久しぶりに経済の話題です
私とは意見が違う部分もありますが、藤井聡先生、良いこと言いますね
藤井先生の消費税減税、私は大いに賛成します
政府統計で明らかになった日本経済の地獄絵図。今こそ「消費減税」を! [2022 3 28放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ)
藤井先生が熱心に推進している現代貨幣理論(MMT)的に言うと、減税とおなじく、財政拡大もGDPを底上げする行為に他なりません
なのでMMTを推進する方はつねに、「減税も必要だが財政拡大も必要」、と主張します
しかし私は、彼らの意図を理解しつつも、「財政拡大には知恵が必要」といつも繰り返して主張しています
もし「現代貨幣理論」とスマイルズの「自助論」のどちらが学ぶべき価値があるか?
もしくは「現代貨幣理論」とマックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のどちらを学べばいいのか?
どちらか選ばなくてはならないとしたら、私は躊躇なく後者を選びます
なぜなら、経済発展に本当に必要なもの、それは「お金を刷ること」ではなくて、「国民の倫理観と自助努力の精神」だからです
私がよく引き合いに出す三橋貴明さんは、ニューディール政策によってアメリカは恐慌を脱した、ということを主張しています
しかし私はそれを否定する立場です
「自助論」というのは、イギリスの産業革命の時代に、イギリスでベストセラーになった本で
日本でも中村正直氏が翻訳してベストセラーになりました
この本、私も車に携行して持っています
この本は、立身出世の物語が事例として沢山紹介されている、いわば体験談が集められた本です
なので、経済学の本というわけではなく、自己啓発のための本になります
かたや、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、ドイツの政治・経済・社会学者、マックスウェーバーが
近代資本主義発達の背景にある宗教的倫理観と資本主義的精神について考察した本です
スマイルズの「自助論」の発刊が1859年、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の発刊が1864年
二つの本は、ほぼ同時期に出版されています
この二つの書籍には共通点があるのですが、それはおなじ「プロテスタント(新教)の国」を題材にしている、という点です
ヨーロッパ各国のカトリック(旧教)を主な宗教とする国では、最初はほとんど資本主義が発達することはありませんでした
カトリックでは、お金を稼ぐことは罪であるとされ、その罪をあらがうために教会に寄付をすることで、魂が天国に召される
基本そのようなお金についての考え方であり、教会が発行する「免罪符」は、悪い言い方をすれば教会のお金集めのためでもあり
人びとが、「お金を稼いだ罪悪感・罪の意識」から、逃れるための方便に近いものでもありました
方やプロテスタントでは、見せかけだけの信仰によって、地主などのお金持ちが教会から「免罪符というお墨付き」を貰うことに対し
「純粋な信仰への冒涜だ」、として抗議(プロテスト)行動が起こったわけです
ですからプロテスタントの信仰は、「神への信仰は寄付の多寡によるのではなく、その生活の中に信仰生活があるかどうかにかかっている」
そういう考え方が中心でした
その中でも「カルバン派?(うろ覚えですみません)」と言われる宗派は、お金について、このような立場を取ります
「自らのためにお金を使うのではなく、節約をしてお金をため、それを投資して事業を起こし、多くの人の役に立つことは宗教的な善である」
このような考え方を打ち出しました。こういう考え方を「世俗内禁欲」といいます
イギリスやアメリカと言った、まあイギリスは現在、「イギリス国教会」という独自な宗教ではありますが
プロテスタント中心の国では
この考え方をもって、自分が禁欲に努めながら勤勉に働いて資本金をため、それを投資して起業する人が沢山出てきました
これが近代資本主義の出発点となっている、これを発見したのがマックスウェーバーだったわけです
そして、勤勉を美徳とし、多くの人の役に立つために努力した人の成功話を体験談として収録しているのが、自助論だったのです
この考え方は日本の二宮尊徳の「積小為大」という考え方と非常に共通するものがあります
贅沢を慎み、倹約して小さなお金をため、それを投資して大きな事業として育てる、そして多くの人々のお役にたつ
こういう考え方が一致しています
もしかしたら、この考え方に納得がいかない人もいるかもしれませんが
ピーター・ドラッカーという方の本を丁寧に熟読した方は、その考え方の中に「組織を大きくするためのヒント」があることに気が付くでしょう
ドラッカー、「5つの質問」というのがあります
その中で一番重要とされているのが「私たちの使命は何か?」という質問です
会社でも非営利法人でも、すべての社員、職員がその質問に答えられるようになったら、その組織は発展する、とドラッカーは教えています
「会社の使命」や「非営利法人の使命」が、個人の利益のためであったり、特定の組織に利益をもたらすためであったりした場合
その会社や組織は大きくならないのです。なぜでしょうか?
それは、個人のお金儲けが使命であったり目的であったりした場合
多くの人の賛同をえることも、多くの人の知恵や協力を借りることも、できないからです
ナポレオンヒルが教えていることに「マスターマインド」という言葉がありますが
まあ、私なりの解釈ですが、マスターマインドとは「叡智の結集」という意味であろうと思います
つまり、多くの人の賛同を得るような事業であり目標であり使命であればこそ
それを協力者にしっかり伝えることができ、協力者がきちんと理解すれば、多くの叡智を集めることができ
自分から進んで協力をしてくれる人が現れる、というわけです
カトリックの国にも大勢のお金持ち、資本家はいたわけですが
彼らの多くが土地持ちの地主であり領主であり、その土地で小作に耕作などをさせて稼いでいたわけです
しかし、カトリックの国では産業革命はおきませんでした。。。なぜなのでしょうか?
それはおそらく、領主個人の所得のために行われる事業では、「叡智の結集」が行われないからだろうと私は思います
だから、産業革命のような新しい知恵は、カトリックの国では生まれてきませんでした
「個人の欲望を満たすだけが目的の投資では、産業も社会も発展しない」、ということです
つまりですね、私が何を言いたいのか、結論を申し上げますと
経済を発展させるために必要な要素は主に二つ
一つは「勤勉を美徳と考える」という精神的風土が国に必要だということ
もう一つは、「他の人のお役に立つことが善である」という、宗教的「与える愛」の倫理観が必要だということ
この二つの要素が必要なのだと思っています
これから徐々に、「なぜ今、日本は経済発展しないのか?」ということについても、語っていこうと思っていますが
その中に、現代の日本人がエゴイストになっていること、そういうことも含めて、今後は論を展開しようと思っています
私とは意見が違う部分もありますが、藤井聡先生、良いこと言いますね
藤井先生の消費税減税、私は大いに賛成します
政府統計で明らかになった日本経済の地獄絵図。今こそ「消費減税」を! [2022 3 28放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジオ)
藤井先生が熱心に推進している現代貨幣理論(MMT)的に言うと、減税とおなじく、財政拡大もGDPを底上げする行為に他なりません
なのでMMTを推進する方はつねに、「減税も必要だが財政拡大も必要」、と主張します
しかし私は、彼らの意図を理解しつつも、「財政拡大には知恵が必要」といつも繰り返して主張しています
もし「現代貨幣理論」とスマイルズの「自助論」のどちらが学ぶべき価値があるか?
もしくは「現代貨幣理論」とマックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のどちらを学べばいいのか?
どちらか選ばなくてはならないとしたら、私は躊躇なく後者を選びます
なぜなら、経済発展に本当に必要なもの、それは「お金を刷ること」ではなくて、「国民の倫理観と自助努力の精神」だからです
私がよく引き合いに出す三橋貴明さんは、ニューディール政策によってアメリカは恐慌を脱した、ということを主張しています
しかし私はそれを否定する立場です
「自助論」というのは、イギリスの産業革命の時代に、イギリスでベストセラーになった本で
日本でも中村正直氏が翻訳してベストセラーになりました
この本、私も車に携行して持っています
この本は、立身出世の物語が事例として沢山紹介されている、いわば体験談が集められた本です
なので、経済学の本というわけではなく、自己啓発のための本になります
かたや、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、ドイツの政治・経済・社会学者、マックスウェーバーが
近代資本主義発達の背景にある宗教的倫理観と資本主義的精神について考察した本です
スマイルズの「自助論」の発刊が1859年、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の発刊が1864年
二つの本は、ほぼ同時期に出版されています
この二つの書籍には共通点があるのですが、それはおなじ「プロテスタント(新教)の国」を題材にしている、という点です
ヨーロッパ各国のカトリック(旧教)を主な宗教とする国では、最初はほとんど資本主義が発達することはありませんでした
カトリックでは、お金を稼ぐことは罪であるとされ、その罪をあらがうために教会に寄付をすることで、魂が天国に召される
基本そのようなお金についての考え方であり、教会が発行する「免罪符」は、悪い言い方をすれば教会のお金集めのためでもあり
人びとが、「お金を稼いだ罪悪感・罪の意識」から、逃れるための方便に近いものでもありました
方やプロテスタントでは、見せかけだけの信仰によって、地主などのお金持ちが教会から「免罪符というお墨付き」を貰うことに対し
「純粋な信仰への冒涜だ」、として抗議(プロテスト)行動が起こったわけです
ですからプロテスタントの信仰は、「神への信仰は寄付の多寡によるのではなく、その生活の中に信仰生活があるかどうかにかかっている」
そういう考え方が中心でした
その中でも「カルバン派?(うろ覚えですみません)」と言われる宗派は、お金について、このような立場を取ります
「自らのためにお金を使うのではなく、節約をしてお金をため、それを投資して事業を起こし、多くの人の役に立つことは宗教的な善である」
このような考え方を打ち出しました。こういう考え方を「世俗内禁欲」といいます
イギリスやアメリカと言った、まあイギリスは現在、「イギリス国教会」という独自な宗教ではありますが
プロテスタント中心の国では
この考え方をもって、自分が禁欲に努めながら勤勉に働いて資本金をため、それを投資して起業する人が沢山出てきました
これが近代資本主義の出発点となっている、これを発見したのがマックスウェーバーだったわけです
そして、勤勉を美徳とし、多くの人の役に立つために努力した人の成功話を体験談として収録しているのが、自助論だったのです
この考え方は日本の二宮尊徳の「積小為大」という考え方と非常に共通するものがあります
贅沢を慎み、倹約して小さなお金をため、それを投資して大きな事業として育てる、そして多くの人々のお役にたつ
こういう考え方が一致しています
もしかしたら、この考え方に納得がいかない人もいるかもしれませんが
ピーター・ドラッカーという方の本を丁寧に熟読した方は、その考え方の中に「組織を大きくするためのヒント」があることに気が付くでしょう
ドラッカー、「5つの質問」というのがあります
その中で一番重要とされているのが「私たちの使命は何か?」という質問です
会社でも非営利法人でも、すべての社員、職員がその質問に答えられるようになったら、その組織は発展する、とドラッカーは教えています
「会社の使命」や「非営利法人の使命」が、個人の利益のためであったり、特定の組織に利益をもたらすためであったりした場合
その会社や組織は大きくならないのです。なぜでしょうか?
それは、個人のお金儲けが使命であったり目的であったりした場合
多くの人の賛同をえることも、多くの人の知恵や協力を借りることも、できないからです
ナポレオンヒルが教えていることに「マスターマインド」という言葉がありますが
まあ、私なりの解釈ですが、マスターマインドとは「叡智の結集」という意味であろうと思います
つまり、多くの人の賛同を得るような事業であり目標であり使命であればこそ
それを協力者にしっかり伝えることができ、協力者がきちんと理解すれば、多くの叡智を集めることができ
自分から進んで協力をしてくれる人が現れる、というわけです
カトリックの国にも大勢のお金持ち、資本家はいたわけですが
彼らの多くが土地持ちの地主であり領主であり、その土地で小作に耕作などをさせて稼いでいたわけです
しかし、カトリックの国では産業革命はおきませんでした。。。なぜなのでしょうか?
それはおそらく、領主個人の所得のために行われる事業では、「叡智の結集」が行われないからだろうと私は思います
だから、産業革命のような新しい知恵は、カトリックの国では生まれてきませんでした
「個人の欲望を満たすだけが目的の投資では、産業も社会も発展しない」、ということです
つまりですね、私が何を言いたいのか、結論を申し上げますと
経済を発展させるために必要な要素は主に二つ
一つは「勤勉を美徳と考える」という精神的風土が国に必要だということ
もう一つは、「他の人のお役に立つことが善である」という、宗教的「与える愛」の倫理観が必要だということ
この二つの要素が必要なのだと思っています
これから徐々に、「なぜ今、日本は経済発展しないのか?」ということについても、語っていこうと思っていますが
その中に、現代の日本人がエゴイストになっていること、そういうことも含めて、今後は論を展開しようと思っています