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コダワリの女のひとりごと

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ハートの街、茨城県那珂市の旅⑥親鸞聖人ゆかりの阿弥陀寺と額田城跡を散策する

2017-10-14 | 旅 茨城県

茨城県那珂市の旅は阿弥陀寺や額田城跡を散策しました。

実は城が好き💛100名城のスタンプ集めをしているわけではないけれど、全国のいろんなお城を制覇。
城跡も好きで、登山をしたりもするのですが、額田城跡を散策が楽しみでした。

額田城跡の前に阿弥陀寺さんへ。

 
 
 
いにしえの時代から那珂川・久慈川に囲まれた那珂台地には先人たちが様々な歴史を築いてきました。その歴史を受け継いで神社・仏閣も常陸二の宮静神社をはじめ、数多くの由緒ある神社・仏閣が点在してしているそうですが、額田城跡の敷地のお隣にある阿弥陀寺さんへ訪問です。
 
阿弥陀寺
(あみだじ)
那珂市額田南郷375
029-298-7505
 親鸞聖人の高弟・直弟等453人の名前を記した「太祖聖人面授口決交名記」が寺宝となっています。

親鸞上人ゆかりの寺。本尊である阿弥陀如来仏は県指定文化財になっています。建保五年(1217)創建。

聖徳太子の掛け軸と象。
 
 
 

春には樹齢320年の枝垂れ桜(彼岸桜・糸枝垂れ)が咲き誇り、桜まつりが開催されます。
 

黄門さまゆかりのお寺ということで、光國さんの養女のお墓もあり、水戸光圀お手植えの樹齢300年を超えるしだれ桜が見事なのだそうです。

ご本尊の阿弥陀如来仏は県の指定文化、寺宝の
 
 

 
 
場所が平地にあるのですが、城の感じとしては名護屋城にも似た雰囲気で自然の地形を生かしつつ、人口でお堀を気付いたタイプ。
石垣はまだなく、土塀の時代で堀を掘った土で土塁にした造り。
本丸、二の丸、三の丸とあったようで天守閣もあったようなのですが、閣というよりは廓の時代。
 
額田城(那珂市)
額田城の築城形式は,沼に隣接した「平城形式」の城。
佐竹氏の一族である佐竹系額田氏が鎌倉時代に居館として作ったのが始まり。
その後,拡張を続け,中世末に現在の規模になったとのこと。
全国的にみて,中世末の北関東の城は広大な面積を持つものが多く見られますが
額田城は1200m×1000mの広さをもち,中に4つの郭が構築されています。
一地方の小領主の城としては,大規模なものであることが分かります。


堀を掘った土を盛って土塁にしたお城は歴史の古い造りで、安土桃山時代頃の石垣で塀を作る以前の構築スタイルのようです。堀の後はしっかりとわかり、廓があったとされる場所もありました。

城主が佐竹氏を頼って城を出てから、城主がないお城は長い間放置されていたため、お城の敷地だったところが民間のお家や敷地になっているそうです。 
 

蜂と蛇注意の看板がありましたが、本当に小さいミミズのような赤蛇と遭遇しました。
動きが速くて赤蛇を見たのは私だけのようです。
私は北海道出身なので紅蛇を見たのは初めて。
蛇が赤くてびっくりしましたが日本には赤蛇は多いそうです。
 

廓は一切残っていないし、堀も遺構という感じで、言われていると塀だね。という感じですがl
 
 
昭和の頃に植えられた杉が伐採の時期に来ているそうですが、残念なことにこの杉は建築資材にはならない種類の杉なのだそうです。
戦争の頃は防空壕的に使われていた場所でもあるそうです。
 
 
なんとなく朝ドラ「ひよっ子」の奥茨城のような雰囲気。 
 
 
 
常磐自動車道「那珂」IC車15分。
JR水郡線「那珂」駅徒歩20分、常磐線「東海」駅徒歩60分。
茨城県那珂市(旧那珂郡那珂町)額田南郷
城の種別
平山城
築城時期
建長年間(1249-56)頃
築城者
額田義直
主要城主
佐竹系額田氏、小野崎系額田氏、江戸系額田氏
遺構
曲輪、泥田堀、空堀、土塁、櫓台ほか
 
 
 
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