佐々木千津子さんが、一昨日お亡くなりになりました。
佐々木さんは、2012年7月5日、NHKの教育テレビ ハートネットTVで取り上げられました。
ほっとしてほっ ―ある脳性まひ者のエッセイから―
広島市に住む佐々木千津子さん(64歳)は重度の脳性まひです。手足は動かせず、1日24時間、介護サービスを使いながら広島市内のアパートで暮らしています。障害は重くても、おしゃれも外出も大好き、猫も2匹飼っています。
佐々木さんは、20歳の時から18年間を障害者施設で過ごし、40歳の時に自立生活を始めました。その時から、地域の障害者生活支援センターが発行している機関誌にエッセイを連載し始めます。題して『千津子の窓』。愛猫のこと、恋の話、「当たり前って何?」と周りに問いかける文章など、日常の中で思うこと感じたことを、素直な表現でつづってきました。「あたくしちゃんは負けにゃい!」。文体も独特で読者から「ちづこ語」と呼ばれ、エッセイは大評判!24年続くコーナーは一番の人気となっています。
脳性まひによる全身の痛みや年々重くなる言語障害と闘いながら、文章をつづってきた佐々木さんは、この夏、これまで書きためたエッセイをまとめ、初めての本を出すことにしました。書くこととは、佐々木さんにとってどんな意味を持つことなのか。その日々を見つめます。
(NHKのホームページから抜粋)
(以下、佐々木千津子さんについて児玉さんのブログから抜粋)
初潮は15歳の時。
生理の手当ては母親がしてくれたが、そのたびに
「こんなものはなければいいのに」「手術をしなければ」と言われて憂鬱になった。
その手術がどういうものか分からないまま「痛いことは嫌だ」とだけ思っていた。
その後、姉の婚約が自分の障害を理由に解消されたことを知る。
姉は気にしなくていいと言ってくれたが家に居づらくなり
施設に入ることを決意。
今度は施設側が生理の手当てが自分でできなければ受け入れないと言っていると聞かされ、
当惑しているところに母親から「痛くも痒くもない手術がある」と勧められて承諾する。
それでも、最後の日は「さみしかった」。
一週間に渡って卵巣へのコバルト照射。
施設に入所後、体が動かなくなるなどの後遺症に見舞われる。
青い芝の会との出会いを機に、施設を出て自立生活を始める。
はじめは介護者が思うように見つからず、
食事もできず空腹のあまり冷蔵庫に頭を突っ込んでリンゴにかじりついたことも。
自立生活を送り、障害者運動と関わることを通じて、
自分が受けさせられた不妊手術が当時の優生保護法にすら違反するものであったことを知り
声を上げ始める。
佐々木さんは、結婚したいと考えるようになった男性に
子宮摘出のことを打ち明けて、子どもがほしいからそれなら結婚できないと拒否され、
声が出なくなるほど、打ちのめされた体験を持つ。
何も知らされず、承諾させられてしまったが、
子どもが産めなくなるのなら承諾などしなかった、と語る。
2003年から、当時の手術を行った広島市民病院に対して、支援者らと事実解明を求める。
佐々木さんの訴えについては、謝罪はあったものの、
調査しても記録が見つからない、当時の職員にも記憶がないというのみで、
それ以上の進展は今に至るまで、ない。
子宮摘出は、女性入所者の施設でしばしば起こったことです。
「生理のケアを人にしてもらわなければならないことには尊厳がない」
「知的障害児・者は生理を理解できなくて非常に苦しむから、ない方が本人のため」
「生理痛の不快や苦痛を取り除き、万が一レイプされた時の最悪の事態も避けられる」
「子宮がんなど病気予防にもなる」
介護者の負担軽減は、本人の利益にも重なる。などと、もっともらしい理由をつけられて、摘出手術、または佐々木さんのような連日のコバルト照射などをされたそうです。
私にとっても大ショックでした。悔しくて涙が出そうになります。
私の娘の元美も、全介護の脳性まひなので当然生理があります。養護学校に通っているときに、初潮を迎えました。体も丸みを帯びて大人になった元美が誇らしく、その成長を心から祝いました。
確かに、下着の洗濯やらシーツまで汚すこともありますし、生理中はパットの着脱やらで手間はかかります。でも子宮を取ろうだなんて考えもつきませんでした。
上記の佐々木さんの記述でもわかるとおり、本当の意味の人間の尊厳について、当事者目線で考える必要があります。
佐々木さんは実名で顔も出して、この不条理を訴えてくれました。本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
「愛する富士市を、愛せる富士市に」小沢映子公式ホームページ
佐々木さんは、2012年7月5日、NHKの教育テレビ ハートネットTVで取り上げられました。
ほっとしてほっ ―ある脳性まひ者のエッセイから―
広島市に住む佐々木千津子さん(64歳)は重度の脳性まひです。手足は動かせず、1日24時間、介護サービスを使いながら広島市内のアパートで暮らしています。障害は重くても、おしゃれも外出も大好き、猫も2匹飼っています。
佐々木さんは、20歳の時から18年間を障害者施設で過ごし、40歳の時に自立生活を始めました。その時から、地域の障害者生活支援センターが発行している機関誌にエッセイを連載し始めます。題して『千津子の窓』。愛猫のこと、恋の話、「当たり前って何?」と周りに問いかける文章など、日常の中で思うこと感じたことを、素直な表現でつづってきました。「あたくしちゃんは負けにゃい!」。文体も独特で読者から「ちづこ語」と呼ばれ、エッセイは大評判!24年続くコーナーは一番の人気となっています。
脳性まひによる全身の痛みや年々重くなる言語障害と闘いながら、文章をつづってきた佐々木さんは、この夏、これまで書きためたエッセイをまとめ、初めての本を出すことにしました。書くこととは、佐々木さんにとってどんな意味を持つことなのか。その日々を見つめます。
(NHKのホームページから抜粋)
(以下、佐々木千津子さんについて児玉さんのブログから抜粋)
初潮は15歳の時。
生理の手当ては母親がしてくれたが、そのたびに
「こんなものはなければいいのに」「手術をしなければ」と言われて憂鬱になった。
その手術がどういうものか分からないまま「痛いことは嫌だ」とだけ思っていた。
その後、姉の婚約が自分の障害を理由に解消されたことを知る。
姉は気にしなくていいと言ってくれたが家に居づらくなり
施設に入ることを決意。
今度は施設側が生理の手当てが自分でできなければ受け入れないと言っていると聞かされ、
当惑しているところに母親から「痛くも痒くもない手術がある」と勧められて承諾する。
それでも、最後の日は「さみしかった」。
一週間に渡って卵巣へのコバルト照射。
施設に入所後、体が動かなくなるなどの後遺症に見舞われる。
青い芝の会との出会いを機に、施設を出て自立生活を始める。
はじめは介護者が思うように見つからず、
食事もできず空腹のあまり冷蔵庫に頭を突っ込んでリンゴにかじりついたことも。
自立生活を送り、障害者運動と関わることを通じて、
自分が受けさせられた不妊手術が当時の優生保護法にすら違反するものであったことを知り
声を上げ始める。
佐々木さんは、結婚したいと考えるようになった男性に
子宮摘出のことを打ち明けて、子どもがほしいからそれなら結婚できないと拒否され、
声が出なくなるほど、打ちのめされた体験を持つ。
何も知らされず、承諾させられてしまったが、
子どもが産めなくなるのなら承諾などしなかった、と語る。
2003年から、当時の手術を行った広島市民病院に対して、支援者らと事実解明を求める。
佐々木さんの訴えについては、謝罪はあったものの、
調査しても記録が見つからない、当時の職員にも記憶がないというのみで、
それ以上の進展は今に至るまで、ない。
子宮摘出は、女性入所者の施設でしばしば起こったことです。
「生理のケアを人にしてもらわなければならないことには尊厳がない」
「知的障害児・者は生理を理解できなくて非常に苦しむから、ない方が本人のため」
「生理痛の不快や苦痛を取り除き、万が一レイプされた時の最悪の事態も避けられる」
「子宮がんなど病気予防にもなる」
介護者の負担軽減は、本人の利益にも重なる。などと、もっともらしい理由をつけられて、摘出手術、または佐々木さんのような連日のコバルト照射などをされたそうです。
私にとっても大ショックでした。悔しくて涙が出そうになります。
私の娘の元美も、全介護の脳性まひなので当然生理があります。養護学校に通っているときに、初潮を迎えました。体も丸みを帯びて大人になった元美が誇らしく、その成長を心から祝いました。
確かに、下着の洗濯やらシーツまで汚すこともありますし、生理中はパットの着脱やらで手間はかかります。でも子宮を取ろうだなんて考えもつきませんでした。
上記の佐々木さんの記述でもわかるとおり、本当の意味の人間の尊厳について、当事者目線で考える必要があります。
佐々木さんは実名で顔も出して、この不条理を訴えてくれました。本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
「愛する富士市を、愛せる富士市に」小沢映子公式ホームページ