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◆犬の散歩◆

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バサー=環境破壊テロ

2006年09月16日 08時07分18秒 | ノンジャンル
飲酒運転も許せないが、個人的に頭がおかしいと思うのが一部のバスフィッシング愛好者。通称バサー。いや「バカー」とすら呼ばれている。


なぜか。ブラックバスなどの外来種はもともと日本の池沼にはいない。誰かが外国から持ち込んで繁殖させたものだ。
なぜ日本にブラックバスを持ち込んだかというと、そのバスフィッシングとやらはとてもエキサイティングで楽しいらしい。それを日本でも楽しみたくて放流したのだという。それだけならどうということはないが、このブラックバスは繁殖力が強く、他の生き物を食い散らかして増えまくる。そう、生態系を崩すのだ。生態系だけならまだしも、漁業にも影響を与えているとあっては看過できないものだ。

さて、そうなると駆除しなきゃならないということになる。というか、バサーが釣り上げればそれが駆除になるのではないかと思うのだが、彼らは頭がおかしいので、釣り上げた害獣であるブラックバスを放流するのだ。全く何を考えているのかわからない。

普通、魚釣りといえば釣った魚は食べるものだ。食べもしないのに何で釣る必要があるのか普通の釣りしかしたことのない私には理解できないが、「魚との勝負」「スポーツ」だから命は取らないというのが彼らの言い分のようだ。ところが、疑似餌を飲み込ませ、または口に針を引っかけ、そのような魚を放流したところで長いことがないのは明白だ。それのどこが魚との勝負といえるのか。単に命を弄んでいるだけではないか。
確かに食べればそれでいいという問題ではないが、少なくとも趣味ででも狩りをしたらその動物を食べるのが、動物に対する敬意であると私は考える。まあ、バスはとてもまずいらしいので食べたくても食べられないのだそうだが、でも「害獣だから放流してはならない」という法律だか条例があるにもかかわらず、彼らはつり上げたバスを放流する。
つまり彼らは外国から生態系を乱す害獣を持ち込んだばかりではなく、その駆除にすら協力せず、犯罪である放流を続けているというのだ。バカというかクルクルパーというか、極悪非道そのものであるといえる。

それと、彼らが使う疑似餌もまた問題で、根掛かりなどで廃棄される疑似餌を他の生き物が飲み込んでしまったり、またその原材料そのものが環境汚染の原因になったりする。せめてミミズで釣れと思うわけだが、彼らは自分が面白ければ後先のことをなんにも考えない。
たとえばPC業界がリサイクルやら環境配慮規格に準じた製品を出しているのと比べて、業界からしてそれらに対応しようとしていないのが分かる。つまり、メーカーもユーザーも程度が低い。


テレビで見たのだが、凄い話がある。
バスの影響で固有の魚がいなくなってしまうことを危惧したある自治体が、沼だか池だかの水を全部ぬいて、バスを完全駆除したことがあるという。当然他の魚も影響を与えるが、体のでかいバスが泳げなくなるくらい抜けばいい話だし、よそから魚をもってきて放流すればいいわけだし、ともかくそうやってバスを完全駆除したそうだ。
ところが、それから数年後、またバスが増え始めた。しかもその駆除からの年数よりも年齢の大きい魚までいたというのだから呆れる。つまり、駆除したそばからまたよそからバスを持ってきて放流したバカがいるというのだ。

彼らは一体何を考えているのだろうか。些細なことで環境破壊環境破壊言うのは私はあまり好きではないが、これは限度を超えている。ここまで能動的に環境破壊をするのはある意味テロであるとすらいえる。番組でバサーに注意しにいくというのがあったが、そこでもよくその手の番組で見かけるバカ(いわゆるドキュン)のような対応をしていたのが映っていた。彼らに注意してもまともに話を聞かない。それはこれだけバスが広まっていても、放流を禁じてバス捨てカゴが用意されてもそれが利用されないことを見てもわかる。彼らのような環境破壊テロについても、やはり厳罰化しかないのであろうか。

俺はバスを釣るがそんなことはしない!という配慮あるバサーもいると思う。ならばどんどんバスを釣り上げて、放流しないでほしい。なんとか料理すれば食えないこともないといし、捨てるのがかわいそうなら食えばいい。そして全てのバスが駆除されたのならば、バス釣り専用の人工池でも作ってそこで楽しんでほしいのである。

増加する飲酒運転

2006年09月16日 07時41分33秒 | 政治・世相・スポーツ等


・・・といっても報道されるようになっただけで、飲酒運転なんて郊外の飲食店なんかでは日常茶飯事だろう。車で飲みにいってそのまま運転して帰宅するなんてごくごく当たり前に行われている。運転代行を頼めばいいのに、それすらせずに運転するなど言語道断である。

言うまでもないが、飲酒運転は犯罪である。酒気帯びでも1年以下の懲役または30万円以下の罰金、酒酔いであれば3年以下、50万円である。また、酒気帯びでも一発免停、酒酔いであれば2年間の欠格期間を含む免許取り消しである。事故でも起こせば最大5年間の欠格期間があり、その間は免許を再取得することは出来ない。

個人的には随分甘いと思うのだが、これでも厳しくなったほうだ。
そもそも、車を運転するのに酒を飲むというのは目をつぶって刃物を振り回すのと同じ行為である。それが直接事故に繋がるとは言えないけども、それなりの危険性を持ったことであって、わざわざ人が死ぬための確率を上げる必要はないことだといえる。これをあえて行うということは、未必の故意があったとみなしてもいいとすら思う。

事故を起こさずとも、酒気帯びで一発免取り、悪質な酒酔いならば一生欠格期間を設けてもいいと思う。飲酒運転をするような倫理観のない人間は繰り返しそれを行う可能性がある。そのような人間に凶器ともいえる車の運転をさせてはならない。
これは料理人が手を洗わずに料理を提供するとか、医者が消毒せずに手術するようなものだ。そんな人間はその職業に就いてはならない。

危険運転致死傷罪というのがある。主に酒酔い運転等で人を死なせたりした人が該当するけども、これも有期刑しか存在しないのも軽すぎる。
酒を飲んでどうこうするというのは、たとえ酩酊して判断力が低下していても故意がないことにはならないのは刑法の基本である。なぜならば、飲酒をする時点では意志があったのだから、その後に起こりえることへの判断能力(つまり責任)があったとみなされるからだ。これを原因において自由な行為という。飲酒運転での致死傷にも故意を認め、重罪にしたということだろうけど、それでも軽いと思う。

なぜならば、業務上過失致死との対比においては重いけども、過失致死はあくまで「過失」なのであって、故意犯よりは確実に軽くしなければならないというのがあるが、こちらは故意犯なので、あえて軽くする必要はないわけだ。
そして、故意があって人を死なせたのだから、それはもう「殺人」ではないか。たとえば、ある人を殺そうと思って車で人を轢いて死なせれば殺人罪が適用されるのは当然だ。
また、人混みで銃を乱射すればおよそ誰かが死ぬであろうことは推測に難くないわけで、特定の誰かを狙ったものではなくてもこれは殺人罪となるわけだから、危険運転致死傷についても、相手を死傷させたのならば15年だの20年だの言わずに「殺人や障害の罪として論じる」とすべきところだと思う。

あまりに悪質な、常習的に業務で飲酒をして運転して車に追突し幼児を死なせたような例や、何軒もはしごして飲み歩き、高校生の列に突っ込んで数名を死なせたような例においては殺人とみなしていいと思う。殺人に準ずるとすれば、死刑まであり得ることになる。そんな重大なことをしたのだから、理屈としても死刑もあり得るだろう。

ただ、飲酒運転が「殺そうとして銃を乱射」したのと同列とはとうてい言えない(運転と銃の対比の飛躍や、殺そうとする故意のつよさにおいて)という反論もあると思う。まさか自分が人を轢くとは思ってないからだ。でも、それに等しい重大な行為であるというのは事実だから、それをあらかじめ明文化しておくことで運転者に警告を与える必要があると思う。自分が飲酒をして、「この状態で運転することは殺人を犯す可能性がある」自覚を与えることができる。そうすれば、怨恨による殺人はこれ以上立法で抑止するのはできないとしても、飲酒運転自体を減らし、それによる死者を減らすことに少しでも役立つだろうし、起こした結果に対しても正しい罰を与えられる。
つまり、まだまだ刑罰が軽すぎる。さらなる厳罰化を求めたい。


それと運転者の認識が軽い理由として、「罰金」と「反則金」の違いを認識していない人が多いことも言える。反則金は行政処分で、これを受け入れることで本来犯罪である交通違反を犯罪として扱わない、許してやるというもの。いくら受けてもいわゆる前科にはならない。そして罰金はその名の通り刑罰であり、犯罪として扱われる。反則金なら振り込みをすればそれでいいが、罰金に当たる違反をした場合は、裁判所にいって裁判を受けて判決をもらって、それで罰金を払うことになる。
反則金で済むのはいわゆる「青切符」で、罰金(犯罪)になるのは「赤切符」と言われる。罰金のほうを食らうととんでもなく面倒なのは経験した人なら分かることだが(私はありません)それで自分が「犯罪者」になっている自覚がある人はどれだけいるのだろうか。
免許を持っていればそれくらい誰でも知ってるだろ!と思う人もいるようだけど、未だに反則金のことを罰金とか言う人もいるのも事実だ。交通違反が本来犯罪であることも知らなかった人もいるだろう。違反そのものが犯罪であり、反則金はそれを簡単な手続きで許してもらうためのもので、重大な違反にはそれすらないということを知っておいてもらいたい。そして、赤切符や飲酒運転がどれだけ重大な「犯罪」なのか、肝に銘じて車を運転してほしい。

祝:親王誕生と天皇制維持

2006年09月08日 17時03分32秒 | 政治・世相・スポーツ等
ついに親王殿下が誕生しましたね。


いやー、ほんとうにおめでたい。ここだけの話、実はくみさんが何らかの操作をして男子を産ませてくれたらしいです。これは国民にかわってお礼を申し上げるしかありません。


紀子さまご懐妊というので男子の誕生が切望されたが、というかこの時期に産もうというのだから男だと分かっていたのだろうと、今までは皇太子殿下に配慮して子供を作らなかっただのという推測も蔓延してたが、公式には本人も医師も知らなかったということ。まあそんなわけないだろうけど。

さて、これで次世代の皇位継承者が生まれたということで、皇室典範改正論も一時棚上げです。中曽根さんなんかは「完全に解決した」とまで言い切る始末。とはいえ、健やかに育つということも限らないので、まだまだ予断を許さない。

親王は事実上未来の天皇陛下となるわけで、秋篠宮家でそういう重大な人を育てるだけの規模があるのかという話もありつつ、事実上の天皇家ということになるのだから予算、人員等考える必要がある。

さて、皇室典範改正論だが、女系容認論がまだ残ってるのがおかしなところ。


天皇制=男系


これは神話の時代からの伝統であり、全くイコールで結べるものである。
もし男系が維持できないなら、天皇制自体をやめてしまえばいい。
なぜ天皇が世界から認められる地位にあるのか、なぜローマ法王に並ぶ外交上の地位を持っているのか、それは万世一系を維持しているからに他ならない。これをやめることは、日本にある最大の財産を失うことになる。だから男系維持、これは最低限のことである。

女性天皇は昔にもいたじゃないか?という人もいる。
でもこれは、その代限りのワンポイントリリーフである。男系女性天皇が即位した場合、その女帝の子供は即位できない。それどころか、そういう争いが起きないように女帝は子供をもうけなかったと言う。皇室典範では男系男子と男に限定しているが、別に男系ならワンポイントで女性でも構わない。だが、その子は天皇になれない。それが「男系」というものなのである。

この男系の意味というのをあまり報道しないから、女系容認論という天皇制の根本を理解していないような理屈が蔓延してしまうのだ。小泉総理の私的諮問機関がそういう提言をしたというが、これも狂った話だ。だいたい誰だよお前らwwww

それにしても、宮家の大幅な削減があってから、男系の維持が難しくなってきている。たかだか二分の一なのになぜ男は生まれづらいのだろう。近親交配が増えると男が生まれづらいだのいう話もあったりして、でも最近は民間からとってるしどうなんだろうとか思うわけだけども、そんなに男が生まれづらいなら産むための努力をしたらどうか。

つまり側室を設けるか、そうでなければ男女生み分けをするべきじゃないか。

前者はいろいろな問題があるのだろうけど、後者はどうか。医学的に男をまず産んで、それから運に任せるというのもアリなんじゃないか。
ただ、それだと胎児レベルで女と分かったならば堕ろすという話になってしまうし、単なる中絶にしても問題だというのに、天皇家の子を堕ろすというのは倫理的にどうなのだという話。それがたとえ受精卵の時点で分かるとしても時期の問題であり、命に代わりはないのだ。

とはいえなんらかの対策が必要であり、公的には秘密だとしても、そういった対策をとってでも男系を維持すべきではないか。それができないなら、とっとと旧宮家を復帰させるか、そうでなければその中から誰かを愛子様と結婚させ、天皇とするしかない。これは愛子様の恋愛の自由を奪うことになるが、妙な小細工の中では一番問題が少ないだろう。

どちらにしろ、座して成り行きを見守るのは大概にしてほしいものだ。

PCが起動しなかった問題

2006年08月20日 00時37分50秒 | エレクトロニクス
突然PCが落ちて、うんともすんともいわなくなってしまった。

フタを開けてみたけど別に燃えてる部分もなく、どこがおかしいのかは一目にはわからない状態。
そこで電源ボタンを押してみると、ファンが一瞬動くそぶりをみせてそのまま、電源ランプはつくけど、再度押しても消えないという状態。

微弱な電流は流れているのだろうか?ともかく電源が逝ったっぽいので、電源を買いに行く。今思えばよく検証せずに行ったのがよくなかったわけだが・・・。

秋葉で良く使う割と大きい某店へ。

訳を言って、AOPENのベアボーンだと告げる。電源の形が特殊だから同じのでないとつかないといのうだが、あまりそうは見えないのだが確証が持てないので言うとおりすることにする。なぜかベアボーンだというのにメモリとかCPUとかを聞いてくる。なんか妙な感じだ。

同じというものがないのなら固定できなくても普通サイズのを買って動作確認するからそれをくれと言ったのに、ピン数がどうとか、刺さるかどうかわからないとか、お勧め出来ないとか言って売ってくれない。ピンなんかどれも共通だし、4ピン部分が繋がってるか分かれてるかの違いくらいだろうが。それ以外の電源ピンを使ったマザーなんか普通売ってるかあ!別の店員が出てきても同じようなことを言う。

ミドルタワーの筐体に移植するつもりだとか、そのうちcore2を組むときに使うからこれが使えなくても無駄にはならないとか、もとの電源は修理に出すからそれまでの繋ぎだとかいって、なんとか売ってもらったw

つーか、客がそれを買うというのだから黙って売れよ!!!wwwww
こっちはトイレいきたいの我慢してわけのわからん説明聞いてたんだよ!!!
(それでもマイクロの基盤はミドルにはまらないとかわけのわからんことを言っていたが)
どーも秋葉の店員というのは、中途半端な知識というか独自のこだわりというものを客に押しつけてきて困る。某T店とかS店とかはそういう店員が多くて有名だったんだけどこの店まで冒されてきたか・・・。

まあ、それはいいとして、いい電源を買ってきて早速接続してみた。
電源ON。起動した・・・けど写らない。でもピポ音はしてるし、HDDも動いている。んで、メッセにも繋がってるらしく「オンラインになってるよ」というメールが来たw

ありゃー、じゃあビデオカードがおかしいのかなあ。
とりあえずシャットダウンして、内蔵のビデオにしてみる。
(というか、単にディスプレイケーブルを内蔵のコネクタのほうに差し直しただけ)

起動してみると、ちゃんと写った。そしてなんとビデオカードから煙が!!!
あわてて電源を切り、ビデオカードを外す。
というか、内蔵に切り替えた時点で外すべきだろw

で、ビデオカードを外したらなんなく起動できた。
起動しなかった原因はビデオカードが逝ったことでした。
ドライバは前に使ってたのが入ってたので問題ないし、ヨーグルもなんとか出来る。重いけど。
新しい電源は恐ろしく静かで、クールだ。ちっとも熱を持っていない。すばらしい。
でも、このままじゃフタをしめられないw

ビデオカードが原因で起動しなかったのなら、電源は逝ってないのでは?

もとの電源を戻してみる。すると、普通に起動したw
なんだ、ビデオカードを抜くだけでよかったのか・・・。
でもまあ、電源はそのうち使うし、なんなら余ってるケースに移植して使うこともできるし・・・。あ、ロープロのキャプチャカードの普通サイズのプラケットどっかやったな・・・そしたら固定できないや。しょうがない、新電源は保留だ。さすがにcore2のシステムを組むほど余裕ないし・・・。ビスタが出るころまでに考えればいいか。

しかし915内蔵のビデオは重い。内蔵にしてはいい方だし、とりあえずヨーグルが出来るのだから凄いんだけど・・・。出向してるGF2MXカードなんかテクスチャが真っ白になっちゃうし、秒間数コマだし。

そして、このもとの電源がかなりホットなのだ。いまは蓋を開けてるから他に影響してないが、フタをしめていたときはこいつのせいでシステム全体の温度が上がっていたのは考えるまでもない。どれくらい熱いかというと、電気あんかにしては熱いかな?という程度w
良く見ると、ケースファンが動かなくなっている。そうか、こいつのせいでファンレスだったビデオカードが逝ったのか。それほどこのケースの熱問題は逼迫していたのだ・・・。というか、ビデオカードがファンレスなのはよくないwwww

というわけで、ケースファンを買いにいかないとフタがしめられないw
できれば大口径で電源をマザーからじゃなくて直接取れるやつのほうがいいな。でも設置できるかどうかわからないし・・・直角に排気出来るやつでないとだめだし。また秋葉にいくの面倒だなあ。

祝:小泉首相、終戦記念日に靖国参拝

2006年08月16日 04時49分12秒 | 政治・世相・スポーツ等
小泉さん、ついにやりました。終戦記念日の靖国参拝。
最後にやっぱり公約を守ってくれました。有終の美を飾るというところだ。念願の郵政民営化もやりきったし、小泉さんの気持ちを推し量ると、万感の思いといった所だろう。


当然のことながら中国や韓国は文句を言っているけども、これがなぜいけないのか、ちゃんと理由を言える人はどれだけいるのだろう。


「一国の元首が、この国を守って戦って命を落とした人を追悼してなにが悪いのか。」


誰もこの問題にきちんと答えた上で文句を言っていない。
中には理由にならない理由や、既に間違っていることが証明されている理由で文句をつけている人もいる。

新聞やら掲示板やらブログやらを見て回ったけど、やっぱりどれも簡単に論破できてしまうものばかりだ。

一番良く言われるのが「A級戦犯を祀っているから」というもの。
これはもう、ちゃんと勉強していないことが分かる馬鹿げた理由だ。
まず、A級戦犯というが、別にBやCだって祀られているのだ。このABCというのは罪の重さではなくて、単に国の指導者かどうかというだけの差だ。Aだから悪いっていうわけじゃないことが一点。

つぎに、戦犯というもの自体が存在しないということが一点。
これは二つの点から説明出来る。

まず、その戦争犯罪というものを裁いた東京裁判といわれる軍事裁判が、法的に(国際法、国内法全てにおいて)違法なものであったということ。
事後法において論じられ、なんら証拠調べもせず、検事や弁護人などの選定も適当であり、およそ近代法学からはかけ離れたものだったのは有名な話だ。
事後法というのは、ある行為が行われた「後」に、それが犯罪だと決めて、その法が出来る前に行われた行為を犯罪として裁くことをいう。これは「罪刑法定主義」という近代法の根本的な原則に反する。
ある行為をしたときには合法だったのに、あとから「やっぱさっきやったことは違法だから裁くわ。あんた死刑ね」とか言われたら困るだろう。というか、天才バカボンでもそんなことは言い出さないと思う。でも、それを堂々とやらかしたのが連合国なのだ。
つまり、もう裁判という名前がついてはいるけど、裁判のカタチに成っていない茶番であったわけだ。

とはいえ、サンフランシスコ講和条約ではこの判決を受け入れることが日本が独立することの条件であったから、判決そのものは受け入れるしかない。ところが、その中身が異常であったことまでは放棄してはいけない。

次に、同条約の手続きに則って戦犯は既に罪を解かれている。そう、もう彼らは犯罪人ではないのだ。これは処刑された人たちも含む。

裁判の形ではない裁判モドキで裁かれた戦犯。その罪を解かれて名誉が回復している戦犯。残念なことに死刑が執行されてしまった者もいるA級戦犯の面々だが、そうでないA級戦犯は普通に釈放され、政界に復帰した者もいる。処刑された人は戦死者扱いになっている。

これだけで、そもそも、いわゆるA級戦犯なんかが存在しないことが分かる。そして、日本政府も同じ立場を取っている。ならば、よその国からどう言われようと「うちにはA級戦犯なんてものはいない」とはっきり反論して、毎年参拝するべきだ。それと天皇こそ参拝すべきだと思う。

さて、それでも「日本が侵略戦争をした時の責任者だから」という理由で参拝に反対する人もいる。これも無知からくるものだ。

まず、日本は侵略戦争をしたわけではない。

戦後の自虐史観による教育を受けた人には、日本がアジアの征服を目論んで無茶な侵略をしたとい思いこんでいる人もいるだろう。これは間違った歴史認識である。

支那事変が起きたのは、当時の中国国内の内戦が原因と言われているし(かといって日本軍に責任が全くないわけではないが)、太平洋戦争に至っては欧米のアジア侵略の邪魔を日本がしたから、逆に意地悪をされたからだ。

ロシアは不凍港を求めて南下してきたし、欧米列強もアジアの権益を求めて進出してきている。日本もいつその対象となるかわかったものではなかった。日本を守るには、地理的に朝鮮と中国を押さえておかなければならなかった。ところが一向に近代化しない朝鮮や中国は欧米の侵略の危機に晒されていた。
そこで朝鮮は自らの意志で日本との併合を望んだし、満州国は日本の傀儡政権ではあったものの、日本を守るために必要なものだった。
ところが、欧米及び中国はこれに反発し、アジアから日本を締めだそうとした。これがABCD包囲網と言われるものだ。米英中蘭の頭文字を取ったこの政策によって、日本は資源の輸入路を絶たれてしまった。そして米国は「ハルノート」と言われる最後通牒を突きつけてきた。
つまり、大陸や朝鮮での権益を放棄して撤退しなければ兵糧攻めするというものだ。
日本はこの死刑判決とも言える通告をうけて、最後まで戦争を回避しようとしていた。ところが、アメリカは全く聞く耳を持たず、「日本を追いつめて最初の一発を撃たせる」ことを目的としていて、戦争をするつもりが満々であったのだ。

真珠湾攻撃に至るまでにその暗号は解読されて、あえて攻撃されたとか、それに至る前に何度か小競り合いはあって、真珠湾が発端じゃなかったとか、宣戦布告をしたけど駐米大使館員が宴会をしててこれを提出しなかったとか、いろいろ日本にとってよくない巡り合わせもあったが、ここまで読めば日本だけがそれほどあくどいことをしていたわけではないことが分かって貰えるだろう。

ただ、個々の作戦では正義とは言えないこともしただろうし、大東亜共栄圏という日本の拡大路線もあったのは事実だろう。ただ、結果として日本が占領したアジアの国々は、欧米列強の植民地から続々と独立しているのも事実だ。日本がこれらの国を結果的に解放したという事実は、戦争の功罪の一つとして認識しておくべきことだ。

太平洋戦争とは、これらの一連の流れがあってのことだということを知っておけば、その時代の指導者の責任がどうとか言うのが誤りであるのがわかる。たまたまその時に指導者の立場にあっただけで、彼らも極力戦争を避けようとしていたのだ。日本との戦争を一番望んでいたのはアメリカそのものだ。そしてそのアメリカは空襲や原爆という民間人虐殺という大きな戦争犯罪を犯している。しかし彼らは全く裁かれてもいないし、日本はアメリカに文句の一つも言っていない。日本人は、いまさらこのことをとやかくいうべきではないが、このことを忘れてはいけない。

こういった列強の無茶と戦い、命を捨てていった人達のために参拝し、追悼するのは日本人の義務であるとすら言える。とはいえ国民全員が参拝はできないから、首相が代表して行うのは当たり前のことだ。

戦争を起こした日本は悪いことをしたとか、戦犯は悪いやつだというのが誤りであることは理解してほしい。事実を知りもしないで、首相の靖国参拝に反対する人は、日本人ではない。いやむしろ、人ではない。首相と天皇は、毎年揃って参拝するべきことだ。それが人の道というものだ。

中国や韓国は、政策として「日本を常に攻撃すること」という手段の一つとして靖国問題に文句を言っているだけだ。もしこの問題で日本が譲歩しても、別のことで文句を言うだけのことだから、相手にする必要はない。小泉首相も「どうせいつ行っても文句言われるから」といっている。
そもそも、この問題自体が戦後随分経ってから話題になっているのだ。中曽根首相の時代までは普通に行われていたのに、戦後何十年も経ってから突然中国らが文句を言ってきた。それはなぜかというと、朝日新聞がこの問題を提起し、中国をそそのかしたからだ。
中国は日本を叩くネタが出来てよかったとばかりにこれに乗ったわけだ。

というようなことをマスコミが正しい情報を報道しないから、中国や韓国の言うことを信じて参拝に反対している人もいるが、(知っててやってるなら最悪だが)きちんと調べて、事実を知ったうえで批判をしてほしいものだ。事実を知った上で参拝するべきではないと言うのなら、その根拠を私にも分かるように教えて欲しいものだ。私は今まで、そんなものに出会ったことがないのだ。


まあ、日本は隣の馬鹿の言うことは無視して、粛々と参拝していればいい。いやむしろ、「日本には戦犯などいない」という立場を取っていることを、もっと宣伝するべきである。