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hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

日本の司法界が、如何に変なのか?東名高速事件から!

2017-11-01 13:37:43 | 日記
 法曹界に、未必の故意という言葉は存在していますが実際に、故意犯として裁かれるケースは皆無と言っても過言ではない。

 世間で言われる、法令遵守も名ばかりで、権力の側に在る者が都合の良い時にだけ遵守している現状です。

 判決が簡単であったり、白黒が容易に出てしまうのは司法の側の人間には得策ではない。 一審で結審してしまう裁判ばかりなら、彼らの仕事は減ってしまうのです。 出来るだけ控訴や上訴の案件が多いのがベターな訳です。

 今回の、この事件でも本来は、刑事事件です。 この事件を過失とか、危険とかと名付けてしか争えないという判断で、裁判しようとしていますが逆に、無理があると言えます。 誰にも、今回の事故を発生させ死亡事故に至ることが予測できる状況を作っておいて、未必の故意を適用出来ないなんて逆に変ではないですか?

 過去の判例でも多くの似たような事件が沢山ありましたが、未必の故意をもって判決が下ったという話を具体的に聞いたことがありません。

 政治も、司法も自分達の都合の良い村社会を作って、権益を毟っているというのが現実です。 すべてを複雑にし、見え難くして私利私欲を貪る政財界です。 国家の予算にも、この複雑性が影響して見積もりは水膨れ状態です。

 世の中を簡素化すれば、予算は三分の一を削れます。 出される法案が、通れば通るほど余分な予算が上積みされるのです。

 何故、厳しい対応が出来ないのか? 司法の世界が腐ってしまっているからです。

宇宙の起源を考える時!

2017-11-01 02:52:39 | 日記
科学とか、哲学に繋がる思考の問題ですが、私は2つの事に拘りを持ちます。 一つは、人間が他の生き物とは違う存在なのかということ❗

もう一つは数を考えた時と言葉を考えた時に、発祥する問題です。現在、人間が考えている世界の根底にある理論の基となっているのは、数だと思いますが、違いますか?

最初に上げた人間の存在が他の生き物と、同じ存在なのか?については、現在の科学では他の生き物と同じで、存在する生き物の一つの種類に過ぎないと考えられています。

この考え方の基礎には数があるということを、ご存知ですか? こういった思考の根拠となっているのが数なんです。

誰もが、この数の論理に慣れ切ってしまっていて、疑問に感じませんが私には不思議でなりません。

宇宙の起源を考える時もそうです。 ゼロから始まり1,2,3,4と進んで行くと考えるのは、前提に数が在るからではないですか?

宇宙がビッグバーンから始まり拡大し
膨張しつつあると考えるのもゼロから始まると考えるからでしょう!

もし数が無かったなら、この考えは無かったのではないのでは? 歴史に始まりが在ると考えるのも、数が在るからでしょう!

数が無ければ、始めも無く終りも無いのではないですか? つまり時の流れも、この数の論理の方向に進んでは、いないのではないのでは?

ゼロ年があり100年。1000年という方向に進んで行くと考えるのも数が基に在るからではないですか?

この考えは、宇宙がビッグバーンから始まると考えて膨張すると考えるのと同じ前提にあります。

数を考え無かったら始めも無くて終りも無いのでは? 人間が数を産み出して言葉を作り出した結果、このゼロから進むと考えることになったのです。

本当は、始めも無くて終りも無い。 宇宙の起源も無くて膨張もしていない。 数と言葉が生まれて、人間の苦悩が始まりました。

数と言葉は人間にとって便利を与えてくれましたが、この便利の為に、大きな苦悩を抱えることになったのです。 この考えが悪いと言っている訳ではありません。

この考えを基にして、人間の幸せを違った理論の構築を考えられないのかと想うのです。

歴史がゼロからら1,2,3と進むのではなく、宇宙も始めがゼロではなかったと考えることは無理でしょうか?

人間の存在も、他の生き物と同じではなく全く違う特異な存在であって、始めが無く進化も無かったとは考えられませんか?

進化すると考えるのも始めがあり、一つの方向に進むと考えるから生まれる理論ですよね!

今夜は、思考の遊戯をしてみました。 数に囚われて苦悩する人間の哀れな性から開放されるのも悪くないですよ!