった。
入り口からすぐ、レンガのアーチの向こうに桜が見える。
アーチをくぐれば、脇にレンガの厩、奥に旧乃木邸があった。
乃木希典は、明治の軍人である。
だが、その生き方を見ると、乃木大将は侍というのが相応しく思う。
艱難と忍耐の人生であった。
軍旗を失い、子を失い、部下を失い、自責に耐えて人のために尽くす。
最期は、明治天皇の大喪儀で弔砲と梵鐘の鳴る中、妻と共に殉死した。
アーチから覗いた桜は、棗の隣にある。
旅順の壮絶な戦場の一角に、その棗の親木はあった。
旧乃木邸は窓から中が見え、写真や遺品、自害の部屋も見える。
ぐるりと回って庭に出ると、一角に瘞血之處があった。
庭から脇への出入り口を抜けると、乃木神社がある。
逆境の中で厳格に生きた乃木大将は、痛みを知るゆえに憐憫仁慈の人でもあった。
苦悩深き大将を支え、添い遂げた妻もまた仁慈の人である。
乃木大将と妻の情けを、世の人々が返す形となったのがこの神社だ。
今、乃木邸や社殿に寄り添う桜が咲いている。
参考:港区 旧乃木邸/乃木神社由緒・御祭神事績/国立古文書館アジア歴史資料センター
桜は、じっと耐えて時を待ち、伸びやかに微笑む様に思える。
そして、今を生きる人々と、喜びを共にする。