障害者は不幸を作る事しかできない、障害者はいなくなればいい
これはもう優生思想に他ならない。
津久井やまゆり園を襲った犯人だけでなく、この世の中には大なり小なりそんな考えを持っている人が珍しくないのではと思います。石原元都知事も重症心身障害児者の施設を視察して「この子らに人格はあるのかね」と発言したくらいです。ヒットラーがユダヤ人を虐殺する前に20万人もの障害者を殺害したことは有名です。
最重度の障害を持つ私の娘は真っ先に対象にされてしまいます。
実際はどうであろう。元美が生まれて数年は毎日枕を涙でぬらす日々でしたが、今は在宅で支援サービスが整って、様々なかかわりの中で豊かに暮らすことができています。
パレードまだかしら
ここ20年大きな病気もせず健康で、親孝行な娘だと心の底から思っています。親からしてみれば、他の二人の健常の子どもと生きる価値はなんら変わらないのです。
レストランでお食事よ!
市街地から離れた大きな入所施設での日々変化のない生活で、外との関わりも少ない中では、自分の意志を伝えにくい人たちの命の輝きは小さく見えたかもしれません。
地域で暮らし、あらゆる場所へ出かけていって、優しい人や怖い人に出会ったり、ハプニングの連続の中で、まわりも一緒に笑ったり困ったり、そんな変化にとんだ生活の中で障害の重い人たちの命は輝くのだと思います。
やっぱりあっちのほうがいいかしら
犯人が生活介護施設のでら~とに勤めていたら、違っていたかもしれません。
「弱肉強食」という言葉があります。弱い人間は淘汰されるのでしょうか。いえいえ断じて違います。強い虎は今や絶滅の危機にあります。弱いウサギは世界中で繁栄しています。強い弱いではなく、環境にいかに適応する戦略を持っているかです。人間の生存の戦略は社会性です。障害を持ったり、老いたり、病に伏したりしても家族だけでなく社会が支えることで、安心して生きてゆくことができます。
この世の中には2種類の人間しかいないといいます。「今障害を持っている人」と、「これから持つことになる人」の2種類です。
何らかのハンディを持って働けなくなった人たちが排除されるとなると大変です。安心して毎日を送れません。いつなんどき排除される側になるかわからないからです。
社会の一定数の人は障害や病に侵されます。重い障害を持つ人が幸せに暮らせる社会は真に豊かな社会です。人間は共感できる生き物です。障害の重い人を人里離れて見えなくするのではなく、街中で豊かに暮らしているのが見える事が社会にとっても重要なのです。
我が子達やインクルふじの存在をもっともっと社会に伝えていかねばと思います
そうそう「普通に生きる」のドキュメンタリー映画はもってこいです。http://www.motherbird.net/~ikiru/
上映会を持つか、DVDが販売されたら買ってくださいね。