2013年12月4日、参議院本会議において、
「障害者の権利に関する条約(権利条約)」の批准承認案を全会一致で採択し、日本の権利条約の批准が確定しました。
権利条約は2001年の国連総会でその検討が決まり、2006年12月13日に国連総会で満場一致で採択されました。
そこでのスローガンは“Nothingabout us withoutus!”
(「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」)であり、
障害当事者の参画がこの条約の土台を作り上げたといえます。
DPI日本会議―日本最大の当事者団体の力によるものです
日本政府は2009年3月には批准にむけて動いたのですが、障害者団体は当初から、拙速な批准には反対してきました。
「子どもの権利条約」の二の舞にならないように、基本的な法制度の条件整備をまずを行ったうえでの批准を求めました。
その後、民主党政権下で障害当事者を中心とする権利条約批准のための障害者制度改革が始まりました。
障害者基本法の改正、障害者総合支援法と障害者差別解消法の成立、障害者雇用促進法の改正など、成果を上げてきました。
これからは権利条約の完全実施という第2のステージを迎えることになります。
権利条約の目的である障害のある人とない人が差別なく、分け隔てられることなく地域で安心して生活できるインクルーシブな社会の実現は、これからが正念場です。
●施設や病院における障害者の社会的入所や社会的入院の解消、
●障害のある子どももない子どもも共に学ぶインクルーシブ教育制度の実現、
●強制入院制度の見直しや意思決定支援制度の確立など、課題は多くあります。
「愛する富士市を、愛せる富士市に」小沢映子公式ホームページ
「障害者の権利に関する条約(権利条約)」の批准承認案を全会一致で採択し、日本の権利条約の批准が確定しました。
権利条約は2001年の国連総会でその検討が決まり、2006年12月13日に国連総会で満場一致で採択されました。
そこでのスローガンは“Nothingabout us withoutus!”
(「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」)であり、
障害当事者の参画がこの条約の土台を作り上げたといえます。
DPI日本会議―日本最大の当事者団体の力によるものです
日本政府は2009年3月には批准にむけて動いたのですが、障害者団体は当初から、拙速な批准には反対してきました。
「子どもの権利条約」の二の舞にならないように、基本的な法制度の条件整備をまずを行ったうえでの批准を求めました。
その後、民主党政権下で障害当事者を中心とする権利条約批准のための障害者制度改革が始まりました。
障害者基本法の改正、障害者総合支援法と障害者差別解消法の成立、障害者雇用促進法の改正など、成果を上げてきました。
これからは権利条約の完全実施という第2のステージを迎えることになります。
権利条約の目的である障害のある人とない人が差別なく、分け隔てられることなく地域で安心して生活できるインクルーシブな社会の実現は、これからが正念場です。
●施設や病院における障害者の社会的入所や社会的入院の解消、
●障害のある子どももない子どもも共に学ぶインクルーシブ教育制度の実現、
●強制入院制度の見直しや意思決定支援制度の確立など、課題は多くあります。
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