バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

子供達は成長しています…考えてプレーしています。

2011-12-15 05:13:17 | やっぱりミニバス!
平成23年12月15日 木曜日
 
「子供達は成長しています…考えてプレーしています。」


私はミニバスの指導では、何故、そのプレーなのか…

何故、そうしなければならないのかについて語るときは、

必ず試合のシチュエーションをイメージさせて語るように心掛けています。

プレーヤーとしての子供達の立場に、自分を置いて語ります。

そうすれば、語りながらも違うプレーが創造されるときがあります。

その時には、創造される前のプレーには固執することはないようにしています。

それに固執すると無理に納得しなくてはならない、筋のとおらない、

言い訳的な説明になっているからです。

それでは子供達は理解できないし、納得できないのです。

子供達はやがて、指導者であるコーチへの信頼感を無くしていくでしょう。

特に五年生以上の上級生になれば、なおさらのことです。

彼らは、それまでに教えられたことを自ら考え、自分達が行うプレーをやろうとします。

そんな子供達に、コーチである私は、逆に子供達から教えられるのです。

先日の練習で、トップオブキーにいた子供がフォワードにパスをさばきました。

そのプレーのあと、彼は、そこにステイしているのです。

パス&ランでカットインするでもなく、

スクリーンプレーをするでもなく、

スペースィングのために動くこともなく…

私は、すかさずフリーズさせて、その子供のところに駆け寄って怒鳴りつけようと思いました。

駆けよりながら、私自身、気付いたのです。

もしかして、「セーフティー?」

彼に、それを言葉にして聞きました。

「何故、パスランしなかった? セーフティーか?」と…

彼は力強く確信を持ってうなずきました。

彼は自分で考え判断してプレーをしていたのです。

私は彼を誉め、自分が鬼の形相で駆け寄ったことを謝りました。

「そっかぁ…セーフティーはOKだよ、

自分が次にやるべきことを理解してることは正解!ゴメン!

コーチが気が付かなかった」

本来ならば、スペースィングを連続させながら、

セーフティーの役割のプレーヤーは変わっていくのですが…

そのときは、その子供を誉めました。

なぜなら、セーフティーの必要性を意識してプレーしていたからです。

だから誉めました。

次を考えないでプレーしているときは、

その子供だけでなく、同じオンコートでプレーしている子供達全員を叱り付けます。

ひとりが意識していないのは、そのひとりが集中していないことだからです…が、

意識をさせないチームメイトにも責任はあるのです。

責任とは、英語で、レスポンスビィリティと言います。

「応答すること」です。

そのためには、オンコートの五人が、声を出して応答し合うことがプレーヤーたる子供達の責任なのです。

子供達がそのプレーのどこに注意し、

何を意識しなくてはいけないのか、

今のコーチィングでは、それを主題にし…

しつこいほどに強調して語っています。

当然、プレーは連続した流れの中で、状況は絶えず変わっています。

その状況に応じた正解はひとつだけとは限りませんが…

そのひとつにとらわれているようなプレーについては、

私はそのプレーをとめて、子供達に聞いて確認し、

子供達とコミュニケーションを取りながら指導するように意識しています。

この指導方法が正しいものだと言っているわけではありません。

当然、最初は教え込むところから始めます。問答無用です。

それは、そのようにしなければならない基本の教えだからです。

そして、子供達は成長し自分達で意識して考えてプレーするようになってきたときに…

コーチは子供達をプレーヤーとして認めた上で指導するべきだと思っています。

それが私の指導理念なのです。

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