小沢映子 わたしが伝えていきたいこと

「愛する富士市を、愛せる富士市に」 静岡県富士市議会議員 小沢映子ブログ

「同居は、わが国の福祉における含み資産」ですとぉ!

2008年08月03日 23時49分55秒 | 福祉・教育
 25日の社会福祉セミナーでシンポジストの元・鳥取県知事の片山善博さんが、「自治体が『元気になろう!地域振興しかない!』とやるが、むやみに頑張らないことだ。頑張ってしまったのが夕張市だ。」と言っていました。私は思わず、うん、我が意を得たり、と思いました。
 道路だけでなく、箱物と呼ばれる、公共施設を全国の自治体はずいぶん造ってきました。
 そういえば、やはり片山善博さんが、静岡新聞に、「日本は、至る所、山間地に行っても道路は舗装してある。しかし、そこへくるバスはないし、医療もない…。」と書いていました。
 多くの政治家や首長は、目に見えるものができて、やった!という達成感があるようです。目に見ない社会のセーフティネットには、冷淡でした。他の先進諸国と違い日本の社会保障は、貧しいのです。

 というのも、70年代の政府は「日本型福祉」として、家族介護を主としました。嫁、特に長男の嫁に一極集中でした。
78年の厚生白書では「同居は、わが国の福祉における含み資産だ」とこうです。
  「かつて孝行の範囲で考えられていた親の介護が長期化、重度化、かつ老老介護化していることを介護の最前線にいる女性たちは知っていた。社会全体で支える新たなシステムが必要だ。それなのに、同居率が高ければ家族だけで介護可能と考える極楽トンボぶりに女たちは怒りといらだちを募らせていた。
 全国に広がりつつあった「模範嫁表彰」「孝行嫁さん顕彰条例」も危機意識に拍車をかけました。1枚の紙切れでことをすませようとするなんて!」

 こうして樋口恵子さん率いる「高齢社会をよくする会」が誕生して、全国に広がっていきました。以降、仲間の女性たちが介護の社会化をめざして、政治の場にも出て行くようになりました。私を議員にと導いてくれた先輩の石丸さんもその一人でした。

 その後介護保険ができ、福祉をめぐる環境が変わってきました。でも安心のセーフティネットには、まだまだです。私も次の人にバトンタッチするまでは、精一杯政策の場で発言していかなければと思います。


「愛する富士市を、愛せる富士市に」小沢映子公式ホームページ
http://www4.tokai.or.jp/ozawa/

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。