バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

素直な心…余地、平常心、柳に風

2012-01-14 00:03:37 | やっぱりミニバス!
平成24年1月14日 土曜日
 
「素直な心…余地、平常心、柳に風」


素直な心というものは、どのような物事に対しても…

それを受け入れて、焦らず、あわてず、平静に、冷静に対処していくことのできる心です。

しかし最初からそのような心である人などいないのは明らかです。

そのような心は、経験し失敗して学んでいくものだと思います。

そういう心であろうとして学ぶのではなく…

経験と失敗によって、そういう心に練り上げられていくのでしょう。

心が素直でない時には、心は感情で動いているのでしょう。

我を忘れて、思わぬ失敗を招くのです。

そして、反省します。

私の場合、この歳になっても、その繰り返しです。

学びながら、また繰り返すというのは呆れた自分です。

素直な心で物事をありのままに受け入れる…

まず今の私では困難でしょう。

理想であることに間違いはありませんが、

そうありたいと思えるだけで大したものだと思います。

世の中、そうありたいと思うことさえない人もいるから、

相手の痛みがわからない人達が、大勢に流れる弱い心でイジメに走るのだと思います。

相手の心の痛みを、自分の痛みとして感じる素直な心はどうすれば育まれるのでしょうか?

その心を子供達の心に育むとするならば…

その責任は、素直な心とはどのような心かを知っている大人にあると思います。

素直な心である人は、自分がそのような心であることを自覚はしていないと思います。

素直な心でなくとも、その心がどのような心か知っていれば…

子供達の心を育むことはできると思います。

子供達の心は、純真無垢であると同時に、悪魔の心になる種も秘めていると思います。

悪魔の心が芽を出す前に、もしくは芽を出した時に…

烈火のごとく叱り、そして落ち着いて語り掛けることでしょう。

何事もなかったように、丸く収めようとする大人が多すぎるのです。

ただ、モンスターなんとかという大人もいるのも確かです。

こういう大人を相手にする人達は心労が重なります。

モンスターなんとかという大人と真剣に対応していたら、

こちらの心が持たないでしょう。

そんな時も、素直な心で聴くだけの余地を持ち…

素直な心で応え、それでも相手がギャーギャー言うなら…

『私は、担当しているすべての子供達を教え育てている者です。

それ以上でも、それ以下でもありません。

ご自分のお子さんのことで教え育てたいならば、

親としての責任でそのようにして下さい。

失礼します。』

…と言うのは心に余地をもった、ある意味、ケツをまくった対応でもいいのではないでしょうか。

しかし、これも当事者の先生などにしたら極めて厳しいことです。


素直な心の筋を知ることができれば、自ずと冷静に考えることができるのでしょう。

それでも悪い事があった時には、

感情が揺れてしまうことはしかたがないでしょう。

それが人間ですから…

その際に、まず落ち着こう、そして幸せになるという感情を大切にするように心がけることで、

感情をある程度コントロールできるようになれたらいいのではないでしょうか。

また悪い事があって気分が悪くなると、

ついイヤな事を思い出したり、物事を悪く考えたりしがちです。

そういう場合には、「気分のせい/気分を変えよう」という余地をもって考えられるといいでしょう。

素直な心を養うためには、余地という考え方だけではなく…

素直な心になることを忘れないための工夫をこらすことも必要だと思います。

一時の悪感情に流されて行動してしまうと、後悔することになりがちです。

平常心・動じない強さを身につけていけたらいいのでしょう。

…と言っても、完璧な平常心やすごく強い心を養うことはなかなかできないでしょう。

“柳に風”流のしなやかな強さを身につけることができたらいいのではないでしょうか。