小沢映子 わたしが伝えていきたいこと

「愛する富士市を、愛せる富士市に」 静岡県富士市議会議員 小沢映子ブログ

巨星堕つ!石丸さん

2008年09月11日 21時54分08秒 | Weblog
  石丸さんへ
石丸さんを失った深い悲しみに、途方にくれています。
石丸さんは本当に偉大でした。
 私たち障害児をもつ親や障害当事者の活動に深く理解してくださって、遠く埼玉まで出かけていって自分の眼で確かめて勉強してきて下さったり、いくつもの問題を行政に投げかけてくださったり。なんと石丸さんの質問する姿の頼もしくも、りりしかったことか。
 私が、石丸さんの後を受けて市議会議員選挙に出馬することになるなんて夢にも思いませんでした。
「そんな重い障害の子を持っているのに議員の仕事なんかできるの。」「障害者のことばっかりやるんじゃないの。」そんな周囲の声にも、きっぱりと、大丈夫と言い切って、支えてくださいました。数え切れないほど多くの素晴らしい方に引き合わせてくださり、いつも どんなときにも どんな相談にも親身にのってくださいました。
 何度石丸さんのお宅にお邪魔したことでしょう。時間があるときは、夫である伍名さまがおいしいコーヒーを入れてくださいました。何と心地よい時間を過ごさせていただいたことでしょうか。
 病床での石丸さんに「私は石丸さんに、たくさん、たくさん、いただくばかりで、何のお返しもできなかった。」というと、「いいんだよ。次の人に返してやれば。」とにこやかに言ってくださった顔が、目に焼きついています。
 こんな未熟な私が やってこられたのも、ひとえに石丸さんのおかげです。
 ずっとずっと、いてくださるものと思って甘えていました。本当に残念でたまりません。
 平和への並々ならぬ思い、福祉をはじめとする、生活者としてのゆるぎない思 い。
 石丸さんの志を受け継いでつなげていくこと、それが石丸さんへのご恩返しと思って、一層気持ちを引き締めていく覚悟です。

 本日は議会のため、議員や部課長たちは残念ながら式に出席できません。石丸さんにお世話になった、労苦を共にした人たちもたくさんいます。それぞれの思いで石丸さんが活躍した議場から哀悼しております。
 どうか、安らかにお眠りください。
         富士市議会議員 小沢映子




 今日9月11日は、8日に亡くなった石丸恵美子さんの葬儀でした。
議会で参列できなかった私は、上記のメッセージを読んでもらいました。
 石丸恵美子さんは、富士市の市議会議員を3期つとめて、私にバトンタッチしてくれました。
 戦争中、妹と富士の親戚の所に疎開しているとき、東京大空襲で両親も弟たちも家もみんな失くしてしまいました。
 苦労をして、中学を卒業してから事務の仕事をして、家計を支えながら、夜間に通いました。授業料が払えなくて、1年休学もしました。苦労して卒業すると頭のよかった石丸さんは市役所に勤めました。
 夫も市役所勤務です。二人の子育てをしながらも、仕事は絶対辞めたくない。と頑張っていたのですが、何といっても40年も前のことです。30代後半で辞めて、夫の親の介護や、消費者や福祉関係の市民活動をしていました。その後57歳で初当選、富士市議会議員になったのです。
  

「愛する富士市を、愛せる富士市に」小沢映子公式ホームページ
http://www4.tokai.or.jp/ozawa/

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
残念 (堀内)
2008-09-13 21:31:46
小沢さんの選挙の時に知り合って凄い人だ!と思いました。葬儀の日ヘルプの仕事があり参列できませんでしたが、火葬場付近通過した時に、ご冥福をお祈りしました。


返信する
亡くなられたんですか・・・ (yan)
2008-09-24 11:24:50
すみません。
世情に疎いもんですから、このブログを読ませていただいて、気づいたような次第です。
石丸さまとは5年前の市民活動基本指針検討委員会でご一緒させていただきました。
お人柄といい、あの話しぶりといい素晴らしい方でした。もうお話をうかがう事が出来ないと思うと残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
返信する
さびしいです (小沢映子)
2008-09-24 23:04:26
コメント、ありがとうございます。
本当に淋しくなりました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。