バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

前を向いて歩む

2012-02-25 05:12:03 | やっぱりミニバス!
平成24年2月25日 土曜日
 
「前を向いて歩む」


これは私が、自分自身に語りかけていることです。

そもそも、迷うのは、行ける道がいくつもあるからでしょう。

どの道を選ぶのか、分岐点があるから迷う…

最初から一本の道ならば迷うことはないですが、

しかしこれは、厳しい生き方ですね。

迷うことは、戸惑うことです。

人は躊躇するものです。

リスクをできるだけ、少なくしたいから、そんな道を探るのです。

生きるための当然の選択でしょう。

生きる上でのリスクとは何でしょうか?

失うものを少なくしたいからでしょう。

失うものを考えて行動するということは、

何かを手にするために、全力で行動することはできないでしょう。

歳を重ねると失いたくない、守りたい大切なものができます。

ですから、若いときのように、全力で一途に駆けるように行動することはできません。

だから、一歩一歩を踏みしめて行動するようになっていくのでしょう。

それでも進む道は一本のはずです。

夢を目標にして、それを手につかむために、

歩み始めたときから歳を重ねて…

一歩一歩踏みしめて歩むようになってからも、

その道は一本のはずです。

その先は、歩み続けることでわかるのでしょう。

先のことは予想はできます。

しかし、はっきりとは、わからないでしょう。

その道を選んで正しかったのか、誤りだったのか?

…という問いかけは、空しい問いかけだと思います。

正しいと判断し、その道を行くことを選んだのですから…

あの時、別の道を選ぶべきだったと振り返ることは、

虚しいだけで、その道を選び、その道を歩み始めたからには、

挫折することがあっても、その道を選んだときの初心に立ち戻り、

そのときの熱い想いを心に置くことでしょう。

分岐点に立っていると思うのは、自分自身です。

そこが分岐点だと思うのは…

自分が達成したい事が、いくら歩み続けても、見えて来ないときか…

身体的に歩み続けることが困難になったときだと思います。

身体的に歩み続けることが困難になったときは、絶望の想いに深く沈むのだと思います。

本人以外、その辛い想いをわかることはできません。

それでも時間をかけてでも新たに歩む道を、選んでいきたいと思います。

さて、身体的に歩み続けることが困難にならずに、

もう無理!…とあきらめて別の道を選ぶのは本人の自由ですが、

もう無理!とあきらめる、その心を簡単に受け入れるか、否かは、

自分の初心の心と、今の心との葛藤なのでしょう。

答はありません。

ただ、どんな答であれ後戻りすることは出来ません。

前に進むしかありません。

自分が行くと、決断したから…

その道を歩み始める、一歩を踏み出したのですから、

その途中で、迷うことがあったとしても、決断した自分を信じて進むことです。

自分自身を信じることができる、己れであるべきなのでしょう。

前を向いて歩み続けることです。

下山しなければならないアクシデントがない限りは…

しかし、下山するという選択もひとつの決断には違いありません。

下山するということを後戻りするとは考えずに…

それも前に向かって歩いていることだと思います。

ですから、歩み出した時点で正解だと思った道を歩み続けるのです。

とにかく、途中で休んでもいいし…

精神的に落ち込むことがあってもいいと思いますが、

一歩一歩、その道を歩んでいければいいのでしょう。

登るにしろ、下山するにしろ、後ろを振り返らずに、前を向いて歩いていくことです。


これは私が、自分自身に語りかけていることです。

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