
志津川から、気仙沼方面への道を進み、歌津を回った。
かつて、そこにある及新さんで うに味噌を買い、朝日堂で焼き菓子を買った。
あの時、飾らぬあったかさで迎え、送り出してくれたあの店は、どうなっているのかと、震災直後からずっと気がかりだった。
かつて寄った時は、すでに日が暮れて夜道だった。
夜道であったことと、道の両側に建物が並んでいて気がつかなかったが、ここは結構、海に近かったのだと実感する。
曲がりくねった道沿いに、並んでいたはずの店も家も、何も無い。
2002年に現れた珍客の、めんこいアザラシに「うたちゃん」と名付け、さらに汐見橋をも名前を変えて「うたちゃん橋」としたあの橋が、車窓から見えた。
この橋だけが、しっかりと残っている様は、寂しいけれど力強さもある。
この伊里前地区は、元禄の頃からの宿場町と言われていた。長い歴史を共にし、この辺りの人々のつながりは深いようだ。
歌津では、昭和30年から町民の生活改善を目指す協議会が発足しており、昭和50年に「すばらしい歌津をつくる協議会」となって活動を展開している。
被災した今も、この協議会によって『一燈』という会報が発行され、新たな町づくりを考えたり、町民が集まって思いを共有できる場をつくったりしている様子が記されていた。
素晴らしい、その名の通り素晴らしい。
かつての町はもう無いが、歌津の人々の温かさはそのままだった。
晴れた青空の下に、曲がりくねった道が続く。
その道は、明るさを自ら引き寄せる人々の、明日へと繋がっているように思った。