平成23年12月15日 木曜日
「子供達は成長しています…考えてプレーしています。」
私はミニバスの指導では、何故、そのプレーなのか…
何故、そうしなければならないのかについて語るときは、
必ず試合のシチュエーションをイメージさせて語るように心掛けています。
プレーヤーとしての子供達の立場に、自分を置いて語ります。
そうすれば、語りながらも違うプレーが創造されるときがあります。
その時には、創造される前のプレーには固執することはないようにしています。
それに固執すると無理に納得しなくてはならない、筋のとおらない、
言い訳的な説明になっているからです。
それでは子供達は理解できないし、納得できないのです。
子供達はやがて、指導者であるコーチへの信頼感を無くしていくでしょう。
特に五年生以上の上級生になれば、なおさらのことです。
彼らは、それまでに教えられたことを自ら考え、自分達が行うプレーをやろうとします。
そんな子供達に、コーチである私は、逆に子供達から教えられるのです。
先日の練習で、トップオブキーにいた子供がフォワードにパスをさばきました。
そのプレーのあと、彼は、そこにステイしているのです。
パス&ランでカットインするでもなく、
スクリーンプレーをするでもなく、
スペースィングのために動くこともなく…
私は、すかさずフリーズさせて、その子供のところに駆け寄って怒鳴りつけようと思いました。
駆けよりながら、私自身、気付いたのです。
もしかして、「セーフティー?」
彼に、それを言葉にして聞きました。
「何故、パスランしなかった? セーフティーか?」と…
彼は力強く確信を持ってうなずきました。
彼は自分で考え判断してプレーをしていたのです。
私は彼を誉め、自分が鬼の形相で駆け寄ったことを謝りました。
「そっかぁ…セーフティーはOKだよ、
自分が次にやるべきことを理解してることは正解!ゴメン!
コーチが気が付かなかった」
本来ならば、スペースィングを連続させながら、
セーフティーの役割のプレーヤーは変わっていくのですが…
そのときは、その子供を誉めました。
なぜなら、セーフティーの必要性を意識してプレーしていたからです。
だから誉めました。
次を考えないでプレーしているときは、
その子供だけでなく、同じオンコートでプレーしている子供達全員を叱り付けます。
ひとりが意識していないのは、そのひとりが集中していないことだからです…が、
意識をさせないチームメイトにも責任はあるのです。
責任とは、英語で、レスポンスビィリティと言います。
「応答すること」です。
そのためには、オンコートの五人が、声を出して応答し合うことがプレーヤーたる子供達の責任なのです。
子供達がそのプレーのどこに注意し、
何を意識しなくてはいけないのか、
今のコーチィングでは、それを主題にし…
しつこいほどに強調して語っています。
当然、プレーは連続した流れの中で、状況は絶えず変わっています。
その状況に応じた正解はひとつだけとは限りませんが…
そのひとつにとらわれているようなプレーについては、
私はそのプレーをとめて、子供達に聞いて確認し、
子供達とコミュニケーションを取りながら指導するように意識しています。
この指導方法が正しいものだと言っているわけではありません。
当然、最初は教え込むところから始めます。問答無用です。
それは、そのようにしなければならない基本の教えだからです。
そして、子供達は成長し自分達で意識して考えてプレーするようになってきたときに…
コーチは子供達をプレーヤーとして認めた上で指導するべきだと思っています。
それが私の指導理念なのです。
「子供達は成長しています…考えてプレーしています。」
私はミニバスの指導では、何故、そのプレーなのか…
何故、そうしなければならないのかについて語るときは、
必ず試合のシチュエーションをイメージさせて語るように心掛けています。
プレーヤーとしての子供達の立場に、自分を置いて語ります。
そうすれば、語りながらも違うプレーが創造されるときがあります。
その時には、創造される前のプレーには固執することはないようにしています。
それに固執すると無理に納得しなくてはならない、筋のとおらない、
言い訳的な説明になっているからです。
それでは子供達は理解できないし、納得できないのです。
子供達はやがて、指導者であるコーチへの信頼感を無くしていくでしょう。
特に五年生以上の上級生になれば、なおさらのことです。
彼らは、それまでに教えられたことを自ら考え、自分達が行うプレーをやろうとします。
そんな子供達に、コーチである私は、逆に子供達から教えられるのです。
先日の練習で、トップオブキーにいた子供がフォワードにパスをさばきました。
そのプレーのあと、彼は、そこにステイしているのです。
パス&ランでカットインするでもなく、
スクリーンプレーをするでもなく、
スペースィングのために動くこともなく…
私は、すかさずフリーズさせて、その子供のところに駆け寄って怒鳴りつけようと思いました。
駆けよりながら、私自身、気付いたのです。
もしかして、「セーフティー?」
彼に、それを言葉にして聞きました。
「何故、パスランしなかった? セーフティーか?」と…
彼は力強く確信を持ってうなずきました。
彼は自分で考え判断してプレーをしていたのです。
私は彼を誉め、自分が鬼の形相で駆け寄ったことを謝りました。
「そっかぁ…セーフティーはOKだよ、
自分が次にやるべきことを理解してることは正解!ゴメン!
コーチが気が付かなかった」
本来ならば、スペースィングを連続させながら、
セーフティーの役割のプレーヤーは変わっていくのですが…
そのときは、その子供を誉めました。
なぜなら、セーフティーの必要性を意識してプレーしていたからです。
だから誉めました。
次を考えないでプレーしているときは、
その子供だけでなく、同じオンコートでプレーしている子供達全員を叱り付けます。
ひとりが意識していないのは、そのひとりが集中していないことだからです…が、
意識をさせないチームメイトにも責任はあるのです。
責任とは、英語で、レスポンスビィリティと言います。
「応答すること」です。
そのためには、オンコートの五人が、声を出して応答し合うことがプレーヤーたる子供達の責任なのです。
子供達がそのプレーのどこに注意し、
何を意識しなくてはいけないのか、
今のコーチィングでは、それを主題にし…
しつこいほどに強調して語っています。
当然、プレーは連続した流れの中で、状況は絶えず変わっています。
その状況に応じた正解はひとつだけとは限りませんが…
そのひとつにとらわれているようなプレーについては、
私はそのプレーをとめて、子供達に聞いて確認し、
子供達とコミュニケーションを取りながら指導するように意識しています。
この指導方法が正しいものだと言っているわけではありません。
当然、最初は教え込むところから始めます。問答無用です。
それは、そのようにしなければならない基本の教えだからです。
そして、子供達は成長し自分達で意識して考えてプレーするようになってきたときに…
コーチは子供達をプレーヤーとして認めた上で指導するべきだと思っています。
それが私の指導理念なのです。